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ミッション・ビジョン・バリューがよく分からなかったので、再定義してみた
パートナーと話していて、「結局ミッション・ビジョン・バリューってよく分からないし、実は誰もよく分かっていないのではないか」という話になった。
皆さんは自分が所属している組織のミッション・ビジョン・バリューはご存知だろうか?
そのミッション・ビジョン・バリューに共鳴していると感じるだろうか?
同じ組織の人とそのミッション・ビジョン・バリューについてざっくばらんに話し合ったことはあるだろうか?
思い返せば、私自身は所属していた会社の中でミッション・ビジョン・バリューの話をしたことがあるし、一部策定にも関わったことがある。
ハーバード教育大学院での学校デザインの授業でも、他の学校のものを参考にして、私がデザインした教育施設MANABIのミッションを策定した。
それにも関わらず、ミッション・ビジョン・バリューの話をすると、毎回定義がよく分からなくなってしまうのはいったいなんなのだろう。
そもそもミッション・ビジョン・バリューとは?
ミッション・ビジョン・バリューが生まれた背景には諸説ありそうだが、オーストリア出身の経営学者であるピーター・ドラッカーが「Managing in the Next Society」という著書で「これからの企業は、ミッション、ビジョン、バリューを定め、組織全体で明確な存在意義や価値観を共有できている状態が望ましい」と述べていることが一番影響力が大きそうである。
Googleでミッション・ビジョン・バリューと検索して、皆さんが参考にしていそうな定義をいくつか挙げていく。
M(ミッション):企業が社会に対して「なすべきこと」
V(ビジョン):企業・組織が目指す「あるべき姿」
V(バリュー):企業・組織の構成員が具体的に「やるべきこと」
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これらの定義が正だとすると、自分にとっては腑に落ちないところがいくつかあるので、毎回ミッション・ビジョン・バリューが何を意味するのか忘れてしまうのだと思った。
自分が感じていた違和感をそれぞれ言語化していきたい。
ミッション・ビジョン・バリューに対して、私が感じた違和感
違和感①:ミッション・ビジョン・バリューの主語は誰なのか?
毎回感じる違和感ナンバー1は、ミッション・ビジョン・バリューの主語は誰なのか?ということである。
自分は過去に社員の立場として聞いていたため、社員も共感できる内容でないとその組織に所属する意味がない。
一方で、ミッション・ビジョン・バリューのほとんどは企業などの組織によって決められたものである。
そうすると主語は経営層なのだろうか?
それとも人間に主語を求めること自体が間違っていて、主語は「法人格」という得体のしれないものなのだろうか?
違和感②:そもそも自分たちにミッション・ビジョン・バリューが必要なのか、すべて必要か?
会社組織でミッション・ビジョン・バリューを策定するとき、策定することは所与のものとして、中身をどうするかという議論から始まる。
しかし、そもそも自分たちの組織にミッション・ビジョン・バリューすべてが必要なのだろうか?
これらをつくってどのように使うことを想定しているのだろうか?
ミッション・ビジョン・バリューの中身をつくる以前に、これらをつくることのゴールが組織内で共有されることがないと感じていた。
違和感③:ミッション・ビジョン・バリューは目指すところを定義しているのか、それとも現状の言語化になっていないか?
ミッション・ビジョン・バリューが何かを学ぶために、世の中の様々な企業のミッション・ビジョン・バリューを見比べてみたが、それでもなかなかしっくりこない。
どのミッション・ビジョン・バリューも、その企業らしい要素はありつつ、どの企業に当てはまるように聞こえる一般的な表現も多かった。
そのように聞こえる理由として、ミッション・ビジョン・バリューが会社が本来目指すところを定義するためにつくられたのではなく、「その企業が現在取り組んでいることの最大公約数」になっている場合が多いからではないかと考えている。
自分にとって一番謎だったのが、ビジョンの存在だった。
色々な企業のミッション・ビジョン・バリューを見比べたときに、バリューは企業内で個人がどのように考えて行動するかというのが分かりやすいのだが、ミッションとビジョンについては企業がなぜそれを行うのか、何を目指すのかというのは意味合いが似ているのではないかと感じた。
その中でも「会社がどうありたいか」ということはコントロールできることなのか、コントロールするべきことなのかという問いも湧いてくる。
また、私は普段ライフコーチングを通して個人のビジョンをより明確にする活動にも携わっているので、個人のビジョンとの関係性もよく考えると不明である。
自分の中でのミッション・ビジョン・バリューの再定義
ミッション・ビジョン・バリューの定義の通説と、それに対する違和感を言語化したところで、パートナーと私は自分たちが必要だと思ったミッション・ビジョン・バリューに変わる概念を再定義してみた。
まず、ミッション・ビジョン・バリュー的なものが必要な理由を、次の二点に集約した。
自分が人生でどのような方向性に進むかの道標とする
他の人に自分の活動を説明しやすくする
この二点を達成するために必要だと考えたミッション・ビジョン・バリュー的なものの要素が、パートナーが描いてくれた次の表である。
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この表ではミッション・ビジョン・バリューに代わり:
社会における目標
組織の手段
個人の価値観
を最重要項目(★)としてみた。
他の⚪︎や×との関係性について説明していくと、まず社会には手段や価値観がありふれているので、ここは定義するものではないと×にした。
次に、目標の部分について個人と組織が○になっているのは、本来個人・組織・社会の目標はすべて直列(align)するはずだと考えている。
自分自身の目標は自分が暮らしている社会にどうあってほしいかという目標と一体であり、その目標を実現するためにより親和性が高い組織に所属するという順番だと考えている。
もちろんこの目標は絶対的なものではなく、日々変わっていく。
「自分が自分らしさを発揮できるように社会を創り変えていける」と全員が思えることが大切だ。
そして「個人の手段」が○になっているのは、「組織の手段」が「個人の手段」の相乗となることでよりインパクトをもたらすと考えているから、逆に「組織の価値観」が○になっているのも、「組織の価値観」は多様な「個人の価値観」を反映するものでしかないと考えたからだ。
表で★になっている部分をまとめ直すと:
実現したい社会(社会における目標≒個人の目標)
チームとして取り組む活動(組織の手段)
個人として体現する価値観(個人の価値観)
がそれぞれの人の中にあれば、自分が社会をどのように創り変えていきたいのか、その手段のためにどんな組織のメンバーと協力するのかということが明確になるのではないかと思う。
ミッション・ビジョン・バリューの考え方は元々経営目線で生まれたため、企業ファーストの考え方のフレームワークである。
そこに個人と社会の視点を足すと、企業を始めとする組織でのやりがいを感じながら、ひとりひとりが自分の目指したい社会の姿に向けて活動しやすくなる、21世紀はそんな社会なんじゃないかと感じている。
↓ご自身のビジョン、ひいては社会に向けたビジョンを探究したい方はライフコーチングセッションでぜひお話しできればと思います!
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