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出勤困難症

言論を伴わない活動は、いわば、その主語を失う
ハンナ・アーレント

あけましておめでとうございます。
本年もマノ研究所をよろしくお願い申し上げます。

筆者も年始休暇中につき、
いろいろSNSを見ているのですが
「働きたいけど働けない」
という人がとても多いのだなぁと感じました。

出勤困難症、大人の不登校みたいな人たちですね。

・朝なかなか起きることができず、出勤への準備が進まない

・職場のことを考えると不安やストレスを感じる

・ようやく出勤できても強い疲労感や不調を感じる

・欠勤や遅刻早退を繰り返す

誰でもこのような症状は多少なりともあるものなので、
怠けや甘えと簡単に捉えられがちです。

しかし症状が繰り返し長期間続く場合、実は深刻な心理的・身体的・環境的な問題が背景にあることも多いです。

たとえ怠け&甘えだとしても、
「働きたいのに働けない」ことのデメリットは大きく、

貧困や病気リスクの増加、社会的な孤立を招く結果になることが多いため、
何らかの対策が必要と私は考えます。

ちなみに筆者も最終的に病気や障害の発症を招き、現在に至っています。
困ってはいないものの、業務スーパーの魚と野菜でなんとか生活できているレベルです。

で、この出勤困難症や不登校、社会に蔓延する無気力さについて考えていたところ、
冒頭にあるハンナの言葉に出会いました。

職場や学校などの「活動の場」において、
言論を伴わずその行動だけが先行した場合、誰が何のためにその活動を行なうのかが曖昧となり、
主体性を失うのだ、と解釈できます。

なぜ会社や学校に行くのか、誰が行くのか、
誰のための活動なのか、オンラインではいけないのか、など

言葉で説明しなくては行動を正当化できず、
理解できないまま活動することになります。

理解がなければ仕事も学習も家庭もただの無意味な行動にすぎなくなってしまいます。
考えたら怖いことですね。

たとえば仕事は誰のためかというと、
ほとんどの人は自分の生活維持のためだと言うんですけれども、
 
その内容というのは「他人のため」の活動なんですよね。
お客さんのため。経営者のため。同僚のため。

実際のところ、
ほぼほぼ他人軸な活動であり、
その活動は他者貢献、社会貢献の視点があることは、

言論を通じて理解しておいたほうが感性が高まり、
つらくならずに済むのかな、と
若者のSNSを見ていて感じました。

先生のために学校へ行く日があってもいいと思うし、
今日はAくん、明日はBさんのために学校へ行こう、
でもいいと思うんですよね。

正しい他人軸について、
続けて研究していきます。

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