義務教育が社会的インフラを形成する!
今回は、いつもの記事を取り上げて、コメントを載せるということではなく、日本の教育について、日本の教育がダメではないのではないかということの一端を書いてみたい。
日本の社会を形作っているのは、当然だが、その文化的歴史的インフラ(社会基盤)だろう。また、社会情勢が大きく揺れた時代、例えば、昭和の戦争前や戦争中、戦後直後は、その文化的歴史的インフラが機能不全に陥っているので(社会に置ける共通の価値観が揺れるため)、社会が乱れることになる。特に、戦後の犯罪は、非常に数多く生まれることになった。
しかし、日本は、戦後、いち早く混乱期を抜け、急速に経済成長を遂げた。その一翼を担っていたのは、アメリカから輸入された6・3・3・4制という学校制度であると言われているが。しかし、その制度的なもの以上に、戦前から行われていた学校における教授方法が、実は、日本の教育を世界に冠たるものにしていったのだ。この日本の教育は、俗に画一的な教授方法と言われるが、非常に優れていたのだ。それは、日本という文化的歴史的背景とちょうど合致したものだった。日本の社会における集団志向性と合っていたのだ。
また、社会生活は、集団生活を基礎としている。日本の学校教育は、この点でもブレることなく、脈々と児童・生徒たちを学校の中でしっかり指導していった。最近、海外の教育は、特にアメリカの教育は、子どもたちに権利を教えるが、日本の教育は義務だけを教える、だからアメリカの教育は良くって、日本の教育は良くないと二項対立的なことを言って、日本の教育を非難する人たちを見かけるが、このような馬鹿な議論に私たちは、乗らない方が良い。権利の前提に義務があることを無視した議論だからだ。当然、学校教育は、個人としての義務・公人としての義務を教え、個人として権利・公人としての権利を教えなければならない。そして、現に教えている。このようなキャッチーな二項対立的な表現では、何も生まれないのだ。ただ、教育を真剣に考えてこなかった人たちが飛びつきやすい言葉を並べて、日本の社会を悪くしていくようなものなのだ。だから、今回は、あえて、このような形でこのnoteを書いている。
先進国の犯罪の発生率を考えて、今回は、終わりにしよう。よく言われることだが、日本は、治安のよい国である。先進国の中で大都市を夜一人でも歩ける唯一と言って良い国だ。他の先進国では、そのようなことは望むべくもない。それはなぜなのか。その国の文化的歴史的要因にもよるのだろうが、基本的には、義務教育における力が影響しているからだ。先の、画一的教育や集団生活上の指導が、その最たるものだし、また、学力をしっかりつける授業もまた、その根底にある。アメリカ人の教育学者の調査では、日本、アメリカ、ドイツの各階層の学力を比較すると、日本の単純労働者の学力は、アメリカやドイツのホワイトカラーの学力よりも高かったのだ。学力の格差が少ないことも社会安定には大きな力なのだ。また、経済の二極化がまだ大幅に進んでいないからだ。つまり、日本だけは、学力分断がまだ確定的になっていないのだ。日本の義務教育が、社会のインフラ形成に非常に貢献しているのではないかと私は考えているのだ。その証左が、犯罪発生率だ。メルマガでは、グラフが載せられないが、日本は、圧倒的に犯罪率が低い先進国なのだ。このことを私たちは、自覚することだ。日本の教育は、アメリカやドイツに比べて見劣りするものではないのだ。
【教育記事から教育を考える】
2021年5月28日(金) VOL.704
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント 合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)