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天使と悪魔・聖アナスタシア学園(28)

第二十八章
 ~インキュバスを止めるには何を差し出す?~

 マサミは旧図書館の食堂の真上の部屋に五芒星の方陣を描き、ろうそくを立て、順に火を点けて東側に座った。

「大天使ルキフェル様、アナタの忠実なしもべであるマリア・フェライヤ・マサミンでございます。
 今宵はお聞き届けいただきたいお願いがありまして、方陣を組ませていただき、結界を閉じました。安心して降臨ください」
「マサミンとやら、儂に何の用だ?」
「私の心の友人であるユーリカウが、ユータリスと名乗るインキュバスに日に夜に悩まされて、心の不安を重ねているため、その心の苦労から解放してあげたいと思い、ご相談申し上げています」
「何事だ?
 儂はユータリスなどというインキュバスを知らんぞ」
「私めもお会いしたことはありませんが、ユーリカウは彼に誘惑され、交わり、その子を身籠るよう仕向けられています。
 どうしたら、それを止められますか?」
「マサミン、お前はよく勉強しているようだが、人間は悪魔の子を身籠ることはできないぞ。
 儂のような天使の子ならば可能だが」
「はぁ、それは存知ています。
 しかし、ユーリカウが言うには、人間の女性としてはちょうど身籠りやすい時期の今、そのインキュバスに、朝も夜も幾度も交わりを強要されていて、心身ともに安定を欠いていると申しております」
「マサミン、聞くが、そのユーリカウは何故インキュバスと交わっておるのだ?」
「降霊の会でユーリカウは憧れの学園の先生を降霊させ、西の部屋で交わりました」
「それは問題ないと思うが。
 多くの者が降霊で自らの欲望を満たそうとしてきたからな」
「実はその後、ユーリカウは降霊ではなく、実生活で欲望を満たそうとしてしまいました」
「そして、そこをインキュバスにつけ込まれて、交わりを強要されていると言いたいのか?」
「は、おっしゃる通りです。
 私たち人間は弱い生き物で、欲望には勝てず、少しでも悪魔の囁きに耳を傾けてしまい、行動は易きに流れてしまいます」
「ほお、悪魔の囁きとお前は言うが、それはその者の心の中の弱い部分の発露ではないのか?」
「その通りです。
 残念ながらユーリカウは自分の欲望に負け、ユータリスを受け入れてしまいました」
「ならば儂にできることは何もないぞ。
 ユーリカウと申す者が誘惑を断ち切り、自律するしかない」
「は、そうしようと努力しておりますが、その度に行動を制約され、気持ちが中断し、記憶が失われて、適切な対応のタイミングを失っております」
「ん?
 お前の言わんとしていることが儂には伝わらん。儂にどうしろというのだ?」
「は、私めの浅はかな知恵では、ユーリカウが自分で正しい行動をしようとするたびに記憶を失っているのは、本人の責に帰するものではなく、インキュバスが彼女の生きている時間軸をいじって、思い通りにさせていないように思えてなりません」
「儂にそのインキュバスを止めよ、というのか?」
「ユーリカウも私めも大天使ルキフェル様の忠実な僕であって、他の天使にも、他の悪魔にも心を許したつもりはなく、これからも許すことなど有り得ません。
 しかし、他の天使や悪魔が我々にかかわりを持とうとした場合、そうしてもよろしいのかルキフェル様にお伺いを立てるのが筋と考えます。
 そして、こうして、まずは私めからご報告いたしました。
 もちろん、ユーリカウ本人からも現状報告をさせるつもりです。
 しかし、他の天使や悪魔が我々に手を伸ばすなら、それはルキフェル様への挑戦とも受け取れる行動だと思います」
「それはそうだ。
 お前は儂に永遠の忠誠を誓うつもりか?
 儂の言うことを一言一句守れるか?」
「これまでもそうしてきましたし、これからもそう致します」

<待てよ、この小娘、何を言っているのだ?儂がお前と話すのは初めてで、この島国に降り立ったのは九百年か一千年ぶりだぞ。前回はこの国の為政者に頼まれて、暦の作り方を天文方の賀茂かもの何某なにがしに伝えたきりのはずだ>

 安倍晴明が実在したか確証はないが、その師匠筋の賀茂家は実在したし、天皇の指示を受けて暦を改訂した陰陽寮は当時暦の管理を任されていた。
 日本での暦の大きな改訂は貞観4年1月1日(862年2月3日)に大衍暦たいえんれき五紀暦ごきれきから長慶ちょうけい宣明暦せんみょうれきが行われ、次が江戸時代中期の貞享元年(1685年)12月30日に貞亨暦への改暦だった。

<ちょうどこの時、バチカンでは『聖天使大辞典』の次の版の最終確認中で、儂が日本の江戸幕府の天文方(暦改定担当部署)に意見を出して改暦を手伝ってあげていた部分の記載が間に合わなかったのだ。
 次の改訂の時には儂の行動が記載されたが、二百年近くもバチカンはどうやって日本が自分で改暦したのかを不思議がっていたなぁ>

「マサミン、お前は儂に忠誠を誓っておるな」
「は、おっしゃる通りです」
「儂はお前の望みを叶えてきたな」
「は、これまでは、私と私の友人たちの望みを全て叶えていただきました」
「ならば、お前は儂の望みを叶えねばならんのぉ」
「は、おっしゃる通りです。
 大天使ルキフェル様は何をお望みでしょうか?」
「儂は今、お前を所望する。
 西の部屋で儂と交わり、儂の子を産め」

 マサミは体が震えて目の前が暗くなった。もしかして、ユリはどこかでルキフェル様と約束をしてしまったのではないか?例えば、自分の身を捧げるとか。時間を捧げる約束は皆の前でしたもので、これ自体は参加者全員が平等に求められたもので、全員が時間を捧げることに問題はなかったはずだ。そういう約束で降霊の会に参加したはずだ。
 しかし、私の知らないところで、例えば個室に入っている時に何か別の約束をユリはしたのだろうか?
 いや、それなら、サクラもスミレも何か約束をさせられたのだろうか?

「は、そのようにルキフェル様がご所望ならば、このマサミン、お応えいたします。
 しかし、その前に心からの友人、永遠の友と思っておりますユーリカウをお救いください。
 その為なら私はこれからもすべてルキフェル様の望む通りに致します」
「何故、儂がお前を欲したか分かるか?」
「友人を救いたい私の決意をお試しなされているのかと考えます」
「くだらん。
 その程度のことにいちいち乙女の純潔を求めるほど儂は人間の女性が欲しいとは思わぬ」
「では、私のお願いはお聞き届けいただけませんか」
「違う、お前は儂が神の子だと理解しているか?
 儂は大天使ルキフェルぞ。
 儂が何を望んでいるか、お前が目を通した聖典には記述がなかったか?」

<ごめん、ユリ、皆、やはり私一人では神に最も近い大天使を説得できそうにない。彼にお願いしたらユリを守れると思ったけど、自分自身すら守れそうにない…>

 ハッとして、マサミは飛び起きた。新教会堂の『西の部屋』に相当する旧教会堂の『泊まりの間』の東から六番目の寝台に横になっていた。

<ルキフェル様は私と交わることを求め、私はそれに応えられなかった。ユリを救うため、この身を捧げることくらい何故できなかったの、私。どうして躊躇したのよ!>

 この寝台は東から六番目、そう神がモーゼに下された十戒の六番目、「汝、姦淫するなかれ」を表している。

<どういう意味なの?私を六番目のベッドに寝かせておいて、私と交わらなかったの?「姦淫するなかれ」とは何が言いたいの?私は大天使ルキフェル様以外とは交わってはいけないということなのかしら?>

 マサミはゆっくりと寝台から出た。着衣にも肌着にも一切乱れはない、つまり、大天使は本当に何もしなかったようだ。その変わり、何もしてくれないのかもしれない。それは私が彼の望みに応えなかったから。確かめた方がいいのだろうか?次に降霊する時はユリもスミレも同席させないと。

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