嵯峨嵐山ルネサンス
待ちに待った1月28日。福田美術館の展示換え期間が終了し、展覧会〈日本画革命 ~魁夷・又造ら近代日本画の旗手〉が始まる。
東山魁夷だけでも、加山又造だけでも、横山大観だけでも観にいきたいというのに、何という我得欲張りセット。前世でどれだけの得を積んだのであろう。皆、私に感謝していただきたい。
詠嘆を禁じ得ない。一枚一枚にうっとりと見惚れる。東山魁夷と加山又造に関して、これだけの数の作品を、ゆっくりと時間をかけて眺めたのは初めて。やっと出会えた...
ふと手元の時計に目を移す。まずい、文華館が閉館してしまう。共通チケットの買い損だけは御免だ。ましてや宗達が手掛けた伊勢物語図を見ずして帰ることなど出来ぬ話よ。
ということでお次はほど近くの嵯峨嵐山文華館へ企画展〈絵で知る百人一首と伊勢物語〉を観に行く。
所蔵元の多くがが福田美術館ということもあり、バラエティ豊か且つ凄味のある作品が並ぶ。そして目を引くのがその展示方法。
このように『伊勢物語』の一節を引き、その内容に応じた絵画作品を展示するといった手法。順路を進むことで物語が進む。物語、歌、絵画と様々な角度から作品世界に深く浸ることが出来る。
そして宗達。豪華絢爛極まれり。繊細な筆致で柔と剛を描き分ける。これほどまでにこの作品を見たかった理由こそ、辻邦生著『嵯峨野明月記』である。
〈嵯峨本〉の制作を主題とし、当時の王朝ルネサンスなる潮流が如何にして生まれたのかが描かれる本書。その視点が置かれているのが光悦、素庵、そして宗達の3人である。
流麗な文書上に散りばめられた燃ゆるような美。夢中で読み耽った。宗達の伊勢物語図を前にして当時の熱を思い出す。念願が叶った時間でもあった。
通りも閑散としてきた帰り際、薄く桜色掛かった雲が、背後の冷やかな空とともに水面に映る。流水音は時の忘却を許さない。この世界は美しい。
嵐山を訪れたときのお決まりと化している場所 一 London Booksにて本を買って帰ることに。高見順〈如何なる星の下に〉/泉鏡花〈薄紅梅〉/澤田瞳子〈腐れ梅〉/葉室麟〈嵯峨野花譜〉/柳田國男〈海南小記〉/海野弘〈アール・ヌーボーの世界〉の計6冊。
相変わらず感化されたセレクト... 次の訪問もそう遠くないだろう。
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