怒られて悔しいなら、「ようし、やってやろうじゃないか。必ずあんたの口からほめ言葉を言わせてやるぞ!」と、なんで思わないのか?(ラモス 瑠偉)
【考えるヒント】
私の若い頃は、悔しさで満ちていた。「今に見てろよ!ぎゃふんと言わせてやる!」といつも思いながら、仕事をしていた。負けず嫌いだったのだ。だから、仕事は、妥協せずにしようとした。妥協をしても良いことなどなかった。いつも叱られてしまうからだ。
私たちが、自分の能力を向上させるためには、それなりに目標なり、理想がなければならない。ある地点まで行こうと思わない限り、そこまではいけないのだ。妥協ばかりの人生では、私たちの能力は向上などしないのだ。無理してでも、やらなければならないことはやろうとしなければならない。現実的に出来ないかもしれないが、それでも妥協点の高さが影響する。安易に妥協するか、高い妥協点を求めるか。ここが負けず嫌いかどうかだ。
現実を生きるということは、傷つくことが多いということだ。しかし、その傷つくことを糧に成長をすることだ。そのために「今に見てろよ!ぎゃふんと言わせてやる!」という悔しさが必要なのだ。若い頃は特にそうだ。
【考えるヒント・今日の言霊】
2021年12月15日(水)VOL.5351
作者:中土井鉄信(合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)