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市場経済はアイデンティティを利用する――アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』レビュー①

(※この記事は2020/04/08に公開されたものを再編集しています。)

誰もが交換可能である世界

 市場経済で人間が占めるポジションは、それがどんな職位であれ、原理的には交換可能である。行き届いた清掃はあなたがしなくても他の誰かになしうるし、家事労働はどこかの誰かに頼むことができる。人事や経理の仕事や、熟練労働に携わっていたとしても、適切な教育さえ経れば、その業務は、あなた以外にも務まりうる。法律家やコンサルタントも、例外ではない。あるスペースを埋める、そこそこに前衛的だが収まりの良い絵画を求める人にとって、アーティストさえ交換可能である。たぶん、こうした文章を書く存在も、私でなくてよい。

 市場の論理だけで人間を眺めるとき、ある位置を占めるのは誰でもよいという「人材の入れ替え可能性」が前景化する。もちろん、こうした見方は明らかに極端であり、現実の社会的関係はそれ以外の見方の影響を深く受けて形作られている。しかしそれにもかかわらず、誰もが交換可能であるという見方が重要なのは、この「交換の論理」こそが、私たちの奥深くに不安の種を植えつけているからだ。

 多くの人が知るように、市場での成功は(ある程度は意図が左右しうるにせよ)偶然的要素が多く、決して必然ではない。つまり、どのような成功も、「どうしてあの人(あの商品)でなく、この人(この商品)が成功したのか」「どうして、あの時でなく今、成功したのか」といったことの説明が根本的にはできない。少なくとも、いずれの説明も厳密な意味での再現性を持たない。この偶然性が支配する市場のゲームは、ホワイトカラー層を丸ごと自己啓発へと駆り立てる。

鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』

承認欲求は加速する

 経済学者のR. ライシュが言うところの「シンボリック・アナリスト」(広義のコンサルタント)、つまり、創意工夫を凝らしながら自身の市場価値を高めるゲームへと突き進む人びとは、自分の成功の理由を、偶然や他者の手助けでなく、自己自身の努力や工夫に求めたくなるだろう。すなわち、柔軟な労働形態で創造性を発揮して仕事をする人たちは、目の前の「達成」や過去の「成功譚」による自己啓発へと向かう傾向にある。

 それに対して、同じ方向を目指しながら成功できなかった人は、成功しなかった理由を、ゲームルールの不備か、自己自身に求めるだろう。後者の場合、自分の能力に見切りをつけ、諦念を抱くといった態度へとつながるのだろうが、そうした賢者じみた暮らしを送れるほど、大半の人間は強くない。そこで要請されるのが、「本当の自分」や「自分の本質」を承認してくれる「居場所探し」である。

 職場がこうした心の傾向を、効率的な業務遂行のために利用していることは、かなり前から指摘されてきた(速水健朗『自分探しが止まらない』)。企業や職場が、「交流」や「仲の良さ」を訴えることは当たり前になったし、所属チームでのランチや、社内バーでの交流といった親睦を深める諸々の儀式は、手を変え品を変え提案・実践されている。人間のアイデンティティへの欲求を加速させる市場経済にあって、心地よい承認を与えるコミュニティ(居場所)の提供は、もはや当然の手段となっている。

自己啓発が止まらない

 その最も新しい実践が、“Tidying Up Queen”と称される近藤麻理恵のビジネスモデルだ。社員でもないコンサルタントからロイヤリティを得ることで収益化する、「協会ビジネス」の展開である。協会からの教育と、協会への所属というコミュニティビジネス的な側面に、「ときめき(spark joy)」と、極東出身という属性とが与えるスピリチュアリティが加わることで、コンサルタントたちに「特別なもの」への帰属感を与える。アイデンティティへの欲求を刺激するのだ。おあつらえ向きに、片づけには「達成」や「成功譚」がつきものである。実際、Netflixで配信された彼女のドキュメンタリーは、生活を一変させる「何か重要なもの」への参加の感覚を片付け当事者に与えている様子を強調している。

 そういうわけで、ヴェンチャーキャピタリストのフレッド・ウィルソンが、「これからはアイデンティティとコミュニティの時代が来る」と語ったのは、実に適切だった。ただし、それ以前からずっと続いている傾向が、今後はもっと強まるだろうという意味で。老いも若きも、富めるも貧しきも、ホワイトカラーが自己啓発によって市場で何とか乗り切ろうとする趨勢は、どうやら変わりそうにない。それどころか、悪化するかもしれないのだ。

原理主義とアイデンティティ

 こうした事情を捉え直すにあたり興味深いのが、アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』(ちくま学芸文庫)である。もちろん、ビジネス向けに書かれた本ではない。しかし、グローバリゼーションという巨大な背景(p.111)を見据えながら、本書は、加速する不安にアイデンティティ概念の再構築で対処しようとしている点で興味深い。

 彼が問題視するのは、ナショナリズム、宗教原理主義、民族主義、血統主義、セクシズムといった、アイデンティティを利用した極端な思潮である。

そこでなら、彼らのアイデンティティの欲求も、なんらかのグループのなかに自分の居場所を持ちたいという欲求も、精神的なものへの欲求も、あまりにも複雑な現実をシンプルに理解したいという欲求も、行動を起こし反抗したいという欲求も、すべてがいっぺんに満たされるのです。(p.107)

こうした全人的な承認は、人に全能感と他者への傲慢さを与える。だからこそ、人は時折人に対して残忍になれるのだし、自分自身の存在価値を疑って生きることに疲れたりしてしまう。疑いようもなく、アイデンティティは人を殺すのだ。

 興味深いことに、というか事実としてそうなのだが、マアルーフはアイデンティティが「学習」の問題であることを強調している(p. 36)。自己形成が他者や環境の影響を免れない以上、この指摘は適切だし、だからこそビジネスにも転用されうる。しかしそれ以上に重要なのは、学習という論点が、「アイデンティティへの欲求」(p. 107)の根源性を示していることだ。つまり、アイデンティティは、学習によって絶えず私たちの肌に模様を残し続け、私たちは皮膚を通じて常にアイデンティティを意識しているし、そうせざるを得ない。

 このことを説明するには、既に多く書いてしまった。次回、彼以上に彼の用語法に敏感になりながら、アイデンティティと帰属先(コミュニティ)に関するマアルーフの思索に、耳を傾けることにしたい。

アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』https://www.amazon.co.jp/dp/4480099263/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_3IYEEbWGRM6FZ

アミン・マアルーフ(1949-)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%95

鈴木謙介『サブカル・ニッポンの新自由主義』https://www.amazon.co.jp/dp/4480064540/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_2KYEEb8ZE8G68

速水健朗『自分探しが止まらない』https://www.amazon.co.jp/dp/4797344997/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mKYEEb294HWER

近藤麻理恵『人生がときめく片づけの魔法 改訂版』https://www.amazon.co.jp/dp/4309287220/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ILYEEbWN1D53X

②に続く

2020/04/08

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。

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