どん底人生からセラピストになって借金800万円を完済&無借金で開業した秘話
初めまして、こんにちは!
日高愛美(ひだかまなみ)です!
今まで話していないことも踏まえて、自己紹介をしていきたいと思います。
日高愛美ってどんな人?
この3つを仕事としています。
セラピストになって最終的な目標は、「一人でも多くの人の未病を防ぎたい」という想いです!
※未病・・・発病には至らないものの軽い症状がある状態
この想いは私自身が病気で苦しんだ経験や元夫が病気になってしまったことがキッカケです。
しかし、日本だけでも人口が約1億2260万人もいるため、私1人では限界があるので、私と同じ想いをもったセラピストの方に技術や知識だけのサポートではなく、セラピストが苦手とする分野をしっかりとサポートできるようにしていきたいと思い、今後はSNSのサポートや広告運用代行もしていく予定ですので、セラピスト育成講座は準備中となります。
講座がスタートする時は告知させていただきますので、お待ち下さい。
幼少期はこだわりMAXで、今とは性格が別人!?
私が幼少期(3歳)の時に両親が離婚をしました。
離婚をして母、兄、私の3人で暮らしていましたが、寂しいと思ったことはなく、保育園や幼稚園に行く時も、髪型、ブラウス、靴下など、その日の気分で「これでなければ嫌だ」という主張だけは強かったです。
今でもこだわりが強いのは、幼少期から変わっていないですね笑
内気な性格で1人が大好きでした。
小学校の時も学校にあまり行きたくなくて、家でテレビや漫画を観て1人で過ごすのが楽しかったです。
自分の言いたいことを伝えるのが苦手で、1人が好きだったのかもしれません。
小学校1年生の時に出会った担任の先生のことを今でも覚えていますが、
見た目が怖いのにすごく優しい女性の先生でした。
その先生のおかげで、性格が明るくなり、授業でも手を挙げて発言するようになったり、放課後に友人と遊ぶようにもなりました。
学生時代から美容と料理に興味津々
中学生の頃からメイクをしたり、アイブロウを整えたりするなど美容が好きで、学生時代はメイクアップアーティストになりたいと思っていました。
高校時代は毎月のバイト代をほとんどをメイク用品にあてていたほど。
しかしコスメといえば四季ごとに新商品が出ますよね。
当時から好きなことはとことん追求したい性格で、使っていないコスメを知ったかぶりなど嘘をつきたくないし、使用したブランドが少ないという知識不足で良いコスメをお客様にセレクトできないアーティストにもなりたくなかったのです。
ブランドを分け隔てなくおすすめのものを扱える「フリーでのメイクアップアーティストになりたい!」と思っていた私は、目に見えて破産することがわかり諦めました。。。
もう1つ好きなことが料理。 小学生の頃からお菓子作りにハマり、中学生の頃には毎日晩ごはんを作るほどになりました。
「高校を卒業したら、栄養士になろう!そのために専門学校に行こう」と考えていましたが、「栄養士になっても就職先は少ないし給料も安いよ」と母の一言。 せっかくの夢なのでそれで諦めたくないという気持ちから、自分なりにかなり調べたものの、母の言う通り現実を突きつけられて、あっさり挫折。。。
「せっかく仕事をするなら、好きなことで仕事をしたい!」
と思っていたものの、 学生時代の私は職業を平均的な収入と条件でしか見ていなかったのです。
今振り返れば、メイクアップアーティストでも栄養士でも自分に合った働き方ができたと思うのですが、この時はまだそんなことを考えることができず、ただ諦めることしかできませんでした。
高校卒業後・・・
高校を卒業し、一度就職したものの、医薬品を取り扱う会社で肌がかぶれ、ただれてしまうほどひどく、病院にも行ったが治らず3ヶ月で退職。
「無難にできるもの」と、その後は事務系の仕事などをしていましたが、
好きな料理、美容、マッサージなどは常に研究して自身で行なっていたり、マッサージは大好きすぎて週に2〜3日も行くことも。
たくさんやってきました・・・笑
私のもう一つの夢
それは海外に留学することでした。
完璧主義で断れない性格だったため、仕事のしすぎで疲れ果ててしまった時に現実逃避したくて、初めて海外に1人でオーストラリアのシドニーに行きました。
綺麗な景色やオペラを観たり、言葉が通じなくても必死に説明してくれるオーストラリア人の温かさに感動して、自分が悩んでいたことがちっぽけに思えて、いつか海外に住んでみたいと思い、旅行でたくさんの国に行きました。
波乱万丈な結婚生活
海外に短期留学後、1度目の結婚をしました。
相手の方が元々吃音症があり、吃音症の治療をしたいということで病院に通ったら合併症でうつ病が発覚。結婚してから一緒に暮らしたためわからなかったが、アスペルガー症候群もあり、治療を勧めたが拒否され、苦渋の決断のもと離婚に至りました。
2年後に2度目の結婚をしたものの、相手の方が交通事故に遭い、救急搬送されることに。
脳脊髄液減少症と診断され、合併症のうつ病の症状がひどくなると同時に、私自身もストレスと寝不足から、子宮筋腫と子宮内膜症が悪化してしまったのです。
起き上がれなくなるほどになってしまったため手術を余儀なくされました。
手術後、相手から離婚の話をされ、離婚に至りました。
2度目の結婚生活で相手の方が働けなくなってしまい治療費がかかる生活だったことから、800万円ほどの借金に悩まされていたこともあり、肉体的にも精神的にもボロボロになってしまいました。(多額の借金はその後、セラピストとして働く中で完済しています)
人生で1番どん底までいったのはこの時で、辛くて1年半以上毎日泣いていました。
その後、旅行が好きだったため、沖縄でのんびりと静養しながら暮らそうと思い、宮古島に移住。
この後、私がセラピストになる転機が。。。
宮古島に移住しても、仕事が激務で毎日激しいめまい、頭痛に悩まされ、週2〜3日ほどマッサージに行ったが一向に改善しないほどになっていました。
自分自身の不調もかなりあったため、「このままでは私は借金返済すらできないし、そもそも働けなくなってしまうかもしれない」と思いました。
また、私の心の中ではこれまで当時の旦那さんに何もしてあげられなかった後悔がずっとあったのです。
「もっと身体への知識があれば」
「もっと私に稼ぎがあれば」
少しでも現状が変わっていたかもしれません。
何より今の自分の身体は、自分で改善するしかないと思い、仕事を辞めてセラピストの道の決心をしました。これが2018年です。
セラピスト経歴
2018年10月〜2019年12月
≪正社員にて出張マッサージ店で勤務≫
初月から売り上げ1位を獲得し、指名制度がなかったものの、延長率は95%以上をキープしていたが、正社員での雇用だったため、頑張っても給料が変わらず、歩合制のお店に転職するために退職。
2019年1月〜2020年10月
≪業務委託にて出張マッサージ店で勤務≫
最初は業績の伸び悩みがあったが、次第に女性のお客様が増え、指名率90%以上・顧客満足度No.1までになったが、深夜帯に働いていたため、自律神経の乱れにより、不正出血、寒気、頭痛、めまい、不眠など体調不良に悩まされて、本来セラピストとして施術する側が体調不良だと説得力がないと思い、深夜帯に働くことをやめるために開業を決意。
セラピストとして働いてきた中で知識や技術があっても資格がないと話を聞いてもらえないことも多々あり、悔しい思いをしたため、開業までに資格を9つ取得しました。
所有資格(現在は11つ所有)
セラピストの仕事を19時〜4時過ぎまでしてから家に帰り、開業の準備などをしてから5時過ぎに就寝し、9時に起きて夜食べるおにぎりを作って支度をしてから資格取得のためにスクールに行き、その後は自分の身体のメンテナンスをしてから、また仕事に行き、寝る時間を削りたくなかったため電車の移動中や仕事の待機中は常に勉強をしていました。
休みがほとんどなく、月に3日あればいいほどで、必死に働き、スクールで習ったことをお客様に実践して経験を積んでいきました。
限界まで働いて毎月100万円以上の売り上げを上げて、毎月の借金返済、スクール代、開業資金、仕事で必要な備品や施術着、メンテナンス代のみに全てお金を使い、先行投資してきました。
また、私自身が身体のメンテナンスで、フェイシャル、タイ古式、整体、オイルマッサージと、いくつものお店に通っていたのが大変で『1つのお店で出来たら楽なのに』と思い、大好きな美容もしたいし、全身ケアが出来るお店にしようと決めて開業しました。
2020年11月1日(セラピスト歴2年1ヶ月)
プライベートサロン Story 開業
「セラピスト次第であなたの人生が変わる」という意味でお店の名前をつけました。
セラピストとして働いていく中でお客様のお悩みにしっかりと向き合うためには、身体の根本改善が必須だと思い、不調×体質改善専門のお店に変えていきました。
一時的に症状が改善しても意味がなく、継続させることが本当の改善だと思っています。
身体が楽になることで、心にもゆとりができ、幸せな生活が送れると思うので、"出会うセラピスト次第で人生は変わる"をモットーにこれからもセラピストとしてアップデートし続けたいと思います。
最後に
実は、約2年前ぐらいに追突事故に遭い、左半身が痺れと痛みで眠れなくなり精神的にもまいってしまい生理がこなくなり、身体が思うように動かなくなってしまいました。
その時に、「私はセラピストとしてもう働けないかもしれない」と頭をよぎりました。
整形外科に通院し、鍼灸師、理学療法士による治療をしてきたが、全く改善せず、症状固定で後遺症認定となりました。
私は柔道整復師でもないのでケガに対しての知識はなかったが、身体の知識があったので、自分の技術と知識で8割ほど身体の可動域が戻り、痺れと痛みがなくなり身体が改善しました。
この時、大嫌いな勉強もしてセラピストとして働いていて良かったと本当に思いました。
技術と知識があれば、自分の身体を改善していくこともできるし、家族やお客様の改善もしていけます。
諦めずに頑張れば、セラピストだけでお金を稼いで800万円の借金も返済できたし、無借金でも開業できました。
行動するかしないかは本人次第ですが、出来ないことはないと私は証明してきました。
交通事故をキッカケに私はセラピスト講師として働くことを決めました。
お客様の悩みを解決できずに悩んでいる方のために、今まで6年間本気で学んできたことをマニュアルが不要で難しい勉強をする必要もない、ココロとカラダの読み解きを学べるようにサポートしていきたいと思っています。
お悩みなどありましたら、個別相談からお気軽にご連絡下さい!
「私と話してみたい」という理由でもご連絡お待ちしております笑
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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