何かを勘違いしてしまう土壌があるのかもしれない!(小学校校長をパワハラとセクハラで懲戒処分 栃木県教委 朝日新聞8月4日)
今回の記事を読んで、私は一つの仮説を立てた。教育界における小さな世界の中の上位者(一つの学校の頂点に立つ校長や理事長)は、その所属する小さな世界の中では批判者が出にくいので、自分自身の立場や能力を過大評価しすぎる傾向が強く、夜郎自大になりやすいのではないだろうか、というものだ。
今回の記事から推測すると、校長という立場を利用して、自分の欲望を満たそうと色々なことをやっていたらしいが、そういう自分の行為がどうして許されるのか、多分、この校長はそのようなことを考えたこともなかっただろう。自分の存在や役割を相対的に吟味する環境にはなかったからだ。自分がこの小さな世界の中では、一番だと思い込んでいたのだろう。大きな世界の中では、自分の行為はどういう意味を持つのかを全く意識してこなかったのではないか。それほど、この小さな世界は、閉鎖的で、実に安全な場所のように、思えたのだ。
そして、このような事件が後を絶たないのは、処分の甘さに起因するのではないか。停職6か月という処分、その処分を発表したその日に、依願退職という流れ。このお決まりの処遇が、最終的な逃げ道を作っているのではないかと思う。停職という甘い処分と、依願退職をして退職金を確保できるという流れが、一般企業では考えられないのではないかと思う。一般企業では、懲戒解雇になり、退職金は、支給されない。ここは、役職に応じた処分を考えることが重要ではないかと思う。
小さな世界の中で、自閉し、そして、夜郎自大になるような風土を改善していくために、外部のチェック機能を活用することも考えた方が良いかもしれない。
【教育記事から教育を考える】
2021年8月6日(金) VOL.709
作者:中土井鉄信
(教育コンサルタント、合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)
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