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生まれたときに受けた名前を名乗るという30歳の決意表明
30歳になった。
まずはアメリカのボストンという地で30歳の節目を迎えることができたことについて、私に関わってくださっている人全員に感謝したいと思う。
色々な方のおかげで日々自分らしく過ごせていて、幸せだ。
30歳になった節目として、私から一つ世の中に対して願いを投じたいと思っている。
ずっと違和感を持っていたし、自分でこの問題に対して何かアクションを起こすきっかけもなかなかなかった。
でもついにこの問題に対して自分はこうありたいという想いが浮かび、そのアクションを起こす決意ができたのだ。
その願いとは「公式な出版物で生まれたときに受けた名前を名乗る」、つまり新姓ではなく旧姓を名乗るということである。
私の名前の由来は
私の現在の戸籍上の名前は「和田麻菜美」だ。
けれどもこの名前として過ごした歴史は人生の1/6の期間であり、残りの5/6について私は「奥田麻菜美」だった。
どうやっても田んぼからは逃れられない星のもとに生まれているらしい。
読者の皆さんには正しく理解してもらいたいのだが、私は夫のことが大好きだし、夫の家族のことも心から尊敬している。
それでも結婚する前から結婚制度そのものには色々な疑問があった。
色々な疑問の中でも目に見えて不利益を被り、自分のアイデンティティを揺らがしたものが夫婦同性である。
夫側の姓に変えることを夫に強制されたわけではない。
ただちゃんと話し合いもしなかった。
話し合いをせずに変えたら入籍後の役所、銀行、クレジットカード、職場、保険、その他色々なサイトでの名称変更は時間もお金もかかるし、大学院に留学するときも卒業した大学の記録上の氏名を変えてからでないと卒業証書や成績証明書を発行できず期日通りに進められるか心配したりと、自分だけマインドシェアを取られることの不条理を感じていた。
それでもこの5年間は和田麻菜美としてなんとか過ごしてきた。
一変したきっかけは先日の学校デザインワークショップの授業である。
この授業は秋学期にもお世話になったLinda Nathan先生の授業で、初回の授業では全員がお互い自己紹介することになった。
その自己紹介とは、3人組を作って自分の名前の由来を相手に伝え、その由来に合った音とジェスチャーをつけるというもので、その音とジェスチャーを通してチームメイトが全体に他己紹介をしてくれるという内容だった。
私の名前の由来。
「麻菜美」という名前単体が意味を持っているわけではない。
「奥田」と「麻菜美」をセットにしたときの画数の縁起の良いのだと、生まれたときに親が考えてくれたものだ。
そのことを同じチームになったインド人の同級生2人に伝えた。
2人とも「お〜日本人はそんな理由で名前をつけるのか〜!」と面白がって聞いてくれる。
「どんな音とジェスチャーで紹介したらいい?」
インド人の同級生に聞かれる。
ジェスチャーはすぐに思いついた。
左手を出して、右手を出して、胸の前で指を絡ませるというものだった。
音は少し困った。
他の同級生は「パッパッ」や「タダー」など派手な音をつけていて、インド人の間では「オム〜」という音が多発した。
じっくり考える暇もなく咄嗟に自分の口から出てきた音、それは「オ」(左手を出す)「ク」(右手を出す)「ダ」(胸の前で指を絡ませる)だった。
チームで確認した後、同級生24人、先生1人、ティーチングアシスタント1人の全員が輪になり、それぞれの名前を音とジェスチャー付きで紹介した。
自分の名前が紹介される番が来たとき、インド人の同級生は私の旧姓と名前の漢字を組み合わせた画数が人生に幸せを運んでくれるのだと正しく由来を紹介してくれた。
今は名字が変わってしまっていても幸せなのだとも。
さすがに「オ」「ク」「ダ」の音は忘れていたので私が自分で紹介した。
26人が私の名前を口にする。「マナミ」
みんなが左手を出す。「オ」
その次に右手を出す。「ク」
胸の前で指を絡ませる。「ダ」
たったそれだけだった。でもそれは魔法のようだった。
私の「オクダマナミ」という名前は5年間ほど死んでいたのだ。
自分で自分を「オクダマナミ」だと紹介しなくなったら、私のことをそう認識する人もそう呼ぶ人も、どんどん減っていった。
思い返せば小さい頃はバランスよく書けるようにと母と習字で「奥」の字を何度も何度も練習していた。
小学校低学年のときに私のことを「奥さん」とからかってくる男子がいて、自分の名字をニックネームに使うことを禁じたこともあった。
学校であいうえお順に物事が進むと一番ではないけど序盤でやるべきことが終わるので、その立ち位置をとても気に入っていたことも思い出した。
その「オクダ」を今、26人全員で声に出している。
ほとんどの同級生はなぜ「オクダ」と声に出しているのか分かっていない。
でも26人の輪の中で、私にとっては確実に「オクダマナミ」が蘇った。
本を出版するという夢
そして自分のアイデンティティについての再考が喫緊で必要な理由。
それは2023年からいくつか出版物を予定しているということである。
本を出版する。出版物に載る。
幼い頃から本や図鑑をなめるように眺めていた私にとって悲願である。
2017年に自由大学の「自分の本をつくる方法」という講座にも参加して、そのことは人生のターニングポイントにもなった。
一度出版されると、私が死んでも最後の1冊が焼かれるまで、私の名前はその本に刻まれるのである。
その本に、自分は何と刻まれたいのか。
戸籍名と統一しないと面倒くさそうだし、結婚して夫のことが好きだし、と今までは和田麻菜美でいいやと妥協するように自分に言い聞かせてきた。
でもこんなタイミングでお食事をご一緒させていただいた女性研究者の方が、連絡先を交換するときにポロリとこう言ったのだ。
「周りの人には旧姓で自分のことを知ってもらいたくて」
研究の論文を出すときにはフルネームを出すことが必須である。
論文をどの名前で出すのか。自分は何と刻まれたいのか。
同級生に旧姓を声に出してもらった翌日のタイミングということもあり、「周りの人に旧姓の自分のことを知ってもらっていいんだよ」と見えない力から告げられているような気持ちになった。
本や図鑑が好きなDNA。
それは自分の父方の祖父から来ている。
祖父も本が好きで、亡くなったときには生前毎日株価を記録するのに使っていたペンが一緒に供えられた。
「奥田」の名前と本。
それは自分の中では切っても切り離せないものなのである。
自己決定ができる社会へ
自分の周りでも結婚する知り合いや友達は多い。
女の子の友達が結婚すると聞くと幸せになってほしいと思いつつも、彼女たちのほとんどもまた、私と同じように煩雑な手続きやそれによるストレスに直面しないといけないことに対して罪悪感を感じてきた。
中には結婚前に取得した資格を保持するために名字の変更に追加料金を払わないといけない友達や、離婚または再婚して何度も名字を変えないといけない友達も見てきた。
そんな現実を知りながらも自分は新姓を使い続けること。
それは既存のシステムを助長することに加担すること。
そんなことをハーバードの公平性の授業で、パブリック・ナレーティブの授業を通して学んだのではないのか。
私を呼ぶときは「まなみ」「まなみん」「まなみーる」「まなみさん」「奥田さん」「和田さん」、好きなように呼んでいただいて構わない。
それでもこの世に生きた証拠を残すとき、私は「奥田麻菜美」として覚えられたい。
それはきっと面倒くさい。
毎回戸籍の名前と出版物の名前がなぜ合っていないのか説明しないといけないし、色々な場所に旧姓と新姓を併記しないといけないかもしれない。
それでも私は自分が「奥田麻菜美」であることを、もう忘れない。
自分の「奥田麻菜美」というアイデンティティのために闘うのだ。
そしてそれは、自分の周りの人も自己決定がしやすい社会を創るための小さい一歩でもある。
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