月と六文銭・第十四章(64)
工作員・田口静香は厚生労働省での新薬承認にまつわる自殺や怪死事件を追い、時には生保営業社員の高島都に扮し、米大手製薬会社の営業社員・ネイサン・ウェインスタインに迫っていた。
田口はターゲットであるウェインスタインの上司・オイダンに狙いを定め、二人きりになるチャンスを作ろうとしていた。部屋はまずいので、車で出かける機会を作りたかったのだが…。
~ファラデーの揺り籠~(64)
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***現在***
ベッドの隣のスタンドにさりげなく置いてある髪飾りも、反対のスタンドにきちんと畳まれているブラジャーに入っているワイヤも綺麗に着飾る装飾品から瞬時に殺人用の道具に変わることを武田は分かっていた。
「いや、機嫌は悪くならない」
「けど、殺意が湧く、のかな?
例えば、こっちの髪飾りをあっちにはらって、アタシの下着から首絞めワイヤを先に取り出してアタシの首を絞めるとか考えちゃうんでしょ?」
武田が目をぱちくりさせた。武田の頭の中をよぎったイメージはその通りだったからだ。まず田口の頭を枕に押しつけて反対の手で髪飾りを遠くにはらい、馬乗りになる。こうすることで田口と自分の睾丸の間に空間ができず、睾丸を蹴られたり、殴られたりしない。顔、胸、肩、腹は殴られるだろうが、数発は耐えられるはずだ。その間にサイドテーブルからブラを取り、中の仕込みワイヤを取り出して、全体重を彼女の首にかけて、窒息させる。バタバタするだろうが、致命的な武器を持っていなければ、勝てる可能性がある。さすがに田口も裸では武器の隠しようがないから。
「哲也さんの目の動き、今、見ちゃったもんね」
そう言って田口は武田の頬に手を添え、自分を向かせた。
「大丈夫よ。
アナタを殺すことになったら、ちゃんと予告するし、後からアタシも死ぬわ」
「そういう展開は来ないよね?」
「来ないと思っているけど?
ただ、来たら、アナタは枕の下と床に落としてあるタオルの中に隠してある武器に全然気が付いていないから、間違いなく、アタシには勝てないわ」
武田は、しまった、という顔をした。
田口は、どうしてこの人はすぐに顔に出るのだろう、と思った。私が相手だからなの?仕事場ではポーカーフェイスで厳しいこと言うし、面白いことも言うとガールフレンドののぞみが言っていたから、赤の他人の前では平気で嘘もつくし、喜怒哀楽をはっきり表に出さないのかもしれない。
「そうだね、君には勝てないな」
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武田は寂しそうな眼をした。好きだ、惚れた、独占したいと言いながら、何かあったら冷静に相手を殺してその場を去ることができるよう状況分析をしている田口に安らぎというものがないのだろうと武田は思った。それを可哀そうと表現するのか、生き延びるための知恵と表現するのかは互いの考えの違いだ。
田口はそのまま武田の顔を引き寄せ、キスした。
「アタシを武器で殺すんじゃなくて、愛で仕留めてよ」
「それなら、君の心はもう僕の物だから、勝ったも同然だな」
「しまったぁ!確かに!くやし~」
田口はハハハと笑って、機嫌を直した。やっぱり私はこの男が好き。スナイパーとしては超一流だけど、正直、工作員ならば不合格、隙が多すぎてすぐに敵対する組織に殺されてしまうだろうと感じている。
あ、そうか、武田は基本的にはずっと日本にいるから、どうしてもスレスレのところで生き抜く感覚が違ってくるのだろう、と田口は思った。もちろん、武田は工作員ではないので、自分と同程度の注意力などを求めるのが間違いなのは分かっている。
彼は日本では存在しない種類の人間であることが最大の価値なのだ。表向きは真面目なやり手のビジネスマンで学歴も職歴も良く、地位は高く、相当稼いでいて、いいところに住んでいて、可愛い彼女、あ、彼女ってのがアタシじゃないのがちょっとだけ悲しいんだが、がいて。本当に「まさか、あの人が?」のまさかの典型なのが、この男。
私が殺人の現場で捕まったら、逃れようがない、直接手を下しているのだから。だからこそ、この男のように私達工作員のアリバイが成立するように、距離のある狙撃を成功させる人間が必要なのだ。彼の場合、不可能を可能にしているケースもあるのでしょうけど、大切なのは難度が超高い狙撃を成功させるだけで警察などは匙を投げざるを得ないこと。そこで私達工作員への追及もストップするのだから。
大阪のバックトゥバック(=2案件同時実行)がそうだった。彼の正確な射撃による交通麻痺が予定通り始まらなかったら私のミッションは成功しなかっただろう。いや、1つ実行したところで捕まっていたはずだ。それが、2件とも滞りなく実行できて、成功し、私も何事もなく現場を離れることができたのは彼のお陰だ。しかも、彼のような存在に誰も気が付いていないから、交通麻痺は事故と判断され、2つのターゲットが亡くなったのは偶然で片付けられた。長距離狙撃手にできる最大の魔術は、必然を偶然に変えることと言える。
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***再び回想へ***
高島都はちょっとアクティブに見えるようパンツルックで地下駐車場に降りていった。オイダンは20時きっかりにエレベーターの前の駐車スペースにフェラーリを移動させておいて、エレベーターの扉が開くのを待っていた。
チーン♪
エレベーターの扉が開き、少し胸を強調した服の高島が降りてきた。ジャケットの下はTシャツで、高島の胸がそれを突き上げていた。高島は軽く胸を揺らしながら駐車場を横切り、フェラーリの助手席から覗き込んでオイダンに話しかけた。
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ファラデーの揺り籠(Vol.4)
CIA工作員・田口静香が営業ウーマン高島都に扮して、謎の能力を持った製薬会社営業マン・ネイサン・ウェインスタイン(実は元軍人マーク・ウェス…
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