大人になったら「私なんて」とか一切言うな!女の人の良い「自己愛」の保ち方。
最近地元の大切な人が離婚を決めた。彼女が周りの人より自分の気持ちを大切にした結論だったので、嬉しくて、お祝いにこの本を贈った。彼女と、この本がきっかけで、自己愛について人生で初めて考えたので、残しておく。
東京は地元より、とにかくスピードが速く、様々な能力の人に囲まれる環境で、それが楽しい。自分の考え方も毎日変わっていくのを実感してる。時代に追いつくように、追いつけるようにと、少しずつ信じているものや考え方を変えていく感じがある。今は、この「プチ・アップデート」が、自分の脳みそや肉体的にも刺激的で、良い環境だと感じている。
でも、たまに地元に帰ると、ちょっと不安になる。変わらない地元と、少しずつ変わる自分。「あれ?もしかして違う方向に進んでる?」みたいな感覚になる。
地方では、自分の意思を通すことより、周りとうまくやっていく力がとても重要になると思っている。話が戻ると、離婚の相談を受けた当初、彼女は自分の気持ちを全然話してくれなかった。周りの人がどう思うか。どう変わるか。どうしたら迷惑をかけないか。という話がほとんどだった。
「私なんて」の積み重ねは怖い。
それとまた別の機会に、あんたはとても自己愛が低い!と友人に叱られて、えっ、そうなのか・・・?と私は私で内省中の日々だった。自己愛について考えたこともなかったし、かといって、自分のことが好きかと言われてもよくわからなかったし。でも、彼女の相談にのっている中で、彼女と私の共通点が見つかった。それは「私なんて」が当たり前の大人たちに多く囲まれた環境で思春期を過ごしてきたこと。
確かに、どんな会話でもだいたい最後は、「私なんて◯◯なの〜。全然だめよ〜」と言う締め方だった。自分のいいところも、実績も、「そんなの本当に何もないの〜!」しか言えなかった。
それまでは、人に気を使って自分を何段も下ろして会話をすることって、親もやっていたし、とても美徳な考え方だと教わったし、当たり前の礼儀だと思っていたのだけど、「あなたが幸せになる方法は何か」という視点で相談に乗っているのに、自分はどうでもよくて、周りが…という話しかしない彼女に、なんて卑屈で面倒なやつだ!!!!と思ってしまった。でもふと気づくと、彼女も自分も考え方は一緒だったことに気づきあ〜自分も超面倒なやつじゃんとなった。
「私なんて」が過ぎると、仕事でもプライベートでも、永遠に「私なんて」ループ。どれだけやっても、褒められても、「私なんかがやったことはたいした意味がない」という思考に陥って、どんどん頑張っちゃう。どんなに頑張っても、どんなにいい結果を出しても、全然満足できない。全然次のステップへ進めない。焦る。よくない。
誰かに見つけてもらった「自分の価値」は大事にしたほうがいいけれど、人に欲されてないと不安になる考え方はやばい。と少し客観的に物事を見るようになって、最近ようやくわかった。何もできなくても、自分が自分を認めることや信じることは、仕事をする上でも、人と付き合う上でもすごく大事な自分の土台なのだな…と思い始めている。
加えて年齢の話をすると、一般的に、年齢を重ねるほど、容姿に対してはみんな若い頃より自信を失うものだと思う。その時に、中身まで自信を失うと、簡単に「私なんて…私なんて…」しか言わないおばあさんの出来上がり。えー絶対ヤダ!
楽しいおばあさんになりたい!と思ったから、自己愛などについて、考えているというわけです。
離婚の相談では、とにかく「周りじゃなくて、私はあなたに幸せになって欲しいから、どうしたら幸せだと思うのか教えて欲しい」という問いを、とにかくしまくった。もともと離婚という選択肢はなかったので、結論を聞いた時はびっくりしたんだけど、彼女が初めて、自分のために出した決断だったので、とても嬉しかった。「いいじゃん!しなよ!」って即答した。
そんなことがあったりなどして、理由なく、自分を認めることって自分にとっては結構難しいことだったんだけど、いろんな人の自己愛の形を聞かせてもらって、ちょっとずつ考え方が変わっている気がしてます。やっぱり、卑屈なやつより、好き!で溢れている人と一緒に仕事したり遊んだりしたいよな!
西原さんのこの本は、地元でそうやって無意識に我慢している大人の中で育つ期間。東京でたくましく、漫画家として生きる期間の自分を比べて、自己愛をちゃんと持つ大切さを書いてくれていると思いました。我慢しちゃう女の子やお母さんにオススメの本。
女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと(AMAZON)
スカッとしたいときは、西原さんのこちらの本。読者の悩みを明るくぶった切ってて面白い。高須先生とのあれこれも無駄におもしろい。
どーせいつか死んじゃうから、死ぬ前に!
将来は、小さな連載を数本抱えているおばあちゃんになりたいです。