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『道徳的完成主義ーーエマソン・クリプキ・ロールズ』その①

 スタンリー・カヴェルは、1929年アメリカはジョージア州に生まれた<生粋のアメリカの>哲学者である。オースティンを師と仰ぐカヴェルは2018年に亡くなるまで、どちらかと言えば『探究』を中心にしたウィトゲンシュタイン研究を発表し続けてきた。その研究を高く評価する研究者はアメリカ以外にもいて、フランスではジャック・ブーヴレス が、わが国では飯田隆がカヴェルの魅力を語っている。『分析哲学これからとこれまで』[飯田2020]から引用してみたい。

「カヴェルのウィトゲンシュタイン論に私が感謝するのは、それが、この哲学者の書いたものを読むとき私がしばしば受けながら自分ではうまく捉えることのできない印象を定着していること、ときにはもとのテキスト以上に生き生きとそうした印象を甦らせてくれることに対してである。」(p.184)

 今回お話してみたいのは、そのようなカヴェルが<懐疑論と道徳>についての思索を64歳のときに著した『道徳的完成主義』である。あらかじめ断っておくと、書名からわかる倫理的な主題に私はそれほどの関心はない。しかも、「完成主義」という立場は、私自身もこの訳書を手にしたときに初めて知った言葉なのだ。むしろ、読み始めた動機は、お茶の水の丸善でこの本をめくっているときに見つけたつぎの文言である。

「……懐疑論による言葉の誇張的使用……とは、……私たちの規準が惹起され抑圧されるというウィトゲンシュタインの見方から説明することができ、それゆえ相互関係にあるものと見ることができる。」(中川雄一訳;P.167-168)

 ここには、私がそれまで「規則のパラドクス」や「懐疑論」の問題として扱われているものを読んでも今一つ腑におちないと感じていた、その応答のようなものがある、との予感を感じたのだ。私は、その夜、<懐疑と規準の包みあい>というテーマについて考え、確かにこれこそがわれわれの唯我論につながるテーマ系の一部をなすと確信し、その後、お金を貯めて再び丸善へ向かったのであった。

 とはいえ、読者(2020年にはそのような奇特な方がどのくらいおいでか不安でしかないが)には「道徳的完成主義」とは何かを少しでも触れておいたほうがいいだろう。そうでなければ、思索の手がかりを隠されているような心許ない気分になってしまわれるかもしれない。そこで、今回の話には無関係とはいうものの「完成主義」について手短かに触れておこう。訳者解説では、完成主義とは「人生の目標は、人格や振る舞いにおける完全な理想を追求することにあるという倫理的立場」とある。
 その中での例として、「猫が布団の上にいる」という言明・言語行為が提示されている。そして、「それはだれに向かって言っている文なのか。その『だれ』とは生者とはかぎらない。猫好きだったいまは亡き愛する人なのかもしれない。文とは真や偽であるまえに、本当のことを伝えようとする意思(道徳性)があるように思われる」(p.348)と解説される。つまり、言明には<正しく伝えるべき>という道徳性がいつもつねに介在しているのだ。そして、人生において言葉づかいが正しく道徳に適った生涯を送れたならば、その人の生き方は完成したと考えられる。そういう考えが「道徳的完成主義」と言える。

 しかし、よく知られているようにウィトゲンシュタインは『探究』において 「規則のパラドクス」と後に呼ばれるようになる有名なパラドクスを提示している。それは、次の章句にまとめられる。

 §201 我々のパラドクスは次のようなものだった。規則は行動の仕方をどのようにも決定できないだろう、というのもどのような行動の仕方も規則に一致させられるのだから。(鬼界彰夫訳:2020)

 われわれは普段、言葉は規則に則っているはずだと思って何の不思議も感じない。たとえば、「猫が布団の上にいる」という言語行為によって語られたその命題は、文法という規則によって語られた命題である。もちろん、その規則は、あたかも惑星がこれまで周回してきた軌道がわり出されるというような、たまたま自然界で成り立ったいることから得られる帰納的な規則ではない。むしろ、人間たちがその生活実践の中で、文法を頭で理解した上で、意図をもって行為されている規則である。「つまり、言語を理解しているひとの言語的振る舞いは、単なる規則性を示すものであってはならず、そのひとが意図的に規則に従うことによって可能となる振る舞いでなくてはならない。」([飯田1997]p.240)

 以上は懐疑的な哲学を始めるまでは、まったく当然と思われるのだ。なぜなら、言葉を使っているのはわれわれであり、われわれは互いに意思を伝え合うためにはある種のコードを必要するように思われるからだ。
 しかし、『探究』のウィトゲンシュタインはそこに懐疑の眼を差し向ける。

 §185 さて、生徒はー通常の基準に照らしてー自然数の列をマスターしている。……生徒に1000以下の範囲の数で練習させ、この命令を理解していることを抜き打ちテストで確かめたとしよう。
 そこで我々は生徒にある数列(例えば「+2」)を1000を超えて続けさせてみる、ーすると生徒は、1000、1004、1008、1012、と書く。

つづきはまた明日。

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