凡ミスほど、じわじわ痛い
主催したオンラインイベントが無事終わって、テンション上がったまま収録動画の編集をし、変に眠れなくなって深夜に終了報告と御礼を書いて送信した。
ポチっとした瞬間、メールアドレスの設定ミスに気が付いた。。
心の奥がギュっとなる。。
え?え?送信、間違えた?え?取り消し、送信取り消しってできたっけ・・?
送ったメールは取り消せない。やったことは無かったことにできない。
夜更けに頭が空白になる。
数分後、一旦、短く簡潔な送信メールの削除依頼を送った。
とりあえず寝ることにした。
もちろん、ぐっすり眠れるわけない。
快晴なこともあって、ベランダから日差しが入ってくる。
前々からやろうと思っていた鉢植えの手入れをした。
土をいじり、箒で掃き掃除をしていると、心が落ち着いた。
しかし、部屋にもどれば元の木阿弥。無かったことにはできない。
私は子供の頃からケアレスミスが多かった。
悪気はないけど雑で無神経な人間なのだ。
勉強は普通にできたのに、凡ミスで失敗することはたくさんあった。
後から気づいて、なんでこんなことで間違うのか、自分を責めることは多かった。
特に、学生時代のテストというものは、正真正銘、自分の責任なので、ミスも自分で引き受けるしかない。
しかし、社会人になってチームで仕事するようになると、ある程度、仕事の手順というのは用意されているうえに、上役というものがいるので壊滅的なミスはしないで済むようになっている。(とはいえ、請求書の書き間違いとか、自分の手間を増やすようなことはよくやって、自己否定に拍車をかけるOL時代だった。。)
今回、失うのは自分の信頼だ。自分自身に対する他者からの信頼と、自分自身に対する信頼。どっちもキツイ。50近くにもなって、こんな凡ミスをする自分に失望する。この脇の甘さは、責任のある立場を逃げてきたツケだと思っている。これを先送りには、もうできない。失敗して、受け止める。失敗して、立ち上がる。本来は、20代、30代で自分を鍛錬すべき時代に、目をそらしてきたこと。ホント、他人から呆れられても仕方ないし、何より、自分で呆れる。
でも、ここで自己否定の沼にハマり、チャレンジする心を失ったら、あと30年の人生をドブに捨てることになる。もう逃げられない。
関係諸氏に再度謝ることしかできない。さあ。
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BCCではなく、個別にお詫びのメールをお送りした。私らしい言葉で、慇懃無礼になることなく、私の気が済む丁重さで。
本来は、「私の気が済む」ではなく、相手先の「気が済む」内容で書くべきなのだろう。でも、何をもって「丁度よい」重さとするか。それは結局、自分で決めるしかない。自分が気持ちよい重さ=相手も気持ちよい重さ、であるかどうか。釣り合わないのなら、自分の信頼を損なうことを覚悟してボールを投げるしかない。その繰り返ししかない。
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いつもBCCで送っても何の反応もない終了報告/御礼メールなのに、個別にお詫びのメールをお送りしたら、意外なことに、よい機会でした、お疲れさまでした、の返事が届き始めた。
私を取り巻く世界はあたたかい。
世界と私への信頼感がひとつ増した。
自分の言葉で生きる。
自己肯定感を養っていくには、これしかないんだろう。