雑記草 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛

十三日間かけて、愛知県の豊明市の自宅から東京日本橋まで歩きました。その詳細を綴っていま…

雑記草 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛

十三日間かけて、愛知県の豊明市の自宅から東京日本橋まで歩きました。その詳細を綴っています。 雑学など日々思うことを綴ったnoteもあります。https://note.com/zakkisou

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発端

 四月二十八日の伊勢神宮奉納能が終わった後は、東海道歩きだ。四年前の静岡まで、昨年の三島までの街道歩きより更に先まで行くことにする。玄関から古くからある道を歩いて旧東海道に入る。もちろん今年も振り出しからだ。  題して「平成令和四月五月 東海道中有松日本橋 新々膝栗毛」。  目的は日本橋に到達することではない。とにかく旧街道を忠実に歩いて往時に思いを馳せながら町並みを眺めることなのだ。そして昔の旅を体感するためには日々の天気の移り変わりを感じながら連続に歩くことが最も重要

    • 関蝉丸神社

       久々に大津の関蝉丸神社に行った。  その境内にある貴舩神社。本殿に吊り下げられている提灯。かっての夫婦「森進一 大原麗子」奉納提灯。もうなくなっているかと思っていたが、まだあった。  五年前にこれを見つけた。この時は提灯が二つあったが、今は一つになってしまっている。

      • 龍城温泉

         東海道阿野三島満願成就膝栗毛 初日。三河国 岡崎宿。岡崎市内に残る唯一の一般公衆浴場である「龍城温泉」。  この場所に到着したのはちょうど四時頃だった。それまで銭湯の中では何か催し物が行われていたらしい。ギターを使ったコンサートだったようだ。  銭湯の営業は四時から。コンサートが終わり、入れ替わり立ち替わりで開店する直前である。男湯女湯の暖簾を出す女将。  炎天下の膝栗毛で汗だくだ。「ちやうどいい。ひとつ、風呂を浴びて行かう」と思ったのであった。  五十年以上時間が

        • 東海道阿野三島満願成就膝栗毛 初日

           東海道阿野三島満願成就膝栗毛 初日。三河国 岡崎宿。  唐弓弦(とうゆみづる)の看板。唐弓弦とは何なのか。「江戸時代に使用されていた、綿を打つ道具」と説明してあるが、何のことかわからない。「綿弓」を少し自動化したものだろうか。  「唐」の字が付くと中国の意味になる。「唐箕(とうみ)」「唐臼(からうす)」は中国から伝わったものと考えられ、かつ普通のものより機械化されている。「からくり」は「唐繰」とも記されることもあるようなので、「唐」の字は機械じかけの意味にも使われたのだ

          2018年5月1日

           旧東海道沿いにある愛知県 岡崎市 大平の床屋。撮影は朝の九時頃。営業はしているようだ。玄関が斜めかどうかは、この写真からは判別できない。Google地図の画像を見ると斜めではない普通の玄関のようだ。

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十三日目

           東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十三日目。日本橋。  十五時半到着。本懐は遂げられたのである。  皆様のご声援のお陰で無事成し遂げることができました。どうもありがとうございました。  これから新幹線で家に帰ります。数時間で着きます。文明は素晴らしい。

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十三日目

          東北気儘旅の一日目

           東北気儘旅の一日目。最寄りの共和駅を朝六時半ごろの普通列車で出発。  一時間後には二川の立岩まで到達。歩きなら三日かかる距離だ。  茨城県 古河駅に着いたのは十四時半頃。八時間かかった。新幹線を使えば四時間弱で行ける。改めて考えると、たった倍ではないか。新幹線なら12000円、青春18きっぷなら2410円。移動することも旅の目的の内であれば、非常に楽しくお得な運賃だ。  暮らしの中の変体仮名 。「お可゛和」。古河駅前商店街の和菓子屋。

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十日目

           東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十日目。箱根宿。  箱根峠の夜は早い。六時半には全ての飲食店が閉まっていた。開いていた小さな食料品店(コンビニに非ず)で訊ねるとちょっと向こうに飲み屋さんがあるので、そこは、やっている筈だと言う。  行ってみると私と同じように夕食が食べられる店を探している外国人女性が店の前に二人いた。店がやっているかどうか分からないので困っている様子だった。  その二人に店は閉まっていると説明した。一人が「私はホテルでこの店が開いていると聞いた」と言う。

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛十日目

          十日目 令和元年五月八日八時頃

           東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。十日目 令和元年五月八日八時頃。伊豆國 三島宿。 【上段左】守綱八幡社。常夜灯の盃状穴。弘化二年(1845)建立。 【上段中】妙行寺。念仏塔の盃状穴。安永十年(1781)?建立。石が風化して年号が読みづらい。「安永十 辛丑 歳十月十三日」と書いてあるような気がする。 【上段右、中段左、中】新町橋から眺める霊峰富士。広重もこの辺りから富士の眺めを描いた。 【中段右】頼朝の笠置石(右)。宝鏡院の境内にある。頼朝が参拝の際にここに笠を

          後藤賞(Gotoh Prize)

           北九州市の小倉城の城内で大砲の写真を一所懸命撮っていたら、剣道の早朝稽古に来ていた小倉の人に話し掛けられた。またもや「話し掛けられ」能力を発揮してしまった。  「この大砲に閉鎖機はないんですよ」。閉鎖機とは大砲の後ろにある砲弾を込めた後に閉める蓋のこと。つまりこの蓋があると実戦に使えてしまうので、取り外してあるということであった。砲身の内部にはライフリングと呼ばれる線条も彫ってあるから本当に使えるのであろう(写真右)。  小倉の人が手にしているのは稽古用に削った櫓だとい

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛 九日目

           東海道中有松日本橋 新々膝栗毛 九日目。  沼津宿と三島宿との中間地辺りで休憩をしていた同好の士と話しをした。この人は五月一日に日本橋から歩き出して五月七日の今日、ここに至ったと言う。  前日は小田原から三島まで、一気に箱根越えをしたらしい。この時は調子が出たのそうで、箱根峠を越え、三島で宿泊したようだ。しかし翌日の今日、殆ど歩けなくなり、接骨院に行ってマッサージとテーピングをしてもらってから歩いているという。今日は一駅の移動しか出来そうもないので沼津に宿をとったらしい

          東海道中有松日本橋 新々膝栗毛 九日目

          三島のうなぎ

           三島のうなぎ。今年(2021年)の三月にこれを食べるためだけにオッサン(老人)二人で青春18きっぷを使って行った。たまたま若い女性二人組と相席になって旨味が倍増した。オッサンは便利で安上がりなのがいい。  見ているだけでも美味しい。過去の写真を整理していたら、この写真が出てきた。この「見ているだけでも美味しい」をお伝えするために投稿した。  うなぎ屋の櫻家は、創業が安政三年らしい。三島宿では江戸時代、うなぎを食べることが禁止されていた。うなぎは三嶋大社の使いとされていた

          うなぎ 源氏

           静岡県 伊豆の国市(誰だ!こんな地名を考えたのは?) 韮山反射炉近くの、ある人が東洋一美味いと褒め称えるうなぎ屋「源氏」に行ってきた。店名の由来は平治の乱で伊豆国に流された源頼朝(名古屋出身)か。  うな重。美味し。うまし国そ伊豆の国。客の顔を見てから鰻をさばいて焼くので少々時間がかかる。  過去にテレビが来たらしい。更に写真には見覚えのある有名人も。五木寛之と思ったが、よくよく見ると山田洋次だ。  割り箸の袋。なんと全て手書き。いいねぇ。こういうの。客が少ないのか?

          東海道中有松日本橋 大満願膝栗毛 九日目

           東海道中有松日本橋 大満願膝栗毛 九日目。沼津宿。  今回の膝栗毛で一度だけ激しく転んだ。写真の奥から手前に歩いていた際、白丸の部分で右足を踏み外した。一瞬、よそ見をして斜めになっている部分の角度を見誤った。ズルっと滑り車道側に身体が倒れた。この時自動車がいれば、轢かれていたかも知れない。 詳しい場所 https://goo.gl/maps/hhdnvgDnbs3nGoqSA

          東海道中有松日本橋 大満願膝栗毛 九日目

          2018年5月6日

           憧れの左富士。街道、京方面に向かって富士山が左手に見える。

          2018年5月5日(2)

           なんの変哲もない場所からの富士山。電線がないので、撮影スポットになっているようだ。簡単なベンチが置いてある。