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【映画鑑賞ノート11】『珍遊記』山口雄大監督、2016年製作

新宿バルト9のスクリーンでこの映画を観たのだが、終わるやいなや、ある若い女性が、隣にいる彼氏に、

「これ何の意味があるの? みんななんで観に来てるの?」

と、少し動揺した様子で尋ねていた。

もちろん意味などない。意味のないものを観に来たのだ。

映画の冒頭、いちばん最初のセリフが

「ちんこ」

なのだから、全く内容を知らずに連れて来られた女子にとっては、悲劇以外のなにものでもないだろう。

僕は『週刊少年ジャンプ』で原作の漫画を読んでいたので、「あれが一体どうなるのか」という好奇心だけで、特に何も期待していなかった。しかし結論から言うと、面白かった。気がついたら「終劇」で、「もっと観たいな~」という感じ。バカにされるかもしれないが、続編が出たら、僕は観に行く(笑)。

原作のストーリーなど全く覚えていないが、その型破りで自由なトーンは継承されていたのではないだろうか。

さて、話は変わるが、映画を観終わって帰宅してから、図書館で借りていた手塚治虫の漫画『火の鳥<黎明編>』を読んだ。こちらは一転高尚な内容だが、『珍遊記』とはまた違った意味で自由さを感じさせる作品である。重厚なテーマにもかかわらず、ストーリーの途中に別の漫画のキャラクターが登場したり、暗号的な仕掛けがあったり、作者自身が登場したり。

こちらを読み始めたのは、漫画家の浦沢直樹さんがあるテレビ番組で「『火の鳥』を読んで悟った」というようなことを言っていたから。漫画の冒頭から人間の「業(ごう)」というか、悲しさのようなものがこれでもかと描かれていて、映画『珍遊記』の「ちんこ」とはまた違った意味でびっくりした。

『珍遊記』と『火の鳥』を同列に語るのは罰当たりな気もするが(笑)、にもかかわらずそれができてしまうのが、漫画と映画の素晴らしさである。


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