インタビュー@吉武悠貴さんの出来上がり方
クラブハウスで毎朝6:00から「声話」というroomで20分の声にまつわるトークを配信している声診断の吉武さんに、インタビューしました。
声の世界に入るきっかけ
会社のエンジニアから、カウンセリングの道に入った吉武さん。
カウンセリングの仕事をするために、勉強し、自己投資し、満を持してイザ開業!という直前になって出会ったボイストレーニングの先生から「あなたは声の人だ」と言われたことがきっかけで、声の道に転向した。
最初、そう言われた時は「え?あって間もないあなたに何がわかるの?」という気持ちが正直あったという。
思えば、高校時代に演劇部で、声の仕事を夢見ていた時期もあった。しかし、ナレーターや声優の道は、ピンとこなかった。そんな忘れていた経緯もあった。
「カエルの王女さま」という天海さん主演のドラマで、ボイストレーナーが声を出させるセッションをやって、声がわ~っと出た、その瞬間に打たれ、何回も見直した。
「これをやりたい!」
吉武メソッドの源流
吉武さんのカウンセリングでは、心屋甚之助さん「心の声を言葉にして、クライアントに言わせる」という手法も取り入れている。そこでは、実際に声に出して「がんばらなくていい」などと、本音を口にしてもらう。
どんな言葉を言ってもらうかは、目の前のクライアントさんの心や体の状態にリンクして、その人の心の声を言葉にしてあげる作業をしている。
潜在意識とのリンクをして行う作業だ。
心の奥に封じ込めていた思いを言葉にすることで、パ~っと感情が消化され、軽くなっていく。そんなセッションをクラブハウスで目のあたりにしたとき、私は感動した。
そこから、私と吉武さんの出会いが始まった。
吉武さんの声診断のメソッド、ノウハウは、長年積み重ねて勉強してきたカウンセリングを土台としている。さらに、声診断やボイストレーニングのノウハウは、吉武さんに「あなた、声の人よ」と言い放った師匠から直接4年間に渡ってマンツーマンで学んできた。
習い始めて間もなく、イタリアに渡ってしまった師匠とオンラインで、毎日のように習っていた。自分のものは全部渡すと言われた。支障が帰国するたびに、セッションに同行して、実際のやりとりを目の前にすることができた。その情報を分析して、自分のセッションに生かしていた。
声だけでなく、もともとはカウンセリングで転職、開業する予定だったこともあり、習いながら同時に、カウンセリングも開業して営業していた。
最初は、ブログで集客し、次第に口コミなどで広がっていき、月に何十人も見ている生活の中での学びだった。。
インプットとアウトプットが両方同時進行するという状況を何年も続けながら、吉武メソッドが構築されていった。
運営能力
教える、導くというカウンセリングだけでなく、実際にイベントをする、資金を集める、集客する、という体験も、会社勤め時代にやっている。
勝間和代さんを呼ぶセミナーを300人規模で主催、会社を超えて、実行委員会で主体的に運営。運営の仕方を学んだ。
エンジニア時代にも、心のケア、NLPを勉強し、エンジニア向けに社内で勝手にセミナーを開催。上司も参加してくれていた。ここでは、企画、運営、プレゼン、セミナー開催、と全てを自分でやった。そのことは、その後のカウンセリング活動に役にたっている。
自分探しの暗黒時代
やりたいこともない、心がワクワクすることもない。
でも、セッションの中で「何かを頑張る人になりたい」と思っていた。
ずっと自分に言い聞かせた言葉。「今出会って初めても、70になったら、ん十年。だから、大丈夫」
資格を取りまくり、自分探しをしていた。
英検、情報処理、カウンセリング、等々、沢山の資格を取りまくりながら、自分探し。
道半ばで結婚、結婚し、起業。数年は、旦那さんに「起業前の方が良かった」と言われていた。
その後、出産。1歳と3歳の子育ての真っ最中に、夫が単身赴任。9時から4時まで働きながら、独りで子育て。
子どもを保育園に預け、1時間半の通勤。
駐車場で、ごねる子どもたちを前に途方に暮れる吉武さんを見かねて、近所のおじいちゃんが、夕飯を作っておいで、と子守をしてくれたりしたこともあった。
ママ友との協力体制があった。
忙しい時に、お互いに子どもを預け合って、ご飯からお風呂まで、面倒を見る、おかずを持っていく。など。
暗闇の中の光
母から言われた「あなたは絶対に幸せに生きる」と言われ続けた。
父はちゃぶ台をひっくり返して怒るタイプだったが、自分のことを愛していると信じていた。
自分の世界を愛していた。周りに理解されないこともあったが、基本、自分は幸せだと、どこかでいつも思っていた。
【これからの野望】
これまでは、30代40代を対象、マンツーマン対面からの
クラブハウスへの移行だったが、これからは、
大人数セミナーを開催したい。
全世代、全国に声のメソッドを伝えたい。
海外にメソッドを出していきたい。
【気分が落ちた時の対処法】
2種類ある
心の癖で落ち込んでいる時→自分を分析して、傾向と対策を講じて、癖を変えていく。
心の癖として、愚痴っている場合は、やめた方がいい。
ど~んと来た時は、落ちきることで次のステージに上がれる時
しっかり感じて出してあげる→好転反応
声にする、言葉にする、掃除する、叫ぶ、など、しっかり受け止めて、出し切ってあげることが大切。
弱い部分の時に、心が負けてしまう時
物理的に変える。移動する、服を変える、
なまけ心を100%受け入れる、もしくは、ガラッと変える。
【声が先か、性格が先か】
おどおど、びくびく、の小心者の自分、周りの気持ちを気にしてしまう。
父親への怖さを解消をしていく心のワークをずっとしていた。
怖さを感じると、のどに力が入ってしまい、うわべから声が出る感覚、自分と一体化していない感覚。そこへの違和感を解消するために、ボイスとレーニンに通った。
怖さを解消するワーク
手のひらに怖い父を乗せて、怖い顔をしてみている父に着せ替えをする。セーラー服を着せて、おかっぱにする。実は、困っていたんだ。自分の感情を取り扱えない困っていた父が、セーラー服でだんだん楽しそうな顔になって、スキップして遠くに行ってしまう。
声を変えたら、性格も変わる。本質は変わらないし、変えなくていい。
癖の部分が変わる。
簡単できる変え方。頬を上に引き気たまま、息を吐いて、ニコッと笑う。この状態だと、暗いことは変えづらい。
【誰に届けたい?】
もともとは、30代40代を対象にしていた。
父へのワークは、自分の中でのワーク。
自分の中での対象は、ずっとぶれなかった。
自分の天職探しで苦しんでいた時期、30~40代の女性を対象としていた。
20代の不確定要素に悩む時期から、女性は、
結婚、出産など、自分の未来がある程度見えてきて、ぽっかりと悩む時期。
【セッションでうまく導けなかった時はあるか】
相手に引きずられることはないが、相手が今、受け取るタイミングではない、ということはある。
相手の窓口の広さに合わせて、与える情報を選んでいく。
自分の感情の揺れは、セッションではない
プライベートでは、子どもや旦那さんに揺らされる。怒り爆発、言った後は、ちゃんと謝る。
怒りは、行動のモチベーションになる。
自分は、怒りから発動することがないので、どうしてもゆっくりしてしまう。
「花が咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」マラソンQちゃんの監督の言葉。
【こどもにかける言葉は?】
大人の考えはみんな違うんだよ
いつも正しいとは限らない。みんな違う。
それを言いながら育てると「お母さんはそう思うんだね」と子どもが受け止められるようになる。
【家族との会話で声は変わるのか】
子どもと遊ぶ時は、全力で遊ぶので、一緒になって真剣な声になる。
セミナーの時、初対面の時、場面によって、声が変わる。
自分がどう思っているか。が大事。それが原点になっていて、声が変わっていくのは、ごく自然なコミュニケーション能力だと受け入れている。
【相手によって変わる自分の声から自分の気持ちを知る】
本当の気持ちがわからない位、自分の気持ちを閉じ込めていた時期があった。
好きじゃない気持ちは、差別ではなく、区別である。
すごく好きではない人たちのことも、すごく好き。
もっと好き、超好き。と、区別する。
もともとの自分は、自分の気持ちに合わせて、地味な服、黒、白、茶、紺、以上、だった。
先ず、会社を辞めた。
デパートの1階が怖くて近寄れない。自分の身なりや外見が不相応な場所だと思っていた。
「声と心のひまわり工房」笑顔の人を増やしたい。
服を変えた。黄色い人になった。
黄色い人、声やゆうきんです。というトレードマークが1年半。自他ともに認識されるようになった。はじめて、髪型も変わってきた。
その後、1年間、着物を着たり、髪の毛を変えたりした。
会社を辞める前の写真、直前の写真、など、すごい変化。
ヘアスタイルも、お任せから希望を言語化できるようになった。
1年かけて、右半分刈上げにした。
内面が伴わないと、しっくりこないので、時期を待てと、言ってくれる美容師さんと出会った。
何もないつもりでも、絶対にあるので、少しずつ、自分の答えを言えるようになってきた。
洋服選びも同様。
微妙だけど、違う、とか、それを思い切って「違う」と言える。
【戸隠神社の山籠もり】
世界を変えようという思いはなかった。
コロナ渦で、それだけでいいのか、という重いが強くなっていた。
行きの雪道は、過去のことへの思い出や感謝を考えながら、歩くと言われた。目の前の足跡を辿ると楽だということに気づいた。
悟りの道。
感謝があふれて生きた。
上で営業している人たちへの感謝、気づき。
コンビニまで30分以上。
助け合いで成り立ってる世界を実感しながら、誰もいない雪道を歩く。
誰も知らないところへ来て、交わす言葉のやさしさで心が明るくなる。
目の前の人しか意識していなければ、そこで終わってしまう。
そこでの気づき
今、すごいスピードで変わっていく世界、オンライン化、AI化。
私たちの生き方も変わっていくけど、やわらかな会話や人生を楽しむということは、変わらない。本来変わらないものを大切にするためにも、変わりゆく世界も知っていかなければ、と思った。
学校教育の構築、政治、医療など大きな形は急には変わらない。変え方もわからない。
クラブハウスでどうしたら、心地よくいられるのか。
世界は変わり続けるのが当たり前という前提だとしたら、
自分自身も変わり続ける変化をクリエイトしていくことが当たり前だということ。
変わっていくことで、変わらない大事なものを大事にするためにも、変わっていくこと。
変化をクリエイトすること、教えていくこと、伝えていくこと、
それぞれの得意分野を伝え、不得意分野は助け合う
それぞれの立場でできることをやっていくこと。
自分の感覚に基づいて、自分の変わりゆく世界を常に居心地よくしていくこと、やりたいことを見つけていくこと、
声と心、幸せな生き方、自分を生かしていく、行動につなげる、という自分の得意分野、それすらもどんどん変わっていく。
専門としている自分が伝えようとしなければ、誰にも伝わらない、と思った。
【そもそも、何故戸隠】
1年前に初めて行った時、体重く、二重に見えて、大変な感覚で歩いた。もう二度と行きたくないと思う位、大変だった。
この2月、「どこかいった方がいい」と友人に言われ、閃いたのが戸隠。
そんな経緯で、1人で宿坊を予約して、出かけた。
声を始めて知ったこと
高校時代、仏教学校なのに、宗教に対する嫌悪感が強くて、仏教の時間は毛嫌いしていた。
見えるものしか信じない。
という性格だった。
それがいつの間にか、
地に足つけて現実に存在しつつ、見えない世界を言語化している。
セッションで、声から、過去から前世まで見えることもある。
パッと声を聴いて、前世からの持ち込みだとわかる時がある。その時は、その声をセッションすると声の症状ブロックが治ったりする。
それを信じるかどうかは人それぞれだが、1つ確かなことは、
声を出しているのは、今を生きている自分。自分の体。
ということだ。すべては今の自分が起こしていること。
声を変えれば、モードも変わるし、モードが変わる服を着れば、声も変わる。
全ては変わり、しかし変わらないものがある。その変わらない大切なものを守るためにも、変わり続けることが必要な時代。
インタビューroom
突然閃いて、そして自分自身の好奇心と、「これはほかの人にもシェアしたい」という気持ちで立ち上げたインタビューroom。急遽、aicoさんに共同主催者になってもらい、前日の打ち合わせで大笑いしてからの、朝のスタートだった。
この吉武さんの話を聞いて、声を聴いて、何か心の重さが取れたと、前に進めたとか、閃いたとか、そんな1歩が動き出したなら、とっても嬉しい。
起業やコンサルで活躍する皆さんも、最初の一歩は、自分の声を発信することなのだ。そんな大それたこと、なんて思っている皆さんも、自分の世界の中で、自分らしく、自分の心の声を気持ちよく発信していけること、それが幸せへの第一歩なのだ。
3月11日の今日、あの時、福岡のママ友を巻き込んで、被災地支援にデパートまで動かした吉武さんが惜しみなく披露してくださった人生の片鱗を、ここにメモ代わりにお届けする。
これが、どこかの誰かが手探りで進んでいる雪道の目の前の小さな一歩の一助となってくれたら、とても嬉しい。
謝辞
最後に快諾してくれた吉武さん、aicoちゃん、roomで視聴してくれた皆さん、勇気を出して質問の手を挙げてくれた皆さん、本当にありがとうございました。皆の力で作れた奇跡の3時間半でした。クラブハウスでは名も無き私の突然のroomに、50名近くの方々にお集まりいただき、本当に本当に、感謝している。ありがとうございました。
また、閃いたら、お届けするので、その時は、閃いたらぜひ、閃いた人も誘って、来てくださいね。
素敵な1日となりますよう、心からお祈りしています。ではでは、またね!