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五日目 令和元年五月三日 十時頃
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東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。五日目 令和元年五月三日 十時頃。遠江國 掛川宿。
松ヶ岡。毎年この時期になると連日公開している。普段は毎月第四土曜日が一般公開日となる。前回の膝栗毛ではじっくり見学したが、今回は飛ばした。
掛川城主だった山内一豊その妻千代の浮き彫り。山内一豊は実家の隣町の愛知県 岩倉の出身。
連雀ニューセンター。1970年代の雰囲気。
掛川座。昔は芝居小屋、映画館だった。
角の床屋。東海道はここで右に曲がり、七曲りに入る。
秋葉山三夜燈。天保三年(1830)とあるが、どうみても平成に建てられた常夜灯だ。なぜこういうことをするのだろう。作り直したのなら、作り直した年月日を入れるのが普通だ。もしくは復元した日を併記すべきだ。二、三十年ぐらいはいつ頃直したという記憶が地元の人に残っているのでいいが、百年二百年も経てば忘れ去られてしまう。間違った歴史が伝わることになる。そんな簡単なことさえも想像できないのだろうか。