佐佐木幸綱『群黎』から短歌鑑賞
男歌の系譜ここにて断たれたり人呼んでわれは男歌男
「現代」において「男歌」とは何であろうか。
令和の日本という「現代」は、ジェンダーが捉え返される時代であると言えよう。例えば、小学生のランドセルに多様な色が現れて久しい。役所で記入する公的書類から性別欄が消えた。文壇では「女流作家」「女流文学」という言葉が批判された。この流れの中で、「男歌」とは何なのか。「男歌」は後述するように短歌を評論するときに使われる言葉だが、「男歌」という言葉から受ける印象は、短歌だけが男の歌と女の歌を分けている、短歌だけが時代から取り残されているという印象なのではなかろうか。
まず、「男歌」がどのような使われ方をしてきた言葉なのかを見てみよう。詰まりは、「男歌」の内包的な語義を探ってみたいのだ。『現代短歌大事典』には、谷岡亜紀による「男歌」の項があり、そこでは、男歌という用語の淵源が江戸期の賀茂真淵らの国学における「益荒男振」という捉え方に遡れる、とある。また、男歌は「男性的詠風」を言うとしても、そもそも「男性的」とは時代により文化により相対的な概念であるので「男歌」は定義の難しい用語だ、ともある。
では「男歌」の内包的な定義が困難であるなら、つぎには、その外延的な探究に進もう。現代的な歌人たちの多くが「男歌」という語から連想する一人の歌人がいる。それが佐佐木幸綱である。われわれは、ここでは佐佐木幸綱の第一歌集『群黎』を読むことを通じて「男歌」がどのようなものかを考察したい。
火と立ちて行く手に熱き風巻けり馬場に来て精悍な雌馬に乗れば
ボクサーの恐怖連日育ち来て予感す若きゆえ醜き死
性欲の錐揉みしつつ降り来るを怒り鎧える真の兵たれ
一首目・二首目は「英雄」と題した一連からである。作中主体が戦場にあるごとくの緊張感をもって雌馬を走らせようとする瞬間である。疾走のほじめる瞬間での内に秘めた闘志が伝わる。二首目は一連の最後に置かれた歌だ。闘いはどこかで終わりを要する。それが華やかな勝利であっても醜い敗北であっても、作者の佐佐木幸綱の心は、敗者に、或いは、敗北を知りつつ闘い抜いたものに寄り添っている。三首目は「少年」と題された一連からのものであり、ラグビー観戦に向かう途中で目にした少年のたたずまいから想を得ての一連である。掲出歌は、少年がこれから向かえる成長と成長にともなう内面的な苦闘へのエールだと読めよう。
私は佐佐木幸綱の『群黎』を国文社刊の「現代歌人文庫」、その『佐佐木幸綱歌集』で読んでいるが、同書には大岡信による「『群黎』に寄す」との文章が収められている。この文章が佐佐木幸綱を「男歌」の歌人と定めたと言ってもよい。
「佐佐木幸綱の歌を一言で形容するなら、≪男歌≫である。オトコウタであり、オノコノウタである。」(p.139)
大岡信の論述を私なりにまとめると、以下の三つの論点を佐佐木幸綱の歌の特徴として提出している。①「想像力の鋭い貫通力」、②「馬上ゆたかな美少年」のごとき静謐な品位ある韻律、③破調のなかに見える他分野から影響。このような大岡信の解釈を私も否定するものではない。なぜなら、ここでまとめた大岡信からの三つの論点は、先の三首から私が導いた鑑賞と幾分も排反するものではないからである。
ここまでをまとめよう。「現代」において「男歌」とは何であろうか、それがここでの問題意識であった。そして、その外延的探究として、佐佐木幸綱の歌をとり上げた。ところで佐佐木を「男歌」と呼んだ大岡信の文章からして、「男」への規定は弱いのであった。それは時代や文化に相対的な言葉選びだったのかもしれない。
そうすると、むしろ、われわれは佐佐木幸綱の歌を新たに読み解くことで、そこにある抒情を「男歌」という言い方ではない新たな特徴づけをしてもよいだろう。実際、歌人の岩田正は二〇〇二年に刊行された『現代短歌をよみとく』の中でつぎのように書いていた。
「男歌なぞという、ある分類的な同一パターンにおしこむことはやめよう。それは極めて力強く明瞭で開放的でダイナミックな歌、そういう言い方にかえたい。(p.101)
戦わぬ青年なれば川に向き尿(いばり)して夜の道帰り来つ
青あわきアオザイゆらゆら直立てる痩身の少女の足靡かせる
初期佐佐木幸綱の歌に繰り返しあらわれるイメージは引用歌からも窺えるように、「佇てる像」である。そしてその立ち現れは、あたかも火焔が宵闇の中を天へ貫一に上を指すごとしである。いままでは、その焔ら佇つ歌は「男歌」と呼ばれてきた。われわれは新世紀に入り、その伝統を引き継ぎつつ新しい歌を歌をどう歌うかを試されている。
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