あなたに首ったけ顛末記<その16・隠者のランプは己を照らす>【小説】
あなたに首ったけ顛末記<その16>
◇◇ 隠者のランプは己を照らす ◇◇
(18900字)
<1>水野春臣はフリーズする
(5700字)
「はじめまして。十緒子の父、アダチ……いや、ミサキゲン、です。水野春臣くん、だよね?」
十緒子のアパートの部屋の、すぐ外。玄関ドアに背を預け十緒子の帰りを待っていた、はじめは御崎家の使用人だと名乗った男。
さっきまでの、二人のやり取り……十緒子が男にすがりつき、顔を食い入るように見上げて『おとーさん、だよね?』と言い、男も、『うん。十緒子、お父さんのこと、思い出してくれたんだね』と答え……俺はそれを、ただそこで見ているしかなかったのだが。
そんな俺に向かって、男が。
十緒子から顔を上げ、屈託のない笑みを浮かべ……そう、言ったのだ。
4、50代くらいと思われる、ひょろひょろとした体型の、前髪の長い男。黒シャツ黒ボトムにグレーのジャケットを合わせ、杖を手にしたその指に黒い石のついたシルバーリングが光る男の外見を見て、俺はなぜか『死神』を連想してしまったのだが。
男の周りに無数に浮かぶ、オーブ……常人の目には視えない、光る球体の存在が男の印象を変え、その不可解さを加速させていた。
オーブはべつに、悪いモノではなかったはずだ。だが数がおかしい。なんだってこんなに、この男に纏わりついているんだ……。
そんなところへ聞かされた、男の自己紹介。
その新しい情報は、ただ不可解さに追い打ちをかけただけで……それらを処理出来ないまま、俺の思考が停止し。
結果、俺はその場に縫い付けられたように、男と目を合わせたまま固まってしまった。
『……おまえの父親は?』
『いないです。私が小さいころに、離婚か死別か、したみたいで』
父親……俺が昨日、彼女、御崎十緒子から、そう聞いたばかりの存在。
が、たったいま、十緒子は男を『おとーさん』と呼び、男も『十緒子の父』だと名乗った。
挙句そんな、わけのわからない存在に、フルネームで名前を呼ばれる、とか。
こんな状況……俺じゃなくても、こうなるだろ。
このとき十緒子は、男の前髪を両手で持ち上げて、下から男の顔をのぞき込んでいたのだが、その手を男にやんわりとはずされ、それでも男を見つめるのをやめなかった。
彼女の空いた両手が、すぐそこにあった男のジャケットをすがるようにつかんでいるのが、俺の視界に入ってくる。
待てよ。……本当にこの男が、十緒子の?
そんな疑問がようやく浮かんできたところで、ポンポンッ、という音が、その場に立て続けに響いた。
それは、やはり常人には聞こえない、奴らが姿を現すときの音で、それが十匹分。
人語を話して十緒子の従者だと名乗る、この世のものではない……そしてあきれるほどカラフルに光る、十色十匹のヘビどもが、男の周りに次々と現れた。
(あー、ゲンだー、ひっさしぶりぃー)
(ゲンちゃんっ、元気そうだねっ)
(ったく、ゲンは相変わらず、大量に引き連れてるね)
ヘビどもの、音のない声。青ヘビと桃ヘビが男の名を呼び、黄色のヘビが、男の周囲に無造作に漂っているオーブの一つを、つんつんと口でつつく。オーブたちは、やんわりとヘビどもを避けるように動きはじめた。
男が、ヘビどもにもニッコリと笑んで「やあ、みんなも元気そうだね」と言い、ほかのヘビどもも口々に男の名を呼び、あいさつをはじめたところで……俺は少々、脱力する。
ゲン。さっきは『十緒子の父』というワードばかり耳に残って、よく聞き取れなかった……ミサキゲン、か。にしても手っ取り早い、しかし最高レベルに信用出来る身元確認だな。じゃあ本当に父親、で? けど、十緒子が言ってた死別とか離婚ってのは? いや、十緒子も父だと認めていて、それで……。
「おっと、危ない。十緒子?」
と、十緒子の体がずるり、と下降し、ミサキゲンが声を上げる。彼がとっさに十緒子の体を両手で支えると、持っていた杖が、ストラップに通していた手首にぶらりと下がった。
「水野くん。ごめん、手伝ってくれるかな」
声をかけられても数秒、呆然としていた俺はハッ、と我に返り、持っていた十緒子のボストンバックと紙袋を床に置き、近寄って十緒子の背中から、彼女の体全体を受け止める。
見ると十緒子は、気を失っているようだった。
「おい、十緒子?!」
(大丈夫、眠っているだけよ)
俺のすぐそばで灰色のヘビが、十緒子をのぞき込みながら言った。
「本当かよ」
(記憶が戻った一時的な混乱で、意識を落とされたのでしょう。春臣、わかったらさっさと、十緒子様をお連れするのです)
「ああ、わかった」
白ヘビに従い、俺は十緒子を抱き上げようとして、その前に鍵のことを思い出した。一度膝を付きながら十緒子を抱え、尻ポケにつっこんでいたキーケースを手にしたところで、目の前に手が伸びてきた。
「鍵、受け取るよ」
彼に鍵を渡した俺は、十緒子を俺のほうに向かせ、上半身を自分にもたせかけながら抱えて持ち上げ、ドアから一歩下がる。彼は鍵を開けるとドアを大きく開け放ち、背で支えた。「靴、こっちで脱がそうか」と言われ、十緒子の足を彼に向ける。脱がせたのを確認すると、俺も靴を脱ぎ捨てて部屋に上がり、十緒子をベッドまで運んで、ゆっくりと慎重に下ろした。
頭の向きが逆だったな、ともう一度十緒子を低く持ち上げる。
頭を枕に乗せるように寝かせたところで、十緒子がうっすらと目を開けた。
「気がついたのか?」
「…………はる、おみ?」
「念のため訊くけど、気持ち悪ぃとか、そういうのはねぇんだよな?」
「……うん、だいじょぶ。でも……眠い……」
「もう少し寝てろ」
そう言って俺が立ち上がろうとしたところで、十緒子の手が俺のシャツの裾を引いた。
「ん、なんだ?」
「はる、み……帰っちゃう?」
囁くような声で訊かれて、そういやこの場合どうしたらいいんだ、と迷ったところで、うしろから声がした。
「水野くん、時間が大丈夫なら、もう少しいてくれるかな」
振り返った俺はミサキゲンを見、「わかりました」と答え、それからまた十緒子にも返事をした。
「おまえが起きるまでいるから」
裾にあった十緒子の手を取り、握り返してやる。ほっとしたように表情をゆるめ、やがて寝息を立てはじめたのを見届けたところで、俺は立ち上がった。
◇◇◇
車をいつものコインパーキングに移動させ戻ると、玄関で、十緒子のボストンバッグと並べて置かれていた紙袋が目に入り、俺はそれを手に取った。
俺がアパートの外廊下に置き去りにしていたそれらは、俺が十緒子を運んでいる間に、彼が部屋に入れていた。紙袋には、作り置きのタッパーがいくつか入っていて、取り出して冷蔵庫にしまう。
キッチンからリビングをうかがうと、そこに彼の姿はなかった。ゆっくりと、だが少し足音を立てるようにしてそちらへ行くと、彼は十緒子の眠るベッドに腰掛け、十緒子を見下ろしていた。
やはり、長い前髪のせいで、表情がよく見えない。
だが、なんというか……そこに立ち入れないようななにかを感じ、俺は黙ってふたりを見ていた。
しばらくして、彼が顔を上げた。
「水野くん、すまないね。そっちで話そうか」
彼はリビングのちゃぶ台まで移動すると、壁に背を預けながら座った。「少々行儀が悪い座り方をするけれど。足がどうしてもダメでね」と言いながら、片方の足を伸ばす。
「水野くんも楽に座って……ってここで、家主じゃない俺が言うのも、おかしいかな」
「いえ、じゃあ遠慮なく」
俺も彼の向かいに、あぐらをかいて座った。といっても真向かいではなく、キッチンを背にして、十緒子の顔が視界に入るようにする。
そして……沈黙。
オーブたちは変わらず、彼の周りをふわふわと漂っている。ヘビどももそこかしこにいて、何匹かは十緒子をのぞき込んでおり、別の何匹かは適当に宙に浮いたり、ちゃぶ台の上で、俺とミサキゲンを交互に見つめていたりするのだが。
こんなときに限って、どいつもこいつもしゃべらない。
「……ああそうだ、忘れてた」
と。ミサキゲンが、ジャケットのポケットから俺のキーケースを取り出し、ちゃぶ台に置いた。
「返しておくよ」
「はい」
それに手を伸ばしながら、俺はいまさらなことに気がついた。
俺がこの家の鍵を持っている、それを知られた……。
いや、そんなことより。
俺はもしかして……男親の目の前で、娘を朝帰りさせた男、なんじゃねぇの? いやもう昼だから、そこまで考えないかもしれないが、ボストンバッグである程度、察するかもしれない。
まあ、こちらからなにも言わなければ、べつに……。
(あのねえゲンちゃんっ。春臣ちゃんのこの鍵付けるヤツねっ、十緒子ちゃんとお揃いなんだよっ。春臣ちゃんは十緒子ちゃんの番いちゃんなんだよ、知ってたっ? 昨日もねえ、十緒子ちゃんは春臣ちゃんちにお泊りだったんだよっ)
チッ、このクソピンク、なんで俺が気付くのと同じタイミングで……キーケースのすぐ横で、それを口でつつきながら説明し出す桃ヘビをつまみ上げ、どこかへ放り投げてやりたかったが、それが叶わないことも俺はよく知っている。
それよりこの事態……俺、殴られたりすんじゃねぇか? 正直、どうしたらいいかなんて、こんなん初めてでよくわかんねぇし。それこそいまさらで、どうしようもねぇよな……。
「……へぇ、そうなんだ」
一瞬の間があって、彼のほうから、思いのほかやわらかな声が聞こえてくる。
覚悟を決めて顔を上げると、ミサキゲンは笑顔で、そして桃ヘビに顔を向けていた。
「それは悪いことをしたなぁ。カレシがいるって華緒子ちゃんから聞いてたからね、十緒子の誕生日当日はマズいかなと思って、今日にしたんだけど。裏目に出たか」
(昨日はねっ、春臣ちゃんの誕生日だったんだよっ)
「えっ、そうだったんだ? しまったなぁ……まあ、それはともかく。水野くん。何歳になったのか、訊いてもいいかい?」
彼が、その笑顔を桃ヘビからこちらに向け、話しかけてきた。
俺は一瞬、返答に詰まる。
「……27、です」
「じゃあ、十緒子と同い年なんだ。誕生日も近くて、そうかぁ……フフッ。改めて、誕生日おめでとう、水野くん」
「っ、ありがとう、ございます」
どうにか、ことばを返す。
とりあえず……殴られる気配は、なさそうなんだが。
ミサキゲンの、穏やかな笑顔の横で。
オーブたち……白っぽくて丸い、淡い光のかたまりたちも、彼の動きに合わせるように揺れている。
なんだこの、浮世離れしてる、ほのぼのとした光景は……。
緊張を解けない俺が、なんだかアホみたく思えてくるが、だからといってここで、気を緩められるわけでもない。
俺はちゃぶ台のキーケースをそのままにし、ベルトループから車のキーケースのカラビナを外した。カードケースも兼ねたそれには、念のため何枚か名刺を入れていて、俺はそれを一枚取り出し、彼に差し出した。
「……改めて、お渡ししておきます。僕の名刺です」
俺がそう口にした途端、あろうことかヘビどもが吹き出した。
(ぶはー。『僕』だってー。ゲンー、聞いたかよー)
(フッ、ワタクシも耐えられませんでした。普段口の悪い小僧が、また猫を被るものですから)
(ぷぷ、春臣っちの♪ 猫かぶり♪)
(クスクスッ。あのねえゲンちゃんっ、春臣ちゃんはいっつも『俺』って言うんだよっ)
(取り繕う……それもまたアート……んふっ)
(フッ、なんだい春臣、かわいいじゃないか)
(あらあら。でもしょうがないわよね。フフフッ)
十緒子の近くにいた奴らまで……クソッ、おまえら、覚えてろよ。
俺は、内心のムカつきを抑えてそれにひたすら耐えていたが、ミサキゲンの「フフッ」という笑い声に、我に返った。
見ると彼が、ゆっくりとした動作で、ジャケットの内側からカードケースを取り出している。
彼がこちらに名刺を差し出し、ぎこちなく体を起こそうとしたところで、俺のほうから身を乗り出すようにし、名刺を交換する。彼は「ありがとう」と言って俺の名刺を受け取り、俺も「頂戴します」と返しながら、手にした名刺に目を走らせた。
十緒子の姉、御崎華緒子と同じ、株式会社御崎コンサルティングの名刺。
営業本部、『安達 玄』……?
「それは旧姓なんだけどね。少しややこしいんだけど、対外的には安達玄、なんだ」
「対外的……普通に離婚されているのとは違うんですか? っ、すいません」
俺としたことが、浮かんだ疑問をそのまま口に出してしまった。
だが、そうだ。離婚なら『御崎玄』であるはずがない。十緒子とその母親が、『御崎』なのだから。
彼は俺の問いに答えず、興味深そうな表情で逆に質問してきた。
「離婚。それは、十緒子から聞いたの?」
「ええ。父親には……会ったことがない、母親にも訊けないからよくは知らないけれど、離婚か死別かしているらしい、そう言ってました」
「ああ……うん、なるほどね。そうか、それはまあ……しょうがないよね」
彼はまたフフッと笑ったのだが、自嘲するようなそれのあと、彼が口にしたことばに、俺は耳を疑った。
「だって俺は。十緒子の記憶から、存在を消されてしまったのだから」
…………記憶から、存在を消される?
それは、どういう……。
絶句している俺にかまわず、彼は続けた。
「俺の存在はね。封印によって、隠されてたんだ。十緒子の、怪異を視てそれに干渉する能力、そしてヘビ様たちと、一緒に、ね」
ヘビどもの封印。
そう、奴らは封印されていた。
それが最近すべて解けて、十匹全員揃ったところだった。
でも、ヘビが揃っても、思い出せていない記憶もところどころある、と十緒子は話していた……。
彼が、俺を見つめながら、ゆっくりと続ける。
「……もう二十年も前になるんだけど。十緒子が、その能力を暴走させてしまったことがあってね。俺は、そのとき……その暴走の、トリガーになってしまったんだよ」
十緒子の、暴走?
そのトリガーに、なった?
微笑みながら話す彼の、ほのぼのとした雰囲気とは対極にある単語。
それらを耳にした俺の思考はどこにも進めず、ただそれを、脳内でオウム返しにするだけだった。
<2>御崎十緒子・かくれんぼの思い出
(3000字)
そっちは、見ちゃダメなんだよ。
誰かの声がして、どこからともなくそこに、カーテンが現れる。
引かれたカーテンの向こうを。
私は、のぞいてはいけない。
それは真っ黒な、闇色のカーテン。
向こうもこちらも、それによって、闇に包まれる。
……カーテンを引くのは。
カーテンを引いたのは、誰だろう。
私は。
そのカーテンの存在に、安堵している。
そこに引かれたカーテンの、こちら側も。
誰にも、のぞかれてはならない。
私もそれを、見たくない。
私の、しでかしたことを。
見たくない。
見たくないの、だから。
ずっとずっと、目をそらしていたんだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい……。
◇◇◇
「十緒子、7歳のお誕生日もうすぐだよね。プレゼント、なにをお願いするの?」
華緒ちゃんに訊かれた6歳の私は、「うーん」と首を傾げながら悩む。
「うんとね、ケーキたべたい」
「んん、ケーキは食べれるから大丈夫。食べ物じゃなくって、モノ。これほしい、ってお願いするでしょ?」
『ちょっとお泊まりしてくるね』と言って出掛けた華緒ちゃんと会うのは、久しぶりだった。華緒ちゃんはこの春、小学校を卒業して、中学生になるのだと教えてくれた。
私も、4月からは小学一年生。いまより『おねえさん』になる。でもこうして華緒ちゃんに会ってみると、私なんかまだ、ぜんぜんちっちゃくて。もっともっと『おねえさん』になりたかった私は、その日華緒ちゃんが髪をまとめるのに使っていた髪留めや、大人っぽいワンピースが気になった。
「かみのけ、かおちゃんみたくしたいな……」
「そっか、じゃあバレッタとかだね」
「バレッタって、なあに?」
「しっ、声ちっちゃくして」
私たちはいま、だだっ広い庭の片隅で白く咲きこぼれている、ユキヤナギの茂みの陰に、身をひそめていた。
華緒ちゃんが、ここに隠れよう、と私の手を引いたのだ。
「ああもう、めんどくさ。どうせ最中にもあいさつばっかりするのに。はじまるギリギリまで、見つかっちゃダメだからね」
「かくれんぼみたいだね」
「うん、そうだね。これは、かくれんぼだね」
華緒ちゃんと私は、かくれんぼしていたんだ。
でもその理由は、幼い私にもよくわかっていた。
「もやもや、きょうも、たくさんいるもんね……」
一部の大人たちを取り巻く、気味の悪い、もや。
見ていると背筋がぞわぞわするそれらが、人の周りをうろつき、屋敷を漂っている。
普段、それらはここにはいない。
今日のように、外から人が来るときだけ、こんな状態になる。
たまにその日が来ると、毎回のように、『それらを見つめてはダメ、近くに行かないように』と、おかあさんと、おとーさんに言いつけられた。
と、なると。
私たちは、そんな大人たちから、隠れるように行動する羽目になるわけで。
「もう……おばあさまが止めなきゃ、ハナに消してもらうのに。なんで私たちが我慢しなくちゃいけないの?」
(高緒にも、考えがあるからの)
音のない声がして。華緒ちゃんの肩に乗っていた金色のヘビ、ハナちゃんが言った。
「んん、私だって説明されたし、わかってるけど! そろそろ限界だと思うから!」
(それはそうと、あそこにいるのはシュウゴよな?)
ハナちゃんの視線の先に、私の知らないお兄さんがいて。
「え、嘘。なんでいるの? 十緒子ごめん、ちょっとだけ、行ってくるから。すぐ迎えに来るから、ここに隠れててね?」
そう言って華緒ちゃんはそうっと、縁側の廊下にいる大人たちに見つからないように、植え込み伝いに行ってしまった。
「みつかんないように、しなくっちゃ」
(ワタクシどもも、協力致しますので)
私が小さな声で言うと、白ヘビのしーちゃんも囁くように言い、ほかの9匹のみんなもうなずいて、そしてみんなで「しーっ」と言い合った。
(あー、玄だー)
青ヘビのあおちゃんが言ったので、ユキヤナギの陰から縁側をのぞくと、おとーさんがいた。
でも、もやもやに巻かれた、イヤなおじさんやおばさんたちと一緒だ。
「おかあさんとおばあちゃん、いないね」
(高緒の部屋でなにか話してるね。黒のと銀のがそう言ってる)
黄色ヘビのきーちゃんからそれを聞いた私は、急におとーさんのことが心配になる。
だって、あのもやもや、すっごくキモチワルイのに。
私は、あのもやもやが、嫌いだった。
そして、もやもやがたくさんになったところに来る、さらに黒っぽいもやもやが、イヤでイヤでしょうがなかった。
見つけるとすぐにヘビのみんなに頼んで、それを『おかたづけ』してもらっていたら、おかあさんに止められた。
『十緒子。十緒子はまだ小さいから、ちょっとだけ我慢して。あれはなるべく、おかあさんか華緒子ちゃんがなんとかするから』
そんなふうに、言われていた。
なのに、おかあさんがそばに、いないなんて。
おとーさんたちは縁側をどんどん歩いて、行ってしまう。
その先は、あとで華緒ちゃんに連れられて行くことになっている、大広間。
「おとーさん、だいじょぶかなあ……」
おとーさん。
おかあさん。
私は当時、パパ、ママと呼ぶのをやめることを決意したばかりだった。
……はやく、おっきくならないと。
おかあさんのおしごとを、おてつだいできるようにならなくっちゃ。
だからはやく、『おねえさん』になるんだ。
そうだ。
とおこはもう、しょうがくせいなんだから。
おっきく、なったんだから……。
「かくれんぼしながらいけば、だいじょぶだよね」
(華緒子を待ったほうが、よろしいかと)
「おとーさん、しんぱいだから」
(玄には、真緒子の守りがあるから大丈夫だと、我は思うぞ)
「とおこが、おかあさんのかわりになるの」
しーちゃんと、緑ヘビのみーちゃんはあのとき、私を止めてくれたのに。
私はそれを聞かず、しゃがみながら植え込みを移動し、大広間に向かったんだ……。
気がつくと私は、大広間にいて。
私をぎゅうっ、と抱きしめる、おとーさんの肩越しに、その惨状を見ていた。
……人が、たくさん倒れている。
さっきのおじさんたちと、それ以外の人たち、使用人さんまで……。
みんな、どうして。
「十緒子……おとーさんの声、聞こえるかな? ここに戻っておいで」
おとーさんが、私の耳元で言った。
「みんな……死んじゃった、の?」
ようやく声が出せて。私を抱えていたおとーさんが体を離して私を立たせ、私の顔を両手で挟み、私の目をのぞきこんだ。
「よかった、ここにいるね? いいや、死んでない、大丈夫……だけどこの空間は、人にはちょっと、きついんだ……だからね、ヘビのみんなに……もういいよ、って。言えるかな、十緒子」
もういいかい。
もういいよ。
……もう、いいの?
だって。
おとーさん、あぶなかったのに?
「……十緒子、ごめん。これは全部おとーさんのせいで、十緒子のせいじゃない。もういいよ、って言えなくても、……大丈夫。すぐに真緒が……おかあさんが来てくれるから。だからごめん、おとーさん、ちょっとだけ……眠くなっちゃっ……」
ずるり、と。
おとーさんの体が重くなり、私の脇に転がる。
「おとーさん?」
立っていた私はそこで力が抜けて、目を閉じてしまったおとーさんの顔を見ながら、ぺたん、とその場に座り込む。
「……もういいよ。……おとーさん、とおこ、ゆったよ……? みんな……おねがい、おとーさんを、たすけて」
視界の端に、大広間に駆け込んできたおかあさんの姿が見えて。
たぶん私は、そこで気を失ってしまった。
<3>御崎十緒子・闇のゆりかご
(3000字)
……眠い。
眠くて眠くて、でも呼ばれたような気がして。
なんとか目を開けると、そこにはおかあさんがいた。
「おかあ、さん?」
「おはよう、十緒子。よく寝てたね。でもまだ眠そうだね」
私の手を握るおかあさんの手が、ほんのりと冷たい。でも私はいつも、それが気持ちいいと思っていた。
私は、温かいなにかに、体を抱かれている。
たぶんきっと、おとーさんに抱っこされてる、と私は思う。
でも、おとーさんの声がしない。なんでだろう。
「十緒子、あのね。ヘビ様たちも、眠くなってしまったんだって」
おかあさんが、言った。
「でも十緒子がいいよ、って言わないと、ヘビ様たちは眠れないんだ。だからね、」
おかあさんの手が、私の頬に触れた。
冷たくて、気持ちいい。
「十緒子。みんなに、おやすみって。眠ってもいいよ、って言ってくれる?」
「……うん、わかった」
おかあさんの手が、私から離れた。
ほんとは、よくわかんなかった。
でも、おやすみ、って、私が言わないと、みんなが眠れない。
なんでだかわかんないけど、私は言わなくっちゃいけない。
「……べにちゃん」
最初にぴょん、と私の胸のあたりに乗ってきた、赤い色のヘビに、私は声をかける。
「ねむっていいよ。おやすみ、べにちゃん」
(十緒子ちゃん、おやすみなさい)
べにちゃんが私のおでこを、口でツン、とつつく。
これは、おやすみなさいのチュウ、かな。
べにちゃんの姿が消え、茶色のヘビ、ちゃーちゃんが私を見つめている。
「ちゃーちゃん。おやすみ、ねむっていいよ」
(おやすみなさい♪ よい夢を♪)
ちゃーちゃんも、おでこにツン、とチュウをする。
くすぐったくて、ちょっと笑ってしまう。
そうやって。
みんなが順番に私の前に姿を現し、私のことばを聞くと、私にチュウをしてその姿を消す……それを、繰り返してゆく。
「おやすみ、だいちゃん。ねむっていいよ」
(夢への旅路……おやすみ、十緒子……)
「きーちゃん、ねむっていいよ。おやすみ」
(おやすみ、十緒子。よくお眠り)
「ねむっていいよ。みーちゃん、おやすみ」
(しばしの別れだ。おやすみ、十緒子)
……あれ? それって、バイバイってことだよね?
「おやすみ、もーちゃん。ねむっていいよ」
(おやすみっ。十緒子ちゃん、またねっ)
……そっか、ねむってるあいだは、あえないもんね。
あしたまで、みんなにあえないんだ。
「あおちゃん、おやすみ。ねむっていいよ」
(十緒子ぉー、おやすみー)
「ねむっていいよ。おやすみ、はーちゃん」
(おやすみなさい、十緒子)
「むーちゃん、ねむっていいよ。おやすみ」
(……おやすみ、十緒子)
ほんとは、みんなを撫でてあげたかった。
だけど体が重くて……眠くて、どうしようもない。
白いヘビのしーちゃんが最後で、しーちゃんも、みんなとおんなじように、私の顔をじっと見つめた。
「……しーちゃん。ねむっていいよ。おやすみなさい」
(おやすみなさい、十緒子様。どうぞよい夢を)
しーちゃんが、私のおでこに、チュウをする。
……チュウされるの、うれしいな。
うん。とおこもね、みんながだいすきだよ。
そうやってチュッ、ってするのは、すきだよ、ってことだよね?
おやすみ、だいすきだよ、って……。
夢の中で。
ヘビのみんなが宙に浮き、私を囲みながら、ゆっくりと回っている。
十匹のみんな……赤、茶、橙、黄、緑、桃、青、灰、紫、白の、それぞれの色の、だけど透き通って光り、見る度にその色の濃淡を変える、美しいヘビたち。
どこからか、歌が聴こえた気がした。
歌っているのはみんななのか、それとも、なにかの楽器の音色なのか。
音は、ゆっくりと旋律をたどって進み、やがて聴き覚えのある旋律に戻ってくる。
だから、初めて聴いたのに、もうそれを一緒に歌えるような気がする。
色とりどりに光るヘビのみんなが作り出した、環。
その回る環と同じように、ゆるやかに流れる音楽。
環が、次第に上昇をはじめる。
小さな私はそれをぼんやりと眺め……気がつけば、もうすっかり見上げていて。
手を伸ばしても、うんと背伸びをしてもジャンプしても、届かない高さになってしまった。
ふと、そのみんなの環の横に、まん丸な月があることに気づいた。
その銀色の月はとても明るくて、照らされた私の隣に、影が出来る。
月の、銀色の光に照らし出された影もまた、銀色に光り。
そして私と同じ、小さな女の子の形をしていた。
銀色の影の女の子は私の隣で、私の動きを真似るように動いている。
が、しばらくするとその動きを止めた。
女の子は一方を見つめているようで……そこには、おとぎ話の旅人のような、マントをかぶった人がいた。
マントのフードを深くかぶっていて、顔が見えないその人は、杖を持ち、ランプを手に掲げている。
ランプの中に灯っている灯から、光が洩れている。
真っ黒な、闇色の光……月の銀色の光にあふれた空間で揺らめくそれは、不思議で、とても美しかった。
マントの人が、ランプからそっと手を離した。
でもランプは落ちたりせず、宙に浮いたまま、そこにある。
そしてその人は、空いた手を伸ばし、影の女の子の手を取った。
マントの人が手を引き、私と影の女の子の間に距離が出来る。
すると、私とその影の女の子が……くっついていたはずの私と女の子が、パキン、と音を立てて、離れ離れになった。
……いっちゃ、やだ。
いかないで、おねがい。
そう思うのに、私はそこから動けない。
十匹のヘビのみんなの姿も、高い高い場所で、どんどん、どんどん小さくなる。
もうあの旋律も、聴こえない。
銀色の影の女の子と、その子の手を引くマントの人も。
銀色の月光の中、黒い光のランプに導かれるように、歩いてゆく。
ふたりが、私の背の向こうに……どんどん、どんどん遠ざかってゆく。
私はそれを背にしているはずなのに、それがひどくよくわかる。
……やがて。
ヘビのみんなの環も、影の女の子とマントの人も。
真っ黒ななにかに遮られて、見えなくなってしまった。
それは……なめらかな布のような、黒い黒い、闇色のカーテン。
……私は、いま。
たぶん、なにかを失ってしまった。
だけど、もう。
それがなんだったのか、思い出せない。
途方に暮れている私は、気がつくと、どこからか射す金色の光の中にいた。
見上げるとそこに、その光と同じ色の太陽が輝いている。
照らされた私の隣に、影が出来る。
私と同じ、小さな女の子の形をした影は、金色に光っていた。
(……この先の、未来。
おまえが願えば、銀糸の眠りは解かれるだろう。
人の子誰しもが持つ、先見の眼が開くとき。
この金色の祝福がその助けとなり、眠りのほころびとなる。
いつの日か、その時を迎えるまで。
この闇が、おまえのゆりかごとなるだろう)
おかあさんの声……でも、違う人の声のような気もする。
そのうち、金色の女の子の影は、私の中に吸い込まれるようにして消えてしまった。
……またどこからか、カーテンが引かれ。
私は、闇に包まれる。
心地のいい暗闇が、眠る私のゆりかごとなる。
そうして。
ヘビのみんなを、そして、おとーさんを知っている私は眠り。
長い間、自ら目を開けることはなかった。
……眠ろう、眠ろう。
だって、眠ってしまえば。
この闇の、カーテンの陰に隠れて、ずっとずっと目をつむっていれば。
私はそれを、思い出さずに済むのだから……。
<4>水野春臣は覚悟を見せる
(3300字)
「あっごめん、ひとつ連絡をしなくちゃいけなかった」
と、安達玄、の名刺を寄こした御崎玄が、スマホを取り出した。
席を外すことを考えた俺は、「コーヒー、淹れてきます」と言い、ちゃぶ台から立ち上がった。
十緒子のいるベッドルームに視線をやったが、十緒子の寝相は少しも変わっておらず、動いた様子がない。ヘビどもの何匹かはそれでも、そんな十緒子を、枕元でのぞき込んだままだった。
ほかのヘビは、ちゃぶ台の前に座る彼の足に乗ったり、すぐ近くの宙に浮いたりしながら、彼を見ている。『十緒子の記憶から、存在を消された』と彼が口にしたところから、ヘビども全員が口を開かなくなった。
俺が絶句したのとは、違う理由なんだろうが。
感じる空気が、余計に重い。
そのままキッチンへ向かい、いつものように、俺がこの部屋に持ち込んだやかんを取り出し水を入れて火にかけ、ふたつのマグカップにインスタントコーヒーの粉末を入れた。
砂糖の入ったタッパーとクリーミングパウダーの瓶、スプーンをまとめながら、リビングの様子をうかがう。
「あ、シュウゴ? 悪いけど、もう少しゆっくりしていくことにしたから。十緒子が眠ってしまって……起きるまで待ちたいんだ。どうする、シュウゴもこっちに来る? 水野くんもいるんだよ。……そっか、じゃ、こっち来ないね? わかった、そうだな。うん、一時間くらいしたら、また連絡するよ。それ以上かかるようだったら、自力で帰るからさ」
壁にもたれ片膝を立てて座る彼が、こちらにもまあまあ届く声量で通話している。それが終わったのを見計らって、タッパーと瓶、スプーンを運び、もう一往復してマグカップのコーヒーをちゃぶ台に置いた。
「ああ、ありがとう、水野くん。車を待たせたままだったからね、連絡したんだ。水野くんはシュウゴにも、会ったことあるんだよね」
「……シュウゴ、さん」
「カイトウ、シュウゴ。華緒子ちゃんと一緒にいた男の子なんだけど」
カイトウ。ああ、海藤、か。
華緒子の運転手してた、華緒子を担いで帰ってった奴。『男の子』っつう年じゃなかったけどな。
「ああ。わかりました」
「水野くんのこと、いい体してるって褒めてたよ。シュウゴが人のこと褒めるなんて珍しい……水野くんはスポーツかなにか、やってたのかな?」
「はあ、いえ、スポーツは、なにも。護身術を少し習ったのと、走り込みと筋トレくらいで」
「そうなんだ。でもそれだけとは思えない、確かにいい体してる」
話の内容と視線に、身の置き所がない。というか、どういう反応が正しいのかわからなくて、困惑する。
営業先なら……年配の顧客に『いい体してる』と言われることは多く、適当に『そうですか、ありがとうございます』などと、返せるのだが。
無言のまま、ひとまずマグカップを取り上げコーヒーをすすると、彼もマグカップを手に取った。ブラックのままひと口飲み、置き、ふたたび俺に顔を向ける。
「ところで水野くん。水野くんはヘビ様たちがしっかり視えていて、会話もしてる。当然この、こだま……オーブたちはもちろん、怪異、と言われるようなものはすべて、視えてしまうんだよね?」
相変わらずそのへんをふわふわ漂っていたオーブを指さして、彼が言った。
……『いい体』とか言っていたさっきまでとは、違う種類の視線。
穏やかさは変わらないのに、どうしてか気圧され、俺は息を呑む。
視えることを、知られた。
いや、べつに問題はないはずだ。
まぁいまさら隠すもなにも、あのヘビどもの前でそんな小細工なんか、出来るはずもねぇし。
ただ、話の先が読めないこの状況で、うかつなことは言いたくねぇんだが。
が、十緒子のことは、知りたい。
暴走だのトリガーだの、そんなことを言いかけておいて、中断された。
それは、わざとだったのかもしれない。
なんで、そんな……いや。
初対面の俺を、見定めているとしたら?
……だとしても、そこで咄嗟になにか思い付く訳もなく。
俺は彼に「はい、視えます」と、単純そのままな返事を返したし、その先の問いにも普通に、なにを隠すこともなく答えた。
「それは、いつ頃からなのかな?」
「……小学生の終わり、中学に上がる直前から、ですね」
「随分、具体的だね」
「その少し前に、両親が……両親を事故で、亡くしたので。それがきっかけになってしまったようです」
「……ご両親を。そうだったんだね。小学生で……そうか、そういうこともある、か」
彼の目が、わずかに和らいだ気がした。
「じゃあ水野くんはもう、人生の大半を。視る力と、付き合ってきたんだね」
「っ、ええ。……そう、ですね」
視る力と、付き合う。
……そんな言い方をされたことは、いままでなかった。
そんな、何気ない一言で。
俺はたぶん、彼に気を許してしまったのかもしれない。
その問いは自然と、俺の口をついて出た。
「同じ質問、を……いつから、と伺っても、構いませんか?」
「うん。俺は、いまの水野くんと同じくらいの歳から、いやもう少し前、だったかな? それまでは、なんとなく気配だけはわかる、そんなレベルだったんだけどね。ヘビ様にお願いして、しっかり視えるようにしてもらったんだ」
「っ、視えるように?」
なんでそんな、わざわざ。
ってかこいつら、そんなことも出来んのかよ……。
それでつい、眉根を寄せてしまったようで、それを見たらしい彼が言った。
「水野くんからすると、俺は不謹慎だよね」
「いや、そういうつもりじゃなくて、ただ、」
言おうとしたことばを一度呑み込んだが、彼は俺が続けるのを待ち……俺のほうが、折れた。
「……ただ、意味がわからない。なにを好き好んで、こんなやっかいな力を、と」
「やっかいな、力。そうだね。本当にそうだし……水野くんもやっぱり、苦労してきたんだね」
彼は身じろぎをして体勢を少し変え、立てた片膝の上で両手を組む。
そして俺を見据え、言った。
「でも、十緒子と付き合うのなら。この先ずっと、そのやっかいな力以上に、やっかいなことに巻き込まれるよ。それでも、いいのかい?」
……ひどく、腑に落ちた。
この人が言いたかったのは、そういうことだったのか、と。
だが、その問いは。
これまで俺が、何度も自問自答してきた問いだ。
嫌味をぶつけながら試してくる白ヘビにもすでに、その答えをきっぱり返してやった。
だから俺は、必要以上にまっすぐ彼の顔を見て、返事をすることが出来る。
「それは、覚悟の上です」
彼はしばらく俺をじっ、と見つめていたが、やがて「そっか」と言いながら、ふう、と息を吐き出した。それから、傍らにいたヘビどもに向かって、わざとらしいひそひそ声で話しかける。
「ねぇ。彼、ちょっとかっこいいよね」
(玄、気に入ったのかい?)
(春臣は、十緒子が選んだのだからな)
黄色のと緑のが答え、白は(フン)と鼻を鳴らすようにしてみせてから、十緒子のほうへ宙を移動してゆく。
青が、彼の顔のすぐそばまで体を寄せた。
(じゃあよぉー、春臣はこれで合格ー?)
「俺はただ、自分の耳で聞いておきたかっただけだけだよ。合格って、フフッ、それは……だって、ヘビ様たちが先に合格にしてるじゃないか」
俺は彼にバレないように息を吐き、張っていた肩の力を抜いた。と、すかさずクソピンクが(春臣ちゃんっ、緊張しちゃったねっ)と言いやがり、俺はクソピンクをにらみつけた。
「緊張、させちゃったか。でも、十緒子の話をする前に、どうしても訊いておかないと、と思ったんだ」
彼がヘビどもから顔を上げ、言った。
「さっきの、暴走の話を、ね。話しておきたいけれど、この先十緒子と関わらないなら、そんな必要はないからね」
「っ、聞かせてください。ヘビのことも、ちゃんと知っておきたい」
そう、俺は。
気がつけば、十緒子になにも訊けないまま、ここまで来てしまっていた。
「うん。じゃあ、話そうか。少し長くなるけど……十緒子のためにも、知っておいてくれるなら、うれしいな」
彼はそう言ってニッコリと微笑んだ。が、ふと視線がそれる。
その先には、十緒子……まだ目を覚まさない彼女を、遠くに眺めるような表情。
「さっきも言ったけど……もう、二十年も前の話、だよ。あれは……」
彼が、語りはじめた。
<5>水野春臣は昔語りに耳を傾ける
(3900字)
御崎玄の語り口調は、ひどく穏やかだった。
話の間、俺はほとんど合いの手を入れず、無言のままそれに耳を傾けていた。
十匹のヘビたちも、黙ったままで。
奴らの表情なんか俺には、見たところで、さっぱりわからないのだが。
だが、どうやら落ち込んでる、ってのが、なんとなく伝わってくる。
奴ららしくねぇ、けど。
それは、つまり……只事じゃなかった、そういうことだ。
それがわかって、俺の頭が一気に冷える。
……こいつらの手に負えなかったらしい、十緒子の暴走。
あいつは。いったい、なにをやらかしたんだ?
頭の隅でそんなことを考えながら、俺は話を聞き続けた。
◇◇◇
……もう、二十年も前の話、だよ。
あれは……十緒子が7歳の誕生日を迎える少し前、3月の定例会の日。
御崎の本家、大きな日本家屋のお屋敷だったんだけど。
御崎の分家した親族たちが、本家に来て会合をする日が、定期的にあったんだ。
普段その本家に住んでいたのは、まず御崎家当主の、高緒様。それから、十緒子の母親の、真緒子。真緒子は高緒様の姪にあたる。そして十緒子と、父親の俺、この4人で。
あと、昔からいる住み込みの使用人何人かも、敷地内の離れを使って、一緒に暮らしていて……華緒子ちゃんが来たのは、いつからだったかな。
あ、ちなみに。
俺は御崎家に、婿入りしたんだ。うんそう、だから安達、は旧姓。
御崎の本家はね、敷地も家もとにかく広くて、古い家で。
昔からの、そのあたりの土地の地主をやってきたような家なんだけど、まあそれも、ヘビ様のおかげだったんだ。
人の手に負えない、いわく付きの土地をね、御崎の家が安く買い上げて。
そしてそれを、ヘビ様に浄化してもらって。
その土地を貸したり売ったりして得た儲けを元手に、ほかの事業を興したりもして、御崎家は大きくなっていったんだそうだ。
だから御崎の親族には、それぞれで会社を興したり継いだりしている人が、そこそこいるんだよ。
ヘビ様の話を。親族の人たちは、視る力がなくても信じてたし、頼りにしてた。まあ勘違いして、神託を聞かせろ、なんて人もいたけれど、つまり、その存在はしっかり受け入れていて。
きっと子供のころから、聞かされるんだろうね。おまえは、蛇神様に身を捧げた貴き巫女様の子孫なんだよ、って……ああ、そこからだったかい?
遠い昔に、蛇神様にその身を捧げた巫女がいたんだ。その巫女も神様になってしまったんだけど、その力で、子孫に祝福を寄こすそうなんだ。どういう基準で寄こすのかは、よくわかっていない。
その祝福、というのが、このヘビ様たち。
その子がおなかの中にいるときに、その子を祝福するよ、って神様が、夢枕に立って言ってくれるんだって。これは真緒、十緒子の母親から聞いたんだけどね。
それで。
その子が祝福された、とわかるとね。親族のみなさんが、期待を持って押しかけてくるんだ。
まあ、ね。祝福されてない子孫からすれば、どうにか、あやかりたくはなるんだろうけれど。
高緒様も真緒も、昔から苦労してた。ヘビ様に出来ないようなことまで要求してくる人も多いし、それを叶えてあげないせいで、なにかとやっかんで来る人もいて。
それでも、祝福を受けた高緒様のことばには、みんな従っていて。ぶつぶつと文句を言いながら、だけどね。昔から、御崎家の当主は、祝福された人間がなるもの、という習わしがあるし、実際に高緒様のおかげで難を逃れた、という人もいたから。
そのうち、華緒子ちゃん……彼女は十緒子のハトコ、になるんだけど、彼女が祝福を受けたとわかると、真緒じゃなくて華緒子ちゃんを、高緒様の次の、御崎家の当主にしたい、そんな人たちも出てきて。
いろいろあって華緒子ちゃんは、高緒様が『うちで引き取るから、おまえたちはこれ以上口出しをするな』というようなことを言って連れて来たんだ。まだ子供の華緒子ちゃんに、無茶なことを言う人たちが、結構いたんでね。
……前置きが、長くなってしまったね。
まあ、要するに……その日は、ね。
そんな困った親族の皆さんが、一堂に会する日、だったんだ。
◇◇◇
少し前から、一部の親族たちの様子が、おかしかったんだ。
会うたびに重たい陰の気が増えていて、そのうちそこに、よくない怪異を纏わせるようにもなっていて……ああ、陰の気と言って、伝わるかな?
すべての人が持つ、陰の気と陽の気。
陰の気がそのバランスを崩すと、例えば、他人や己を過剰に卑下したり貶めたりするようになるとか、そういう類の、ネガティブが過ぎる思念を持つことで、怪異を呼び寄せやすくなる。
その人たちもすでに、邪、と俺たちが呼んでいる怪異を呼び込んでしまっていて、でも本人たちはそれに気付いていなかった。
彼らは昔からもやもやと、陰の気を纏っている人たちだったそうだ。それがここへ来て、それを悪化させていて。
真緒や高緒様が、ヘビ様にお願いして、本人たちの気付かないところで、多少は邪を祓ったり、気のバランスを整えたりもしていたのだけど、キリがなかったんだ。
……ああ。うん、そう。
真緒のヘビ様は、黒のヘビ様で。
高緒様のは、銀色のヘビ様、だよ。
華緒子ちゃんのヘビ様が、金色。
そして十緒子の、十の色のヘビ様。
全部で十三匹のヘビ様、だね。
同じ時代に全部の色のヘビ様が揃うのは、前代未聞のことらしいよ。
ねえ、みんな? いままでそんなこと、なかったんだよね?
まあそれより、ひとりに十匹っていうのも、ね……いや、こっちの話は、また今度にして。
それで、話を戻すと。
そう、邪を纏ってしまった、困った親族のみなさんの話。
本家には通常、ヘビ様たちが結界を施していて、邪は入り込めない。
けれどいつもの結界のままだと、邪を纏ってる方々も、邪もろとも弾かれてしまう。
いや本当は、弾いてしまいたかったんだけどね。
ただそうして本家に入れないことで、後々難癖つけられても面倒なことになるし。
悩んだ末、結界を弱めて、招き入れることにしていたんだ。
彼らが来る日だけ、ね。
……その日は。
真緒と高緒様が、さすがにもう看過できないから、どうにかしよう、そんな相談をしていて。
その間に俺が、彼らの相手をしていた。
大広間に案内して、挨拶や世間話をして。
今日こそ、高緒様からはっきり指摘し、必要なら目の前で浄霊しようか、とか。
真緒とは、そんな話にもなっていたそうだ。
だけど、ね。
そう決めた高緒様と真緒が、大広間に来る前に。
しまったことに、彼らの邪が、急に活性化してしまったんだ。
おそらくそれを促してしまったのは、ほかでもない、俺の存在。
俺は……見方によっては、祝福を授かった人間を、独占している状態だったからね。
高緒様に真緒、そして華緒子ちゃんと同じ屋根の下に住む、余所者。
加えて、生まれた娘も祝福されている。
まあ、やっかまれるよね。
元々、カネ目当ての婿入り、なんてことは、しょっちゅう言われてたし、よく思われてるはずもなかったんだけど。
でも俺はそこまでひどい関係ではないと思っていたし、実際にそうだったと思う。
だけどその日、邪がどんどん力を増してしまったことで、その人の理性も抑えが効かなくなってしまったんだろうね。
そうこうしているうちに。
邪にすっかり取り憑かれてしまった人間が激昂して、俺を罵倒して……その様子を目の当たりにさせられた、邪に侵されていなかったほかの親族たちも。
増殖した陰の気と邪に囲まれ、毒気に当てられて、陰の気を増してしまって。
陰の気が次々と増殖して、ますます怪異を呼び寄せやすい場になってしまうという、悪循環。
ほんの数分で、まずいことになった、と思ったよ。
それでも俺は、楽観してた。すぐに真緒と高緒様が気付いて、ヘビ様たちと来てくれるだろうし。
俺には真緒から持たされていた、黒のヘビ様の力が込められた護りがいくつかあったから、冷静に対処すれば、邪に喰われるようなことは防げる。
罵倒されながらも俺は、割と落ち着いていて。
気分を悪くしたり、倒れたりしている人がいないか、周囲の状況把握に努めていた。
真緒が来てくれたとき、俺に出来ることの優先順位を考えておかなくては、とね。
結局、そのとき。
幸か不幸か、御崎本家にいたほとんどの人間……招かれていた親族、使用人たちが、その大広間に集まっていて。
あとは高緒様と真緒を待つだけ、という状態だったんだ……。
◇◇◇
彼はそこで、ふう、と息をついた。
そして顔をまた、ベッドルームの十緒子のほうへ向ける。
俺もそれにつられて、十緒子を見た。
十緒子もヘビたちも、様子は変わらない。
十緒子はまだ起きないし、ヘビどもはやはり、黙ったままだ。
そしてまた彼は、ゆっくりと語りはじめる。
その穏やかな口調は、変わらない……だが。
「……そう。
陰の気と邪が満ちてしまった大広間に、十緒子が来てしまったんだ。
華緒子ちゃんと一緒に、大人たちから避難していたはずの十緒子が。
大広間の続きの間から、突然、飛び出してきたんだ……」
彼がそう語ったとき。
その当時の彼が、驚愕と焦りを持って凝視しただろう、その対象。
……幼い頃の、十緒子の姿を。
俺もまた……彼の目で、それを見てしまったかのように。
詰まるような息苦しさと、胸の痛みを感じていた。
つづく →<その17>はこちら
あなたに首ったけ顛末記<その16>
◇◇ 隠者のランプは己を照らす ◇◇・了
(この物語は作者の妄想によるフィクションです。登場する人物・団体・名称・事象等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。)
【2023.09.29.】up.
【2024.10.16.】加筆修正
☆あなたに首ったけ顛末記・各話リンク☆
<その1> はじめまして、首フェチの生き霊です
【生き霊ストーカー・編】
<その2> 鑑賞は生に限るが生き霊はイタダけない
<その3> 水野春臣の懊悩と金曜日が終わらない件
<その4> 御崎十緒子のゴカイ☆フェスティバル
<その5> 手は口ほどに物を言うし言われたがってる
<その6> 日曜日には現実のいくつかを夢オチにしたっていい
【ヘビたちの帰還・編】
<その7> 吾唯足知:われはただ「足りない」ばかり知っている
<その8> 天国には酒も二度寝もないらしい
<その9> どうしようもないわたしたちが落ちながら歩いている
<その10>「逃げちゃダメだ」と云わないで
<その11> アテ馬は意外と馬に蹴られない
<その12> ”〇〇”はゴールではない、人生は続く
<その13> イインダヨ? これでいいのだ!
【御崎十緒子の脱皮・編】
<その14> 耳目は貪欲に見聞し勝手に塞ぎこむ
<その15> 人生と誕生日は楽しんだもん勝ち
<その16> 隠者のランプは己を照らす
<その17> 闇で目を凝らすから星は輝く
<その18> トラブルには頭から突っ込まないほうがいい
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【前編】
<その19> 痴話喧嘩は甘いうちにお召し上がりください【後編】
【(タイトル未定)・編】
<その20> 招かれざる客は丁重にもてなせ
<その21> 歌い踊るは人の性
・『あなたに首ったけ顛末記・目次』
↑ サブタイトル込みの総目次を載せた記事です。
・マガジン・小説『あなたに首ったけ顛末記』
↑ 第一話から順番に並んでます。
・#あなたに首ったけ顛末記
↑ ”新着”タブで最新話順になります。
・マガジン・小説『闇呼ぶ声のするほうへ』(スピンオフ・完結)
↑ <その14>のあとに書いたのでその辺でお読みいただくと楽しいかも?
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# 男子ってなんでも尻ポケに入れるよね