学校教育には、どんな効果があるのか(「女子だけ白靴下は不平等」中学生がブラック校則変更 産経新聞11月25日)
教育は、実は、暴力的な側面を持っている。強制力を子どもに行使して、知識を与えていく。その過程において、子どもたちの意志を認めはしないのだ。そういう意味で暴力なのだ。そして、学校教育は、身体訓練の場だ。だからこそ、校則が必要になってくる。野生人である子どもを社会馴致化するために、学校教育があるのだ。だから、ルールを守ることを子どもたちに強制するのが学校だ。
子どもたちに都合の良いような校則は、基本的にはない。子どもたちに不自由を経験させて、社会という不自由な世界に適応できるようにしていくのだ。理不尽な事態を数多く経験し、その理不尽さに抗する力を与えるためにも、学校教育は機能する。だから、一概に校則が悪だというわけではない。
私は、理不尽な校則を容認しているわけではないが、ブラック校則と言われるようなものを、大人があらかじめ撤廃するようなことはしなくてよいと思っている。今回の女生徒の異議申し立ても、ある種、理不尽さに抗した行動だ。この行動を引き起こしたのは、理不尽な校則だ。あまりにも理不尽な校則は、子どもたちが立ち上がって撤廃していくようにすれば良いのだ。
だからと言って、教師や学校運営者が、無反省にあまりにも理不尽な校則を作って、それを良しとしているのなら、それはそれで問題だし、教育委員会等の指導は必要なことだが。
不自由を経験しなければ、自由を渇望しないのが人間だ。子ども時代から、なんでもかんでも自由を享受して、それでしっかりとした自律的な大人になっていくだろうか。このことだけは考えてほしい。偽善的な人権主義こそ、子どもにとって有害なものはないのではないか。
子ども時代に、早く大人になりたい!と思わせる仕掛けとして校則があるともいえるのだから、まともな校則を考えてほしい。
【教育記事から教育を考える】
2020年11月27日(金) VOL.692
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント・合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)