noteイベントで素人広報が気付いた「noteやSNSのつづけ方」のMy課題
ご供養業界「偲ぶことの真ん中と向き合う」会社
株式会社まなか広報室・壱号のお独り広報室立ち上げ赤裸々日記。
本当は、下書きに練っている「テーマ探し紆余曲折」を仕上げ更新予定でしたが。予定変更。未経験新米広報、勉強ノート。
「深イイ」すぎセミナーで寝付けなくなった
その結果、今、壱号は予定していた更新記事を捨て、レポ記事を投稿することに決めました。(寝不足でまじめテーマの文章が練れない、とかじゃないからね?) 伝えたい!の熱量を、書く練習。
殴り書きしてあった恥ずかしい夜中のラブレター状態の下書きから、今日、時間をかけて、村井さん・西本さんが話してくれたことを思い出しながら……いろいろ書き替えたり、硬い文章にしてみたり、カッコいタイトルつけようとしてみたり。やってみた。結果、これを投稿した。いきなりは無理だった、いろいろ。ハウツー。でも投稿する。
1人広報・壱号。株式会社まなかの広報に採用してもらえたことの意味、この試行錯誤右往左往こそ、まずはちゃんと「伝えたい!」時にしっかりリアルタイムでも記録しておくことからだと思ったからです。
先月も#等身大の企業広報聴講して、企業広報という仕事の大きな魅力に滾りました。今回は、企業広報というより、「発信者とは」という美学レベルのプロフェッショナルに痺れました。
バズるとか、反応数字がどうとかじゃない。
「届けたい想いがあるから、発信する」という、揺るぎなき芯。
技術的、センス的にも、経験則的にも、もちろん、しっかり「どうしたら届くか?伝わるか?」練りに練って、発信されているお二人ですが……それは、料理でいう最後の盛り付け方? いや、盛り付けではなく、きっとテーブルコーディネートのところなんだろうと感じた。
振り返りメモを書いたら、ほぼ書き起こしで何万字だよってなりそうなので、視聴直後に「脳みそにガツンと残っていたこと」だけ式壱号流メモをそのまま貼ります。
登壇者①株式会社文藝春秋
「週刊文春」編集部・電子版コンテンツディレクター・村井 弦さん
モデレーターはnoteプロデューサー/ブロガー・徳力 基彦さん
正直に言います。今回のテーマに掲げられていた「つづけ方」も、「ビジネスに役立つ」かどうかも、壱号、どうでもよくなった。
企業広報としてダメかもしれないけど、どうでもよくなった。うん。
「どうでもよくなった。」とか書いちゃいましたが、それくらい、発信者プロフェッショナルは次元が違うって感動した。
「つづけ方」の助言から痛感した自分の「無駄な自意識」
ひと晩明けて、「いや、広報としてどうでもよくない」とハッとした。テーマ本題への助言メモをちゃんと。考えた結果、更新内容を変更した。
・会社人としてじゃなく、個人でまずSNSを通した友だち、仲間を作ってみて、SNSでの発信の愉しさや世界に触れる。見せる面が違ってもいい。(西本さん)
・まずは書ききる。書き上げる達成感や喜びを味わう。公開する。ほんの少しでも反応があったら、嬉しくて「次も書こうかな」ってなると思う。(村井さん)
ふと。「書けない」って、日本語おかしいなって。
特に西本さんの発言がめちゃくちゃ、もう、発信者美学まみれで痺れた。
つるっと出てくる単語選びからして、言葉に強い視点やこだわりがあるんだろう、と思ったり。
インスタグラム投稿の、撮影するカット1つの意識、添える投稿文の研ぎ澄まし方。「つま先」を「ここ、ここを見てほしいんですよ!」って解説する瞬間に、垣間見える熱量がすべての答えだな。感嘆しかなかった。(そして今回も、徳力さんのファシリテート力が、本当にすごい。神業。)
詳しいこの辺のレポートは、素晴らしいnoteがすでに投稿されていたので!お任せします!!↓↓
村井さんも、「表現したいこと」が明確で、ある意味
サラリーマンとしての発信<会社名を明かしている個人名アカウント発信
と自分の譲れないポイント価値が「個人名」であり「個人の蓄積資産(特にnote)」なんだろう、と感じた。
※勝手な見解なので、全然違うかもしれません。
「書けない」って世界が、ある意味、お二人とも前提時点で無いんだ。
「このチャンネルに合う、もっといい表現があるはず」という推敲とか、追求で「まだ出せない」みたいな意味の「投稿できないな」はあるかもしれないけれど。Twitterについては「朝令暮改でいいんだから、」とおっしゃっていて、ハッとした。
新米広報ごときが、一発成功を目指すおこがましさの方が恥ずかしいと思った
「伝えたいことがある」という熱量。
表現について仕事としても、個人としても、向き合ってきた時間量。
その掛け合わせで、先天的センス+磨き上げられた表現力。
本職メディアの方同様に、即なれるもんじゃない。
けれども、今はこういう無料セミナーも、ノウハウ本も、叡智・考え方を惜しみなく公開してるnoteもSNSもいっぱいあるので、やってみる。真似してみるところから。壱号なんかアラフォーで社会人歴はそりゃ長いけど、SNSやWEB発信については新卒年齢の人よりも「使えない新米」なわけ。
やってみるってじゃあ、なんだ。
結局それは「書く」+「公開する」だし、反応やフィードバックで試行錯誤して、数打つってことでしかない。なるほど。まさにこれが「つづけ方」だね!と電球ピカーッですね。うん。
お二人の水準のタイトル付け。
テーマ選び。取材。本文の表現。
Twitter1つとっても、いわんやnote記事でも。
「とても壱号には、無理。真似できる気がしない。」
へたくそで恥ずかしい。センスがなくて嫌になる。
誰も反応してくれなくて、空しい。(壱号の場合は、「超絶空回りしてて痛恥ずかしい。」と赤面することが多い。特にTwitter。)
徳力さんが、今回もほかの場面でもおっしゃっていたけれど
「どうやったらいいですか?と正しい成功法を知りたい人が多い」
「ビジネスにおいて絶対の正解はない」
「発信についても、同じ。その人の数だけ、正解がある」
的なこと。確かめ、自分に、そしてまなかに合った方法を見つける方法。まさに、「つづけ方」そのもの。
まなか広報室noteは、大手企業さんの素敵なプロフェッショナル広報メディアと雲泥の差というかもはや個人ブログじゃんココ。記事が多いです。
結局それがなんになるのか。なんにもならないかもしれない。ぷぷーって企業広報のみなさんに苦笑されてるかもしれません。っていうこの自意識が邪魔なんだなって。(だいじょうぶだ、そもそも認知されてない。認識されていない。大丈夫だ!)
恥をかく「書く」+「投稿」でいいから続ける。なぜなら、社長&副社長が、それを許可してくれているからです!
ここで、すごい「ああ、なんだそうか」って思った。
この記事タイトルにしたこと。それが、やっぱりまなかの魅力であり、軸なんだよー。わたしが伝えたい、まなか愛の根っこ。
こんなnote発信も、手探りTwitterも、noチェックで「やってみないとわからないからね」って、全肯定してくれる会社がまなかです。
社員に対してだけじゃなく、お客様に寄り添うスタンスも、この「全肯定」から。だからお仏壇・仏具のデザインも、こうなるし。
お墓に願う在り方・開発も、こうなる。街まで考えたい。
「伝えたいこと」をもっともっと、広報コンテンツとして洗練させるためにも。まずは「つづける」。1人広報、壱号自身が文章力からなにから、成長しなくてはなりません。自分の自意識で「恥をかくのが嫌」って発信できない=上達しないのは、もっと嫌だ。
広報が「伝えたいこと」なんて、たった1つだよね。まず土台。自社愛じゃないの。違う? 壱号は少なくとも、広報スキルなんも無いから、まなか愛しか武器がないですよ。数稽古あるのみ!
※ちゃんと↑記事で決めた習慣化、継続中です。よかったら、Twitterの右往左往も見てやってください!
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