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こんな冬は悲劇的だ

・・・・・・私の記憶はみな何かの季節の色に染まつてゐる。それは、映畫のフィルムの一齣づつがいろいろな色を持ってゐるやうなものであるが、その記憶のフィルムの色はいつも正確な暦の上の季節と一致してゐるといふわけではない。夏の日の出來ごとが秋の感覺を伴つて想ひ出されることもあり、秋のことが晩春の甘い色に染まつて想ひ出されることもある。

阿部知二『冬の宿』
冒頭部分

昨晩から静かに振り続けた雨は昼過ぎに止んだ。洗濯物を室内に干したせいか、ジメジメとした心地悪さすらある。梅雨の緑のような清涼剤は無論ない。エアコンの乾燥を起動させて家を出る。

大阪駅前行きのバスに乗る。目を引くものも何も無い、ただ雑多な街並みが後ろへ過ぎ去ってはまたやってくる。この車窓の眺めには曇りがお似合いだ。雨でも降っていれば更に良かったかもしれない。

長柄橋を渡る際、幾本もの橋が架かる淀川に目をやる。両岸を埋める背の高い植物ら(ヨシだかアシだか)が、古来より続く風景の面影を残す。美術館や史料館でよく目にする俯瞰図と重なる部分も。この河川のありのままの姿はさぞ綺麗なのであろう。

喫茶店にて阿部知二の『冬の宿』を読んだ、読み終えた。主人公のその緻密な他者分析・自己分析に案内されるようにして、他の登場人物らと同じくゆっくりと沈んでいく、そんな感触があった。

物語の中に高という人物が登場する。朝鮮からやってきた医学士の男である。異質でどこか浮いた存在であり、本筋に関わるような役割はなかったものの、彼と〈私〉との関係性がどこか魅力的に映る。

「こんな夜は罪惡的だ。」

彼は呟く。虚で塗り固められたように見える彼の、心情の吐露—

日もとっぷりと暮れてから。スカイビルの〈シネ・リーブル〉へ向かう。光で装飾された階段を下る。段差の両端をカップルらが疎らに陣取っており、下の広場には期間限定であろうスケートリンクが設置され盛況なご様子。

階段の真ん中を通った。今の自分にはしっくりこなかった。例えば恋人と別れるなどしたのちはしっくりこよう。寂しい、侘しい景色を無意識に求めていた。グランフロント前からスカイビルまでの閑散とした歩道は居心地宜しい。

私は悲劇的な感傷に、状況に惹かれているのだろうか。求めているのだろうか。Seu Jorgeのアルバムを聴いていた。映画『ライフ・アクアティック』の好きな場面が思い浮かぶ。フィクションの中の出来事、憧れのシチュエーション。モノに溢れたこの時代、平坦な人生に幸せを。

この日観た映画は典型的な悲劇だった。あくまでプロット面でしかないが。ポーランド・オランダ・エストニア合作の『ノベンバー』、北欧を舞台として愛おしい世界観が紡ぎあげられていた。死者の復活、悪魔との契約、謎の儀式、変身、喋るモノ。いわば土着信仰とキリスト教の融合した地方のおはなし。ファンタジータッチではない。

(C)Homeless Bob Production,PRPL,Opus Film 2017

前日に読んでいた本が柳田国男の『日本の昔話』であったからだろうか。序盤から終幕までじっくりと世界観に浸ることができた。宗教と結びつくからこそ生まれる陰鬱な空気感と、自然界と超自然の世界が溶け合っているような不安定さが終始モノクロの画面に漂う。

愛に悶え、愛に生きる、愛がために。そんな純情且つ情熱的な若者たち。悪魔や魔女や使い魔等、超自然的性格を持つものよりも、よほど幻想的に見えた。それにしても素敵な文化があるものだ。使役できるモノを錬成できた暁にはどうしようか。もう寝よう。

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