今月観た映画『万引き家族』


カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した言わずと知れた作品。
やっと観ましたよ(^-^)
ネタバレ含みますので、まだ観てない方はごめんなさい。

素晴らしかった!
タイトルからして影がありそうですが、意外にも後味の悪さなどはないです。考えさせられる作品ではありますが、娯楽としても楽しめる作品だと私は思います。
これが巨匠是枝監督の手腕といったところでしょうか。
重たそうな作品だから敬遠して観てないという方は、この機会に試しに観ていただきたい。
PG12指定はついてますが、直接的な暴力シーンはありません。そしてセクシーなお店は出てきますが、マジックミラー越しのサービスなので一人で鑑賞するだけなら問題ありません。
ただ、誰かと一緒に観ると気まずいのでご注意を(笑)

万引き家族のおばあちゃん初枝を演じるのは樹木希林さん。
体に傷のある女の子を手当てする優しい人でもあります。
ところが最初はそういう印象を持つのですが、元地上げ屋の民生委員が来たときには、一筋縄ではいかない〝食えないバァさん〟の顔を見せる。
こういう役はやっぱ樹木希林さんだなぁと。八千草薫さんとか、市原悦子さんにはやってほしくないし、第一似合わないと思う(笑)

オサム役のリリー・フランキーさんは、この家族の中でお父さんの位置付け。
日雇い仕事はあるもののサボりたがるし、息子と共同で万引きを繰り返している。
しかし、寒空の下、痩せた女の子がひとりで外にいるのを放っておけない優しさがある。

お母さんの役割である信代は、安藤サクラさん。
クリーニング店の工場で働いているが、ポケットに金目の物が入っていると黙ってくすねてしまう。そして、仲良しの同僚はそれを分かっていながら黙認する悪友。
信代はオサムの妻だけど、一緒に暮らす亜紀の母親というには年齢的に若すぎるようにも見える。冒頭ではお互いの関係性がまだ見えてこない。


亜紀は、前述のセクシーなお店で働く年頃の女の子。ウィキで調べたら「JK見学店」と書かれていました。なるほど、そう言えばいいのか!
彼女は、家族の中でもおばあちゃんから特別可愛がられており、一緒に暮らしてはいるがお金は入れてない模様。
何か訳ありのようです。


ショウタはまだ少年。押し入れの中を自分の部屋にしており、「スイミー」が愛読書。勉強は嫌いではなさそう。学校に通ってないが、それについて「学校なんて家で勉強できないヤツが行くところだ」と言う。


この家に連れてこられてから「リン」と名づけられた女の子は、元々父親からは暴力、母親からもネグレクトを受けていたと見られる。体の傷を見て「どうしたの?」と聞かれれば決まって「転んだ」と答える。
ひどい扱いを受けて育ったので警戒心は強いものの、他人に対して思いやりのある子です。(その優しさは信代には伝わるけど、実の母親にはまったく伝わらない)
幼くて、万引きを教わっても足手まといになりかねないため、最初はショウタに邪魔者扱いされますが、一緒に過ごすうちに本物の兄妹のような絆が生まれていきます。


この謎だらけの奇妙な家族は、古ぼけた家屋でごちゃごちゃの家財道具に囲まれながら(片付け番組で見かけるビフォーの状態)なんやかんやお互いを認め合って楽しく暮らしています。
遠慮なくものを言い合うし、気取らずにじゃれあう。みんなで食卓を囲んで食事します。
血が繋がっているかどうかなんて、どうでもいいんじゃないかと思えるほど仲の良い家族です。

季節が巡り、夏が来る頃には、リンもすっかり家族の一員となっていました。とりわけ信代にとってリンは可愛くて仕方ない大切な存在になっていたようです。


ところが、絶妙に保たれていたこの家族の調和が、少しずつ狂い始めます。

おばあちゃんが亡くなりました。葬式をあげるお金がないので、おばあちゃんを敷地内に隠します。そもそもこの家は おばあちゃんのもの。一人暮らしをしていると偽って暮らしていました。
動転してどうにかなってしまいそうなこんな状況の中、オサムは妙に冷静に手はずを決める。
それもなんだか恐ろしいことですが、子どもたちは大人の言う通りにするより仕方ありません。


ショウタがこれまでやってきた万引きという行為も、生きていくためにやってる!という深刻なものではなく「誰にも買われてない商品はまだ誰の物でもない」というオサムの巧妙な話術で刷り込まれたものでした。
そう、「学校なんて家で勉強できないヤツが行くところだ」という言葉もショウタが自分で気づいたのではなく、学校に行きたくても行けなくて強がっていたわけでもなく、オサムに信じこまされてきただけだったんです。
万引きに手を染めるなんて普通に考えれば不良なんですが、実は我々が思っていた以上にショウタは純粋な子だったことが徐々に明らかになっていきます。


物心つく前にこの家の人に引き取られたショウタは、いつの間にか成長して、何かがおかしいと気づくようになっていました。
そして、いつまでも自分の子どもとして一緒にいられると思っていたオサムは、そこに気付いていません。

この一家は、ショウタがケガをしたことをきっかけに警察に捕まります。
「子どもに万引きさせるのはうしろめたくなかったのか」と警察に問われたオサムは、「それしか教えてあげられることがなかった」と答えますが、そこに嘘ではなく、正直な気持ちだったのではないでしょうか。
先程、ショウタを説得するときに「巧妙」と私は表現しましたが、この人が巧妙なのは万引きに関することだけで、生き方はとんでもなく不器用。
ショウタを上手に説得できたのも、おそらく一緒にいたい気持ちの強さが何にも優っていただけで、根っからの悪人ではありません。
そこが悲しい。


オサムと同様に、信代も不器用です。
信代もパート先からクビを言い渡されてしまいます。よく考えてみればクリーニング工場で忘れ物をくすねたりしなくても、もっと稼げそうな仕事は他にもありそうなもの。
さらに言えば、彼女が器用な人間ならば、ひとり目の夫と結婚する前に、この人はヤバいってことに気づけたんじゃないでしょうか。
信代は、このままでは夫に殺されると危機感を抱いた過去を持ちます。
自分と同じように暴力による傷をもった少女を、放っておけなかったし、守ってあげたくなったのも無理のない話です。


このように、ひとつ屋根の下に集った大人たちの事情が、物語が進むにつれて次第に明らかになっていきます。この展開が見事で、最後まで目が離せません。


観ている側は、彼らがどういう人物で、子どもたちをどれほど想っていたかを知ってるから、警察の話し方にムカっとくる瞬間があります。
確かに、一家のやってきた事実だけを見れば、世間一般の人から軽蔑される犯罪行為かもしれない。
だけど、家族間の人間関係まで何も事情を知らない人からとやかく言われたくないわと。


池脇千鶴さん演じる婦人警官から事情聴取されるシーン。
やや蔑むかのような口調で決めつけてあれこれ言われるのが、もう〜腹立つ!!池脇さんの声の演技が素晴らしかったからとも言えますが(^_^;)
警察官にしてみたら複雑すぎる擬似家族の関係が非常識で理解を越えているし、彼女たちの主張もよく分からない。おそらく罪人の戯言にしか聞こえてない。


そしてそんな相手から死体遺棄の罪は重いと告げられた信代の方はどうか?
「捨てたんじゃない。拾ったんだ」と言いたくなった信代の気持ち、理解できる。
他の人から見向きもされなくなったご老人かもしれないけど、自分にとっておばあちゃんは家族だった。
リンにしても、無理やり誘拐してきたんじゃなく、ほったらかしにされてるのを保護したんだと。そこだけは捻じ曲げられては困るわけです。

「ウキー!こんな小娘に分かったようなこと言われたくない!」と、信代は言ったりはしませんが(^_^;) 信代じゃなくても思いますよ。コイツと話すだけ時間のムダだなって。映画の演出とはいえね。
真実を知ろうともしないで、よくある犯罪者の心理パターンに当てはめて話きいてるだけなんだから。
だから、信代は何を言われようとずっと気丈に振る舞ってる。

ところが
「子どもたちから何と呼ばれてた?」
と聞かれたときだけは、どうしても堪えきれず髪をかき上げる振りをしながら涙した。

だって、まだ言ってもらえてなかったんですよ「お母さん」て。あの関係が続けば、いつかは言ってもらえたかもしれないのに。

ここの演技が本当に素晴らしくて(/ _ ; )
海外でも賞賛されますよ、そりゃ!


(・・・で、実際 賞をもらった瞬間、肝心のサクラさんは寝落ちしてて気づいてなかったらしいですが(笑)
どゆこと!?)



はい。というわけでね。
蛇足になるかもしれないですが、全体を総括して感想を。
短いセリフの中にも、〝その人〟が詰まってるのがすごいな〜と思って観てました。
例えば、体の傷を聞かれたリンが「転んだ」と答える。これは親をかばってのことですよね。
あのセリフだけで、この子が置かれてる状況とか、本当は色々我慢してるんだろうけど言わないつもりなんだなとか、見えてくる。


亜紀は妹の名前「さやか」を源氏名にしている。亜紀が親の悪口を言うシーンなんてどこにも出てきませんが、何か本音を誤魔化して世間体だけで生きてる両親に嫌気がさしてるんじゃないか?と想像ができる。妹に対してコンプレックスも抱いているかもしれない。
セリフだけでなく、設定でも人物の心理を表すことってできるんですねぇ・・・。

リンの話に戻りますが、「洋服を買ってくれるからお母さんは優しい」と話します。それは、不器用な母親から与えられたわずかな愛情の一部なのか?と物語の前半では想像していました。しかし実は、リンが言うことを聞かないときに使っていた甘い誘い文句だったと後に判明します。
一度 信代から大切にされ無償の愛を知ってしまったリンは、自分勝手な実の母親から呼ばれても応じません。
ショウタにしてもそうですが、その言葉をどういうつもりで言っていたのか、どうしてそんな行動をとるのか、後になってから分かるんですよね。
同じ是枝監督作品の『そして父になる』でも、そういう場面あったと思うんですが。言語化されていない部分にこそ大切な気持ちが隠されてるってことあるからね。
言葉にならない気持ちを沢山知ってないと、それを物語や映像に出力することなんてできないんだろうなぁ。。。



例えとしてあまり良くないですが、オサムは犬や猫を多頭飼いして崩壊させる人に似ている気がします。
いっときの「可愛い」「可哀想」という気持ちで保護するものの、不測の事態をまったく想定してないので、何かひとつバランスが乱れると大きな崩壊へ向かってしまう。
ショウタが警察に保護された時も、おばあちゃんが亡くなったときも、都合が悪くなったからポイっていう心理ではなく、本人がどう頭を捻っても、解決策が他に浮かばなかった苦渋の決断だったんでしょう。
でも、事実としてショウタを見捨てて、おばあちゃんの死体を遺棄しています。
情にもろく詰めが甘い人っていうのか・・・突き離した言い方になりますけどね。もし、舞台が高度経済成長前の日本だったら、オサムのような人でも充分 子どもを育てあげることができたんでしょうし、むしろ〝良いお父さん〟だったかもしれない。
子どもを一人前に育てるためには、自分自身もそれなりに高い教育を受けてないと通用しない時代になってきてるんでしょうかね。
何かひとつ違っていたら、オサムも「お父さん」と呼んでもらえるような人間になれていたかもしれないんですよね。いや、そんな表現では言い表さない方がいいのかな?数年後、少し年を重ねた自分がどう思うか知るためにも、もう一度観てみたい作品です。


それから、おばあちゃんも結局何を考えてたのか分からないところがある。
亜紀とおばあちゃんの関係は複雑で、〝血の繋がらない孫〟とでも言えばいいのでしょうか。自分を捨てて他の女性と結婚した元夫が、相手の女性に産ませた男児がいます。
男児といっても もう昔の話で、彼はもう父親。それが亜紀と妹さやかの父親です。元夫やその妻はとっくに亡くなっていて、その成長した息子にお金をもらいに行っている。
息子夫婦にとって面倒な相手だけど、かつて略奪した側という負い目もあって無碍にはできない。
亜紀は、両親がおばあちゃんにお金を渡していたことなど知らないので、無邪気におばあちゃんに懐いています。
しかし、お金のことを聞いてしまって、あの優しさは嘘だったのか?とショックを受ける。

うーん。でもなぁ。憎い相手の孫だったとしても、復讐心が根強く残ってるのに毎晩同じ布団で眠ることなんてできるでしょうか?
いくらお金を両親からもらっている子だとしても、本人から頼まれてもいないのにお餅を分けてあげるとかするでしょうか?ちょっと触れただけでいつもより足が冷たいとか、そんな細かいことに気づくでしょうか?
よほど関心を持った相手じゃなければ、そんなこと気づかないんじゃないかなぁ。
おばあちゃんは確かにお金はもらってたけど、お金のためだけに亜紀を可愛がってたんじゃないと思うな、私は。


いやぁ、長々と語ってしまいました(^_^;)
つい語りたくなる作品なんですよ!是枝監督の作品を他にも観てみたいと思ってます!

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