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ひとつの言葉の多様性

息子がてっちゃんなので、自然とてっちゃんの話題に触れることが多いのですが、「鉄道が好き」と一言で言っても「のりてつ」「とりてつ」「おとてつ」など、鉄道好きでも、色んな好きがある。

さらに「とりてつ」(鉄道の写真を撮ることがすきなてっちゃん)の人たちの中でも、「毎日同じ時間に同じ場所から撮る(日々のわずかな変化を楽しむ)ことが好き」「色々な駅を走る、特定の電車を撮ることが好き」「掲示板の変化を撮ることが好き」など、こだわりポイントが違うのだそう。

駅で写真を撮るてっちゃんは、みんな一緒に見えるけど、それぞれこだわりを持って撮っているのだなあ、素敵だなあと感じました。

一つの鉄道好きでもこんな多様性がある。ことばでカテゴライズしがちだけど、一つのことばには、多くの装飾がついていて、一言では括れない。装飾の部分を見分けていける眼を持ちたいと最近思う。

たとえば、「教える」が好きな人は「教える=教師・指導者」になりたいんだねって考えがちですか、「教える」のことばをもっと考えてみる。

「楽しい」ということばも、賑やかさが含まれているものと、悲しみが含まれているものとは違うと思う。

細やかな視点は、星占術をしている方はとてもよく見えているのかなと感じます。私ももうちょい星占術の見方を勉強したいなあー。


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