「他人の目なんか気にするな!」という呪い
TikTokを見ていたら、「最強のメンタル術」と題して、「他人のことはどうでもいいと思え!」と言ってる人がいました。 これ、自己啓発でよくある話です。
人間は他人を気にして葛藤します。「やりたいことがあっても他人の目が気になってできない」この悩みに対して、自己啓発業界は解答を提示します。「他人の目を気にせず、やりたいことをしなさい」と言う。 読者はこの言葉を真に受けて「他人を気にしない自分になろう」とします。しかしながら人間というのは「他人を気にする設計(デザイン)」なので挫折する。読者は理想と現実の狭間で葛藤し、日々できない自分を責め続け、しまいにはうつ病になってしまう。
進化の過程で他人の目を気にする個体が生存・繁殖に成功してきました。その子孫である我々も当然他人の目を気にします。いくら「気にしない!」と思ったところで、気になるものなんです。それなのに自己啓発は、「できるできる」と強いる。
自己啓発の著者はマウンティングを取ってくる。 「自分はできたよ」って。実際はできてないんですけどね。できてないけど、できたよってブランディングしますからね。勝ち誇った著者と負けた読者がいると。 ここで師匠と弟子の関係ができちゃって、弟子は無理難題を解決するために、ずっと著者のもとにいなきゃいけない。動画がアップされたら見なくちゃいけない。 セミナーが開催されたら駆けつけなきゃいけない。
他人の目を気にせずに生きるなんてのは、それは願望としてはあるんですよ。 人間誰しもそうなりたい。だって不快だから。だけども、人は「他人の目が気になる設計」なんです。これは変えられない。
他人の目を気にせずに生きたらどうなると思いますか。すぐに捕まっちゃいますよね。刑務所に入っちゃう。会社や学校でも、人の目を気にせずに動いたらヤバいですよ。居場所がなくなって人生が破綻します。
だから「他人の目が気になるのは悪いことではない」とまず自覚しないといけないんです。 人間は社会的な動物で、社会的な振る舞いができないとやばいんですよ。他人の目を気にするっていうのはゴリゴリに社会的な振る舞いなので、それができている時点で「あなたは人間としてのベーシックなところをちゃんと備えた人だね」と祝福しないといけないんですよ。 よかったねと。
人は「不快なものをダメ」と思っちゃうんですが、それは安直すぎるのでよくないですよ。不快なものでもちゃんと人間が生きていく上で役立つから備わっているのでね。ネガティブな感情にしてもそうです。「悲しい、不安、嫉妬、劣等感」こういうのもなんで人間にあるかっていうと、役立つからあるんです。こういうことをちゃんと教えないで、「不快なものは消しましょう」という自己啓発ってどうかなと思うんです。よくないなと思うんです。無理なことは無理でいいんですよ。 それを皆さんに知って欲しい。
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