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小説: 虹ヶ丘3丁目 『青空保育園』日記⑤

「真幸、おいで、きれいよ」
「わあ、きれいだねおかあさん」

次の瞬間、幸枝は息をのんだ。50メートルくらい離れたところにあやかちゃんがいた。年齢にしてはやや背が高めのシルエットがオレンジ色の光に照らされていた。公園のフラワーポットから摘んだらしいペチュニアの花を小さな花束のようにして持ち、夕陽の方を見上げて立っていた。
「あやかちゃん」
真幸が発した言葉に、あやかちゃんは振り返り、目を幸枝に向かって輝かせていっさんに駆け寄ってきた。幸枝は思わず、
「バイバイ!またね」
と言って窓を閉め、エアコンのスイッチを入れていた。

「なんでそんなに公園にこだわるかな。相手にしなきゃいいじゃないか」
敬の言うことは、多分誰もが感じることだろう。幸枝がこだわりすぎだ。幸枝が背負い込みすぎだ。幸枝が気に留めなければいい。でもそうなると、この界隈で浮いてしまうこと、お互い様の枠からはみ出すことになりそうで、真幸が誰からも遊んでもらえなくなりそうで不安だ。それに、こんな小さな地域コミュニティですらうまくやっていけずに困難を抱えるなんて、先が思いやられ過ぎて、自分が何をやってもだめなのではないかと思えて、ここで引き下がるわけにはいかないと考えてしまうのだ。
「だから今だってよその子の面倒押し付けられて幸枝だけが窮屈なんだろ?なにかしてくれてるわけでもないんだろ?」
それは実際そうだ。でも。
「生協どうするのよ。生協の日はみんなおしゃべりしたり、子どもたちを遊ばせたりしてるんだから。そこで浮いたら困るじゃないの」
「俺は別にいいぜ。レトルトだってたまには旨いし。スーパーだって歩いて5分じゃないか。何も自分ちだけがケンコウに良いムノウヤクの食い物にこだわらなくたっていいじゃないか。見てみろよ。紛争地帯の子どもたちを。国じゅうに地雷がばら撒かれてんだぞ。難民キャンプで配給の食いもんだぞ。こだわったってキリがないだろうに」
生協の共同購入で買い物をするのは、体を作る時期の真幸やお腹の中の赤ん坊に少しでも安全なものをと思うから。真摯に土づくりから取り組む生産者と繋がりたいから。今手に入るからといって、なにか起きたときの危機管理として生産者との連携を考える。そして、近所とのコミュニケーション。男にはわからないだろうな。それでも、イサムくんの父親よりはまだいい、と思う。
「いいよな、女は気楽で。仕事してるわけじゃないもんな」
と言うのだそうだ。多分、敬も同じことを思ってはいるのだろうが。


その晩みた夢は、なぜか戦時中で、敬は戦争に行っていて、空襲警報が鳴っていた。幸枝は真幸を連れて逃げなければいけないのに、そばにはあやかちゃんや沙絵良ちゃんや、たくさんのよその子たちがひしめき合っていて、大人は幸枝ひとりだった。

第1部 完

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