【徒然日記】私の矢印の方向と本と映画の話
【世界一周まであと〇〇日】
自分に向かう矢印は(自←)
自分のことを見つめなおすとか自分について考えるという内に向いた矢印より、
自分から発する(自→)、こういう人になりたいとか、
あなたって素敵!とか景色や見える世界に感動するとか
自分の心を外に向ける方が、
自分が輝くし、心楽しくいられると感じます。
どっちも大切だけど、自分の不得意をカバーするだけでなく
自分の得意を伸ばすことってすごく大事で、
変わらないというか、変えられないものだと思っていたものを
いいじゃんってもっと伸ばしていくなかで、自分が変わっていくことなんて未来にわくわくするなぁ、
4年くらい前に友人と話したことなのですが、
その友人は、「あなたは矢印をもっと外に向けたらさらに輝くと思う」と言ってくれました。
その友人は勇敢な人で、自分を臆せずOUTPUTしていると思うのです。
私はそれがあまりできない、知られたくない部分もある
でも、私が自分の考えを勇敢に言うことじゃなくて、
自分にしか感じられない私の見る世界の私の感情を、
感じた素敵を外に出すこと
それが、私にとっての、内に向いていた矢印を外にむけるということだと
ふと、そしてやっと、思いました。
することで、私は私が好きになっていく。
きっと多分絶対私は、自分の考えを表現することで、
自分を好きにはなれない。
だから矢印の方向もどんなかたちでその矢印をむけるかも
人それぞれなんだとやっと思いました。
前にも書いたことがある、松浦弥太郎さんの本の一節、
『心が歳を取るってどういうことなのでしょうか』
『きっといろいろなことが変わっていると思うけれど、
瞳の輝きや色は変わらないというか、本来の自分の瞳の
輝きや色を、さらにきれいに磨いていくことが、
心の歳を取るってことじゃないかしら。』
そういう人になりたい
そして結局、私の原動力はものに対しても人に対しても夢に関しても
憧れなんだなあと。
最近、見た映画のラストが私はどうしても悲しかった。
きっと昔は見終わった後「ハッピーエンドじゃないのかよ!」って
思ったと思います。
最近それを見終わったとき、
「ここではそういう運命か。この先のどこかで、他の運命もあるんだろう。」と思いました。
それが、私はなんだか悲しかったんです。
自分が運命に諦めがついたような大人になった気がして。
このラストで、さっきの感想をもったのは、大人になったんだか歳を取ったんだか(年齢的に)と思いました。
それを思い出した今、
映画の中の彼女たちは、to be continue なんだよなと、
折り合いがつきました。
その時の運命とやらは、彼女の人生のストーリーになったわけだ。
彼女の引き出しの一段になったわけだ。
悲しいことじゃなくないよ
でも、無駄じゃないよ
その感情すら、彼女のこれからの人生をつくる心の引き出しになるから
私は、どこかの世界線で続いているであろう彼女を思いながら、
「次は幸せな恋しろよ」ってつぶやいて、自分に言い聞かせて、
私の引き出しにしまっておくことにする。
GWが始まりますね。
もともと実家に帰る予定だったけど、自粛要請。。
何をしよう。
何か、しよう。
kana
※このnoteはmana&kanaの共同です。投稿の最後に投稿者の名前を書いています。
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