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小説公募について今思うこと

私が悔しいのは、「書きたいように書けない」ことではなく、「いまだに書きたいものを思い切り書けていない」からだ。
何度書いてもうまく書けないと落ち込んでいるのではない。何を書いてもそこそこ巧く書ける。推敲だって5、6回はするから、誤字脱字は絶対にない!と言い切れる。けれど、完璧なテキストに仕上げた時に、これがこんなに身を粉にして描きたかったことか?と自分に問うと、どうしても首を傾げてしまう。目の前にあるのは、面白くない、つまらない文章のつらなりだ。そんな創作がここ数年続いている。
それはそもそも「これといって書きたいものがない」からかも知れない。自分の中から必然的に湧き上がってくる「これを書くんや!」って気持ちが皆無だ。アンテナに引っかかったものを小説にしていくーーそういった執筆スタイルは、そのネタによほどのめり込めない限り、良いものにはならないだろう。
だったら、小説なんて書かなくてもいいんじゃないか。2000作品も集まる中には芥川賞に即ノミネートされる作品が10作品くらいはあるだろうし。60歳にもなった私が書かなくてもいい。
それでも書きたいなら、単なる趣味だと割り切るか、もう少し覚悟を決めて自分を追い詰めるか(今以上追い込むことができるのか自信がないが……)、どちらかしかない。
さて、どれを選ぶ?
①もう書くのはやめる
②創作を趣味にする
③真剣に公募を続ける

さあ早く選んでよ、自分。

自分のことを買い被っているかも知れないが、私は偏差値65の人間だ。たぶん、がんばって努力すれば、得意だなと思う分野の能力は偏差値65くらいまでは誰でも行けるのだと思っている。(言い方を変えるといくらがんばっても65以上行かない)
では、新人賞を獲ることは偏差値いくつなのだろうか?芥川賞を獲るには?
それは断定できる。偏差値ではない。がんばったから、努力したから、獲れるものではないだろう。だから私はダメなんだ。努力して頑張ってはいるけど、不必要な部分にばかり力を注ぎすぎている気がしている。
大切なのは「自分が書きたいのは何なのか」を明確にすること。文体を攻める、でもいい。トレンディなテーマと向き合う、もありだ。ミステリアスな純文学とか、『百年泥』みたいにマジックリアリズムに突き進むとか……
「すごいものを書くぞ!」という意気込みが空回りして、頭で考えることが欠如している。そのためいろいろな要素がぐちゃぐちゃに詰め込まれているだけの、小説とも言えない殴り書きみたいな、単なる文字の排出になってしまう……

少し頭の中を整理しようと思う。考える時間が必要だろう。


万条由衣


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