絵と詩と映画
[絵のこと]
三日ほど前、企画展《橋本関雪 生誕140周年 KANSETSU ー入神の技・非凡の画ー》を観に福田美術館と文華館に足を運んだんです。写実的な描写で、和漢の伝統的題材を扱った多くの作品、それがもう新鮮で。
言うなればモードでいてストリートでもあるような一一これは例えが悪うございました。まぁ、そんな多くの作品の中でですよ、私が惚れ込んだのが透き通った"蒼"或いは"翠"の華麗さでございます。
中でも下の作品に見られる類の刺し方、と言うのでしょうか。 このさり気なさに溜息をも伴った感激が我が身を包むのでした。
東山会場にも行ってみたいですね。
[詩のこと]
この間、自宅で『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』を観ていたところ、定時制高校の授業の場面である詩が取り上げられていたんです。その詩はこんな形で結ばれます。
なんだか久し振りに聞いた気がして、記憶を漁ってみたのですが、思い出すのはやはり『ポケット詩集』でした。実家から当該詩集のⅡは送ってもらっていたので、開いてみたのですが見当たりません。ただ、ボールペンで書き殴ったら落書きが、なんだか懐かしかっただけで。
このポケット詩集、こちらもⅡには収録されていなかったので、ナンバリング無しの方に入っているのでしょうが、《I was born》という詩も深く胸に残っているんです。母のお気に入りだったとも記憶しています。
次の日、久々に『ポケット詩集Ⅱ』を開いて、パラパラと読んで。この本を作った人の、詩に対する想い、願いが伝わって来ました。
[映画のこと]
ジャック・ニコルソン主演でハル・アシュビー監督作『さらば冬のかもめ』を観ました。薄暗い時代の、鬱屈とした息苦しい、そして救い無きことを道理としたかのような物語で。なるほどアメリカン・ニューシネマの傑作と謳われるのにも頷けます。
合間に度々挟まる軽快な音楽、笑いを誘われる可笑しいやり取りに流されるように、予期していた通りの結末を待つという、半ば冷淡な描き方は、ラストシーンに分かり易く為されているようにも感じました。
少し上では"薄暗い時代"と表現しましたが、この朧気とも形容しましょうか、人物あるいは社会の照らし方も秀逸でございまして。南無妙法蓮華経の若者らの底抜けの快活さ、娼館で垣間見える"生"なる意志。絶妙な明度と言えましょう。
緩い空気感の旅路の中で目を引くのはメドウズ青年の成長でしょう。生き方を教えられ、それ故に葛藤する描写はちょびっと切なく。決断のシーンなんかは私的名場面のひとつです。
いやあ、いい映画と出会えたものですよ。偶にこういうのがあるから、漁るのが辞めれなくなるという、そんなもんなんです。それにしても趣味が良い邦題ですよね。