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小説: 虹ヶ丘3丁目青空保育園日記②

その子には、真幸を連れて行った公園で出会ったのが最初だった。虹ヶ丘ドリームコートの敷地内を出てすぐ、小道を挟んで公園という立地は恵まれていた。市が管理して季節の花を植え替えてくれているフラワーポットの隣のベンチに座る。いまは夏でペチュニアになっているが、その頃はまだ寒い時期で葉牡丹が植えてあった。そこに、背中の中ほどまで届く長い髪の女の子が駆け寄ってきた。
「おばちゃん!あやかちゃんね、今5歳。もうすぐ6歳になるの。あやかちゃんね、マジックパラダイスの歌、歌えるのよ。い〜い?歌ってあげようか。あっ、この子アンパンマンのトレーナー。あやかちゃんのスカートひらひらでしょ。ここに赤いリボンがついてるでしょ。さわってもいいよ。あやかちゃんねえ、大きくなったら後藤真希になるのよ」

やたらと「あやかちゃんね」が多くてひっきりなしにしゃべる子だった。でもまあ、真幸は嬉しそうにしているし、一人っ子の真幸にはこうやって公園で親しい友達ができるのが大切かもしれない。自分の子だけ構うことが多いと親にベタベタしたりわがままで所有欲が強く心の狭い子になったりするのではないかという心配もあった。公園で見かける子の中には、他の子が持ってきた砂場道具を貸して欲しいと言えずに泣き喚いて指差したり、自分は他の子のおもちゃを使うけれども他の子が誰か他の子の(別にその子のではない)おもちゃを使うと(それは他の子の持ち物だ!ということらしく)癇癪を起こして暴れたりする子もいてさまざまだった。母親たちは仲良しグループで固まっておしゃべりに夢中か、携帯電話にかがみ込んでメールに余念がない。子どもの泣き声がして初めてめんどくさそうに反応する。子どもは母親に構ってほしいのか余計に金切り声を張り上げる。そんな中で真幸は比較的情緒が安定していて、おもちゃを取られても幸枝を振り返って、目が合うと安心するらしくまた遊び始めるのだった。
「真幸くんはまだ自分のものの区別がついてないから楽でいいわねえ。男の子って、発達が遅くてわかってないから楽なんですってね。うちの沙絵良ちゃんなんか大変よ。賢いからいいって言われても親は大変よねえ」
などと、わざわざ言いにくる親もいた。3歳の沙絵良ちゃんは、色白の母親に似ず父親似で色が黒く肌理の荒い肌をしていた。しかし父親の二重瞼の大きな目は受け継がなかった。体つきや姿勢は時々尋ねてくる姑さんそっくりで、体操部の選手だったという母親のそれとは違っていた。母親から譲り受けたのは、細過ぎてコシがなく傷みやすいと彼女自身は嘆く明るい色の癖っ毛だけだった。幸枝は自分の重たい直毛より、ふわふわした沙絵良ちゃん母子の髪は可愛らしいと思っていたが。年子で生まれた妹の穗乃香ちゃんは色白でふさふさしたまっすぐな黒髪、目のぱっちりしたよく笑う子で、2人姉妹の下の子ということもあって母親の関心は穂乃香ちゃんに向けられがちだった。沙絵良ちゃんは母親の関心を引きたくて、ちょっとのことで、これも母親から譲り受けたらしい甲高い声で大騒ぎして泣き喚くのだった。近所の主婦たちからはひそかに、沙絵良ちゃんは「サイレン」と呼ばれていた。「また沙絵良ちゃんが泣く」とは言えないので、「またサイレンが鳴ってる」というのだった。幸枝は第2子を妊娠中だが、妊娠3ヶ月からマタニティ服を着ることにした。そうしないと(そうしても)、「面倒見のいい、子ども好きの人」と認識されているらしい幸枝は当てにされてしまい、幸枝のそばに子どもを連れてきて、「ママは忙しいからここでいい子で遊んでいなさいね〜」といって、幸枝に向かっては、「この子しっかりしてるから〜」と、意味不明の言葉を残して去っていく親もいる始末だった。どうせ面倒を見ない親なら、子どもだけで遊びに来るあやかちゃんも同じことだった。
「それが甘かったのよねぇ…」
冷めた紅茶を入れ替えながら幸枝はため息をついた。

あやかちゃんはNHKの子供向け番組が一段落する10時になると出てくるらしい。いつもはおばあちゃんと過ごしているらしかった。校区内の公立幼稚園に通ってはいるものの、行ったり行かなかったりらしい。子供服ブランドの綺麗な服を着てはいるのだが、靴下を穿かずに裸足に直に、泥のこびりついて乾いた靴を履いていたり、柔らかな長い髪をとかしてなくてくしゃくしゃにもつれていたり、暑くても冬物を着ているかと思うと北風が吹く日に薄物の半袖ワンピースで走り回っていたりと細部がアンバランスな子だった。
毎朝10時頃になると、どこからともなく「しっかりしている」と親の自称する幼児たちが現れてたむろしているが、その中でもあやかちゃんは存在感があった。
「大変なんだぁ…、ユキも。ねえ、なんか子どもの声がしてきたね」
「『青空保育園』よ。外に出ていくとボランティア保育士にされるの」
レースのカーテン越しに見ると、4〜5人の子供たちが集まっていた。沙絵良ちゃんもいる。こういうとき穂乃香ちゃんは出てこない。沙絵良ちゃんは母親によれば、「年齢よりもしっかりしている」のだそうだ。2歳になったばかりの頃から10時になると母親に連れられて出て来て、母親は、「さえちゃんはもう大きいお姉ちゃんだからね。ママは赤ちゃんのほのちゃんのお世話がありますからね」と言って帰っていくのだった。他には幼稚園の年中組だが頻繁に自主休講している龍之介くん、母親が在宅ワークで忙しい2歳のイサムくんが主なメンバーだが、時々、どこからくるのかわからない子が混じっている。日曜日の夕方、公園で7歳くらいの女の子に話しかけられたことがある。
「おばちゃん、ウチのお父さんとお母さんは朝からパチンコに出かけたの。朝ごはんは肉まんとミカン食べたの。お腹が空いた。弟と2人なの。どうしたらいいかな?」と。
それには幸枝は、
「さあ、わからないなぁ。きっともうすぐ帰ってくるよ」と答えるのがやっとだった。
我が子と同年代くらいだったために子ども同士が意気投合してしまい、家に着いてこられて帰らないので夕食を食べさせたという人もいるらしい。

美和子は聴きながら創を抱き上げて顔を覗き込んでいる。幸枝も真幸を引き寄せて、
「今日はお客さんなんだからね。外には出ないでおうちで遊ぶからね」と、膝に抱き上げた。真幸のお友達好きの性格は、カーテンを開けて外の子どもたちに手を振ったりして実は幸枝を困らせることも多いのだった。

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