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47 野沢菜と伊藤つかさのおじいちゃん

 ぼく自身は子供の頃から運動とは縁のない──つまり滅多に汗をかかない──人間だったので、人より多く塩分摂取が必要なライフスタイルは送ってこなかった。
 ただ、両親がそろって農家の出身だったので、塩分を多めに取る習慣が染み付いていたようだ。子供の頃から家の食卓には、塩がしっかり効かせてある焼き魚と、味が濃いめの味噌汁と、そして数種類の漬物が並んでいた。
 子供の味覚だから漬物なんてそんなに好きではないんだけれど、あればあったで食べはする。それなりに漬物というものには馴染んでいた。
 ナスやカブの糠漬け、キュウリの古漬け、白菜漬けといったあたりが多かっただろうか。沢庵は我が家ではほとんど食べた記憶がない。両親の故郷である福島県全般がそうなのか、うちの田舎があった地域だけの傾向なのか、それはわからない。
 2022年のM-1グランプリ決勝で、ぼくが(脳内で)もっとも高い評価を与えたのは、さや香の漫才だった。

「いつまでも若くないですよ」
「30歳入ってから老化をすごい感じます、ホンマに」
「だからボクは免許の返納をしました」
 のアレ。

「味覚が……食べ物の好みが変わってもうて」
「オレいちばん好きな食べ物、お漬物やで」
「だってこの前、漬物だけでごはん三杯食ったからな」
 のアレ。

 そう、漬物は食欲を加速する。白米の消費を誘発させる。塩分の強さがそうさせるわけだが、肉や魚の入手が困難だった時代の農民にとって、塩気の効いた漬物は食事における知恵の結晶だった。
 このあと石井は新山に「ごはん三杯食えてるやん!」とツッコまれるわけだけれど、いくら漬物に食欲を増進させる効果があったとしても、若い頃からずっと少だったぼくが、ごはんを三杯食べるのは無理な相談だ。そういう意味で、ぼくは「いつまでも」どころか、胃袋的には「いつだって若くないですよ」なのだ。

 母も若い頃は自宅で白菜漬けを絞ったり、糠床にナスやキュウリを突っ込んでいたが、年老いたいまはもうそんな面倒なことはしない。たまにスーパーで目についたものを買ってくるか、庭のキュウリをもいでスライサーで薄切りにして、塩振って浅漬けにする程度。
 同じ浅漬けでも、ぼくは刻んだ残り野菜をヒガシマルの粉末うどんスープと一緒にビニール袋に入れてよく揉んだものをよく作る。知久寿焼さんのCMソングを鼻歌で歌いながら野菜を刻むので、ぼくはこの浅漬けを「つく漬け」と呼んでいる。

 高校3年の修学旅行がなぜか「蔵王でのスキー」だった関係で、卒業してからも1~2年はスキーをやっていた。高校でいちばん仲良しだったT山の田舎が信州にあるというので、お金のないぼくらは宿代を節約するために信州方面をメインゲレンデにしていた。竜王だったか、斑尾だったか、菅平だったかは覚えていないが、とにかく信州だ。
 信州地方で漬物といえば、なんといっても野沢菜である。
 正直、ぼくは野沢菜を数ある漬物の中でもそんなにおいしいとは思えないのだが、まあ信州に行ったら当然のように食卓に並ぶ。T山の田舎でも朝晩の食事に野沢菜が欠かせない。そして、これがびっくりするほどうまかったのだ。
 その家のおばあちゃんに聞いたら「イカの塩辛」を使ってるということだった。検索しても、とくにそういうレシピは見当たらず、信州の名産だという情報も出てこない。そのT山家だけの秘伝のレシピだったのかもしれない。「母にも食べさせたいんで、少し分けてもらえませんか?」とお願いしてみたが、これは信州の寒い気温下で作ってこそおいしいものだから、東京へ持って帰ってもこの味は再現できないと、断られてしまった。あれ本当にもういちど食べてみたいもののひとつだ。

 ある年のこと。信州でひと通りスキーを楽しんで、あとは帰るだけというときになって、いきなりT山がおかしなことを言い出した。
「とみちゃん、近くに伊藤つかさのおじいちゃんが住んでるから、会いに行かねえ?」
 会いに行かねえ? って知り合いでもないのに何を言ってるのか。そんな他人がいきなり訪ねて行って会ってくれるものなのか。
「大丈夫、大丈夫、おじいちゃん優しいからさ」
 そうか、T山は何度か会ってて顔見知りなのか。なら、行ってもいいかな。
 そういうわけで、ぼくらは伊藤さんのお宅を訪問し、ひとりでテレビを見ていたおじいちゃんの歓待を受け、一緒に記念写真を撮ってもらった。当たり前だが、そこに伊藤つかさはいない。
 信州という言葉を目にすると、ぼくはあのとんでもなくおいしかった野沢菜を思い出すと同時に、伊藤つかさのおじいちゃんのことも思い出すのである。なにこの思い出?

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とみさわ昭仁
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