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申し遅れました、私こういうものです。~1~

今さらですが自己紹介させてもらってもいいですか?

万英(まんえい)と申します。
ちなみに万英は僧名で僧侶でもあります。
現在は和歌山で田舎のスローライフを送る二児の母、主婦やってます。

幼少期

大阪のちっちゃなお寺に生まれました。四姉妹なんですが、跡取り息子が欲しかったであろう父親の鉄板ネタは「ファーボールですわ~」上手いことゆうな。

小さい頃から体を動かすのが好きでした!
近所のバレエをしてたお姉さんにからだが柔らかいとほめられ調子にのって私も習います。

比較的女の子が好きなままごとなんかは苦手でお母さん役を取り合う意味がわからなかったです。
なんで遊びでまで忙しく家事せなあかんねんと思ってました。
そんな私は楽やからという理由でペット役ばっかり。猫役が最強です。フラッとどっか遊びにいってもいいし、寝ててもいいし、最高でした。

アホだったので(今もですが)理解力に乏しく、水泳の授業の泳力テストでは息継ぎせずにどこまでいけるかをやるんかと思って、泳げるくせに記録5メートルくらいで最下位。それを家帰って言ったら父親に激怒されたのはよく覚えています。

あとはポートボール(バスケットボールのかごが人バージョンのやつ)してたんですけど、それからですね。負けず嫌いで短気になりました。背の順は良くて3番目くらいチビだけど、負けん気一番で暑くるしてうっとうしいタイプの人間でした。

中学に入ってからは姉の影響と友達に誘われたのでソフトボール部に入りました。顧問の先生も放課後職員室でソリティアやってたので練習見てくれず、弱小すぎてもはやソフトボールしてたに入るのかよくわかりません。この時から負け癖がついたので、負けず嫌いと短気は少々落ち着いたような気がします。

でもまあ継続してからだ動かすのは好きだったので、スポーツテストは学年一位、体育の成績も良好でした。その他の成績は根がアホなのでさっぱり、座って勉強するのが苦痛でしかたなかったので、体育ばっかりできる学校を探しました。

体育会系の世界へ

前期試験で入試がはやく終わること
試験科目が三教科と体育実技テストのみ
体育ばっかりできる
高校の名前の響きがカッコいいなどの理由からわざわざ通学時間約1時間半の体育科の高校へ進みます。

模試ではE判定だった高校に奇跡的に受かりました!落ちたら五教科の試験なので三教科しかしてなかった私はもうどこもいけなかったと思います。

ここが確実に今思えば重要な分岐点でした。

高校時代

体育科の生徒は部活の加入は絶対とのことで、一応やってたソフトボール部に入部します。
案の定下手すぎて初心者扱いでした。基本がなってないとのことでキャッチボールからやり直しでした。恩師は当時のことを振り返り「この子、どないしようかと思ってた」って言ってました。
その恩師にはたぶん学年で一番怒られたんじゃないかと思います。けどまあ、最終的にはレギュラーにまでなれたので恩師には感謝してます。ありがとうございました。
一番下手くそという自覚は財産でした。自分を一番底辺と思うことは自然と努力する原動力になってたと思います。

あとは上下関係を学んだり、一生の仲間ができました。

大学時代

やっぱり体育系に進み、ソフトボールを続けました。より一層上下関係は厳しく、1回生のころはゴミかチリのような存在で上級生は神様で格差社会でした。その時のキャプテンの先輩はキャプテンするために生まれてきたんか?というくらいすごい人でその人の影響は計り知れないです。
選択に困ったときにその人ならどう解決するやろうとかの基準になってたし、その人に言われたことをいまでも実践しています。ゴミと神の関係だったので現役時代はほとんど話したことありませんが(笑)

この頃スポーツ心理を学びはじめます。競技においても心とからだの相互作用に気づきはじめていました。

ちょっとここで一息。
こんな長々かいて誰が興味あんねんって感じですね。どうしよう。
一旦ここで止めといて、次回続き書かせてもらいます。
よければまたお付き合いください。


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