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DEI(多様性・公平性・包摂性)を見直す動きについて、思いを巡らせる。
こんにちは。JUDY AND MARY で一番好きな曲は「ミュージック・ファイター」です。カッコイイと思います。
無知だからこそ感じた素朴な疑問
私は世の中についてあまり詳しくありません。齢に不足はないので、相応の知識があるべきだとは思いつつ、日々のニュースを見ても、深く理解できないことが多々あります。
最近、アメリカの企業で「DEI」の取り組みを見直す動きが広がっているというニュースに触れました。
「DEI?なにそれおいしいの?」
不思議に感じた事は調べずにはいられないのが博士の性。まず、DEIについて調べてみました。
多様性(Diversity): 人種、性別、年齢、性的指向、障害の有無など、さまざまな違いを尊重すること。
公平性(Equity): 誰もが平等に機会を得られるようにするための調整や配慮。
包摂性(Inclusion): 誰もが組織や社会の一員として受け入れられ、活躍できる環境を作ること。
んー、なんか良さそうな事が書いてあります。DEIが進むのって良い事なんじゃないか?それを「見直す」ってどういう事なんだろう…。ますます不思議に感じました。そこで、もうちょっと調べてみる事にしました。
DEIの取り組み見直しの背景
この記事は正しい!ってワケではないのですが、例えば Forbes で該当する記事が見つかりました。
この他にもいくつかの記事を読んでみた結果を私なりに要約すると、以下のような理由でDEI施策が見直されているということです。(まあ、私程度の人間の要約なので、あまり信じないでください。)
コストと効果の不透明さ
DEI施策には多くのリソースが必要ですが、経営効率の観点からは「目に見える成果がない」と判断されるケースがあるそうです。不公平感の増加
多様性を達成するために、特定の属性(性別・人種など)に優遇した結果、他の層への不公平と受け取られて、不満が増えているようです。政治的背景
ドナルド・トランプ氏や保守派による「過剰な多様性推進」への批判が強まっています。(で、先日、トランプ氏は大統領選に勝ちました。)違憲の判決
2023年の米連邦最高裁判決により、大学入試でのアファーマティブ・アクション(入学選考での人種考慮)が違憲とされたそうです。企業ブランド低下リスク
上記のような状況があるもので、企業ブランドへの影響を懸念する声が出ているすです。
「多様性は良いことなのか?」という根本的な疑問
そうは言っても、良い事ならやった方が良いんじゃない?とも感じました…が、そもそも「多様性を重んじること」が本当に良いことなんでしょうか? ソレって誰が証明したんだろう…と気になりました。
それを議論するためには、本当は、何に対する多様性なのか?(属性、文化、能力…など)を語る必要があるのでしょうが…あえて単純に『人間の多様性』として括ってしまった上で、改めて調べてみますと、歴史的にはプラトンやアリストテレスの時代から、ずっと議論されてきた話だそうです。
で、未解決…ってより、その時代その時代で「良い」とも「悪い」とも判断されているようです。なるほど…多様性を重視するか否かってファッションなんですね。
何となくファッションに流されていたわけですが、実は『「多様性」を良し』とする考え方自体、多くの人がア・プリオリに(演繹的証明の必要とせず自明的に)『正しい』と認識してきたものではないのですねぇ…。
多様性推進の方法への違和感
ここまで調べていて(もうそういう名前の大学は無くなってしましましたが)東京工業大学が導入した「女子枠」のニュースを思い出しました。
私はこの施策を聞いたとき、東京医科大学の「女性差別入試」問題を思い出しまして、両社は何が違うのだろうか?と不思議に感じていました。
私は「その所属や属性を理由に異なる扱いをする行為を差別と呼ぶ」と認識していますが、そういう意味では、両者とも同様に差別だと感じたからです。(「アファーマティブ・アクション」と呼べば、何か良さそうでもあるのですが、差別は差別かな…と。)
多様性推進の方法
もっとも…私個人としては、東京工業大学のような大学で女性の比率が増える事は良い事だと思っています(実はその大学は私の出身校で、学部から博士を出るまで11年間生活した場です)。その大学は学生・教員ともにとにかく男だらけでした。
一方で、私が今経営している会社はちょうど男女比が50:50だったりします。50:50の団体に所属していて思う事として、(まあ、男女比が揃っているだけでこの主張をするのは明らかに論理的飛躍がありますが)やっぱり色んな人がいた方が、色んなアイデアがでて面白い(ビジネス的にも有意義)ってのは実際にある話だと感じています。
ただ、それを達成する方法が「女子枠」ではダメなのかもなあ…とは思っています(少なくとも、現在、アメリカでは「よろしくない」施策だという見方が発生しています)。もちろんこの施策を思いついた当事者の方は、男女比を変えていくために、藁にも縋る気持ちで、この作戦に出たのでしょうし、それを批判する気持ちはありません。この施策が正しい可能性もまだまだ全然あります。
一方、これは私の推測ですが、「多様性の実現」は「子どものときから技術に触れる機会」とか「出産・子育てを楽しみつつも、研究ライフも楽しめるワークスタイルの実現」とか、それ以外にもたくさんの介入を行ったうえでのアウトカムとして得られるものなのかな…と考えています(「多様性」の達成という介入で、「利益」などのアウトカムを得るのではなく)。これは、「差別」施策に頼らず、長い時間をかけて推進するしかない…のかもなあ…と直感しています。根拠はないです。
もっとも、ロザベス・モス・カンターさんのような主張も無視はできないと思っています(詳細は以下)。
性差別(あるいはアファーマティブ・アクション)を行ってでも状況を変えてしまえば、現在において差別により損をした人の無念の上に、未来の「多様性」「公平性」を実現できるのかもしれません。「差別」を避けて長期間かけて「多様性」を実現する間にも、現在「多様性の小ささ」から損をしているかもしれない人はいるわけで…長く時間をかける事が、必ずしも善とは言えないかもしれません。おそらく、答えは「神のみぞ知る」なのでしょう。
私なりの結論
「DEIが進むのって良い事なんじゃないか?」っていう最初の疑問に対しては、「必ずしもそうではない」ってのが結論かなと思いました。
人類が長い歴史の中で議論している事であり、「DEI施策を推進する」という意見にも一理あるし、「DEI施策を見直す」という意見にも一理ある。あえて言えば、この話題について議論して、共に平和な社会を目指すという行為自体が、おそらく人類として健全な姿なのかな…と思いました。
また「見直す」と言った場合に、「多様性」そのものに疑問を持つ人もいれば、その達成手段に問題を感じる人もいるという事がわかりました。それぞれの主張を理解して、慎重に未来に向けて歩んでいく事が大事なのだろうと考えました。
私自身ですが…多様性が尊重される社会の方が、より多様なアイデアが生まれ、皆が幸せに生きやすくなるのではないかと思っています。しかし、その方法を誤れば、逆に不公平や反発、差別を招く可能性もあるでしょう。難しいなあ…。
そんな事に思いを馳せつつ、まずは自分の身の回り(家族、友達、会社…)から、他人と一緒に考えつつ、できることを少しずつ取り組んでいきたいと感じました。
私などは、せいぜい以上のような浅い考えしか持っていないのですが、世の中にはもっともっと、しっかりと、深く考えている人もいるのだろうと思います。そういう人の話も聞いてみたいものですねえ…。
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