「できること」を伸ばし、「できないこと」は潔く捨てる。
とんでもなく格差がひらいてくると、「何かおかしい」と思う。 「同じ人間なのに自分と成功者には千倍の差がある」ということになれば、人間は学びだす。
何が原因で差が生まれているのか。 その一つが「資本を多く持っている人が得だよね」と。これはもう明らかになりました。 次はもっと根源的なところで、「遺伝的なもの」ですよね。今の社会環境にあった「遺伝的構成」の人は得をするし、合わない人は損をするということが、徐々に明らかになってきています。
ただこれは今までの世界観と違うし、「優生思想に至るのでは?」などの懸念によってタブーとされます。「行動遺伝学なんて知りたくない」という人が多い。
結局、「努力すれば報われる」というのは宗教なんですよね。それを信じていれば自分のメンタルを保てる。この考えを手放せない。
とはいえ「努力すれば報われる」という宗教も、格差がひらいてくると、化けの皮が剥がれてくる。「すがってもしょうがない」「そんなことを考えても何の救いにもならない」と、いよいよみんな目を覚ましてくる。 ちゃんと科学的なところをベースに社会設計しないと自分の生活がヤバい。子供や孫はどうなるんだってことになる。「もっと格差を是正しろ」となる。「機会の平等」をやっても、遺伝子の違いによって差が生まれてしまう。なので「結果の平等」にも目を向けないといけない。「マイルドな結果の平等」にしないといけない。そこでベーシックインカムの議論が出てくる(今後さらにベーシックインカムの議論が高まってくると思います)。
なんで今すぐじゃないかというのは、これまでの世界観や人生観、教育観が、やっぱり根強いんですよ。 人間は粘土のようなもので、外から力を加えてやったら、どんな形にでもなるって考える。「人間は空白の石板である」として、人はみな生まれたときは真っさらな状態で、そこに何でも書き込めると。 教育次第で、どんな人格にでもなるし、どんな能力も備えることができると。この考えって、人間の素朴な感情・思考なので強固です。まあ確かに、人間って何でもできてしまうのでね。誰しも汎用型AIみたいな感じで、何でも大体できてしまう。自転車にも乗れるし、パソコンも使えるし、絵も描ける。人間はあまりにも器用なので、こういう「環境決定論、教育幻想」があるわけです・・・。
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