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運命愛

精神的な人は、そういう人は同時に勇気もある人だと前提しての話だが、精神的であればあるだけ、また痛ましい悲劇にも出会う。
だが、彼らはまさに人生が自分たちに大きく敵対してくればくるだけ、その人生を称賛する。     ニーチェ

「精神的な人」とは?
挙げると、

・思索することが好きな人

・自分の弱さや限界を自覚し、乗り越えるために精神性を高めようとする人

・人→人間として意味を創造しようとする人

・自他、心身、社会規範のバランスを保とうとする人

・物事の本質を探求する人

などなどでしょうか。

つまり自分や他者の心や内面を大切に考える人たちのことと考えます。

内面よりも外面や権力やお金ファーストの人たちもいますが、
彼らが精神性低いとか言いたいわけではないです、

資本社会的に成功できる人は、
外面的にも内面的にも高みにいる人たちだと思いますし。

精神的な人は、その精神的ではない人の心をも理解しようと努めることができる人だと思います。

で、その精神的な人はなぜ痛ましい悲劇に出会うのか?

精神的であればあるほど?

精神的であるということは、
痛みや弱み悲しみを感じやすいということでもあるわけだし、

世の中の出来事や人々の感情に知性を働かせたり、敏感に感じ取ったりすることでもあります。

つまり精神的ではない人にとっては「ただの出来事」だったとしても、
精神的な人にとっては「痛ましい悲劇」になりえるのでしょう。

ということかな……ニーチェ。

筆者にも悲劇が降りかかることがありますが、
記憶に残したくない悲劇は、残さないようにしています。

残さないためにどうしたらいいのか?
いつか有料記事として研究発表できる時がきたら書いてみます。

記憶に残したいというか、忘れ難い悲劇については、
受け止めるしかないように思います。

悲劇に蓋をして思考停止するのではなく、
受け止めて熟考し悲しい出来事として記憶に残す。

受け入れることのできない出来事でも、
受け止めることはできるようになります。

そして、これが自分の人生であり運命であり、
その運命を超え人生を愛せることができた人間は、
自分を人間を称賛するようになるのだ。

という解釈でよろしいか、
ニーチェ。

だけど悲劇は起きてほしくないよ、
ニーチェ。

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