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    私が日々の中で感じた、気づいた子どもとの関係について。

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学校へ行かないと決めたあなたへ。わたしは学校が大嫌いな先生でした。

はじめまして。わたしは、大学を卒業後、学校の先生になりました。 そして15年学校の先生を続けて、退職しました。 退職した理由は、「学校が嫌いだと気付いたからです」 びっくりしますよね。 普通、「学校の先生になりたい人は、学校が好きだからなりたいんでしょ?」と思いますよね。 私もそう思っていました。学校が好き、人が好きって。 学校の先生になったのも、私の親が先生で、とても楽しそうにしていたのがきっかけでした。 大学で、先生になる勉強をしていたときも、「一人ひとりの居場所にな

    • とある件で、署名を集めることになって、50人近くの名前を一枚の用紙に書いてもらった。それを受け取った時の重みというかエネルギー!一人ひとりの気持ちが名前に詰まってる。1人の力は小さくない。ということで、選挙いきましょ

      • 認知症のおばあちゃん

        施設に入ったおばあちゃんに会いに行った。 きっと誰だか分かっていないわたしに、「遊びにおいでよ」って、たくさんおもてなしの言葉で迎え入れてくれた。 昔の記憶と今の記憶がごちゃまぜになっている。 もう無くなった昔の親戚も、今生きているわたしたちも同じ空間に存在している。 おばあちゃんは時折、少し悲しそうな顔をしながら、元気に、明るく話す。 きっと自分が何かを忘れかけていっていることを分かっている。 わたしもおばあちゃんと同じように、おばあちゃんの感じている空間の中に存在で

        • 大好きな音楽をイヤホンで1人で聞いていたら、子どもがやってきて、「えっ、この部屋なんか澄んでる」って言われた。私の音楽を聞いて心が気持ちよくなっているのが部屋中溢れていたのかな。

        学校へ行かないと決めたあなたへ。わたしは学校が大嫌いな先生でした。

        • とある件で、署名を集めることになって、50人近くの名前を一枚の用紙に書いてもらった。それを受け取った時の重みというかエネルギー!一人ひとりの気持ちが名前に詰まってる。1人の力は小さくない。ということで、選挙いきましょ

        • 認知症のおばあちゃん

        • 大好きな音楽をイヤホンで1人で聞いていたら、子どもがやってきて、「えっ、この部屋なんか澄んでる」って言われた。私の音楽を聞いて心が気持ちよくなっているのが部屋中溢れていたのかな。

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          体調を崩した日々

          季節の変わり目なのか、残暑が厳しいからか、風邪を引いた。 喉が痛くてたまらない。熱も上がりきらず、ずるずると微熱が続く。クーラーの部屋と、外気温との差で、少し動くだけでヘロヘロになる。 ひっさびさの体調不良と、悪化させず早く治したい一心で、何も考えず痛み止めと咳止めの薬を飲んだ。 しかし、次の日もよくならない。 そういえば、私は薬に頼っていたっけ?自分が好きなもの、安心できるものってなんだっけ? そう思って、ゆっくりと、身体が安心できるものを思い直してみた。「したい」と思

          体調を崩した日々

          大根おろし

          昨日の残り物のゴーヤの酢の物に、これまた昨日の秋刀魚の塩焼のお供に作った大根おろしの残りがあったので、ぶち込んでみた。ゴーヤの酢の物が大根おろしと混ざる。そこに醤油と、柚子の辛子をちょっと。残り物とは思えない、とっても美味しいお酒のアテになった。 大根おろしってすごい。 天ぷら、脂っこい炒め物、野菜の和物、焼き魚、鍋、何にでも一品添えるだけでぐーんとその料理の価値が引き上げてくれる。 大根って一本数百円なのに。それをゴシゴシとするだけで、数倍の価値になる。 これって、仕事

          大根おろし

          教科を教えるのではなく、教科で教える

          わたしは、ずっとずっと教科指導に興味が持てなくて、子どもの心の方に関心があった。 学校教育では、教科教育が中心であり、進路と言えば、よい学校へ進学するために教科の勉強をしなくてはならない。 教科の勉強は、自分自身「将来の進学のためにしなければならない」ことであったし、その勉強に本当の意味で喜びを感じたことがなかった。 教える側になっても、教科教育をなぜするのかを、子どもたちに伝えられない。自分がその価値を知らないからだ。 なんで勉強するのかを尋ねられたら、「大人になった時

          教科を教えるのではなく、教科で教える

          自然が受け止めてくれる

          一日中、家族と川で遊んだ。 自然の力を大きく感じた。 それは、受け止めてくれる力。 日々の出来事、日常の溜まっていた感情。 ぜーんぶ、出た! それは、自然が受け止めるよって大きく両手を広げていたから。 天然のウォータースライダー(流れが急になっている場所)で、大声を出して滑った。 石に身体がぶつかっても「痛ったーーー!」って大声で痛みを叫んだ。 天然の遠赤外線岩盤浴をした。 石を思いっきり投げて、岩にぶつけて割った。 石を積み上げて川の流れを堰き止めた。 誰も何も気にせず。両

          自然が受け止めてくれる

          変化することは死と同じ

          今を満足していない人。 変わりたいと思っている人。 変化を望む人は、過去に原因を探そうとする。 しかし、アドラーは過去は関係ないという。 今日もこの本から、いい言葉を見つけた。 過去をどう意味づけするかによって、生を決定しているのは今ここのあなたよ。 ってこと! つまり、過去は今の自分の考え方によって、何にでも変化するということ。 「過去色々あったけど、まあ今はこれでいいやあ」 とすべて受け入れることは、今を肯定すること。 その上で、変われない、変化できない人は、本

          変化することは死と同じ

          尊敬の本当の意味は?

          ずっとずっと昔から、教育でなにを教えるのか、考えている。 子どもから私が教わることがあるのは、経験している。 子ども自身が社会で生きていく中で、自分自身で学んでいくことの大切さも知っている。 大人が子どもに教育することって、何なんだろう。 その答えをアドラーが教えてくれた。 「幸せになる勇気」という本だ。 アドラー心理学が掲げる人間の目標(とか、生きる意味とか)は、行動面と心理面で分けており、行動面では ①自立すること ②社会と調和して暮らすこと となっている。 そして

          尊敬の本当の意味は?

          他者とどのように関わればいいのか。どうすれば共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。アドラーはこうした知のことを「人間知」と呼びました。 「幸せになる勇気」より

          他者とどのように関わればいいのか。どうすれば共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。アドラーはこうした知のことを「人間知」と呼びました。 「幸せになる勇気」より

          行動を終わらせる

          ラジオを聴いていて、マルチタスクは脳が死ぬと言う話があった。 ガーン。マルチタスクになりがちな私。 しかし、マルチタスクが何故ダメなのか、科学的根拠は私は知りませんが、多分物事をきちんと終わらせてないからだろうなと私は思う。 何かで、「物事をちゃんと終わらせることは、ものすごいエネルギーを持つ」と聞いた方がある。 食器を洗ったら食洗機の中から、ちゃんと食器棚に戻す。 手紙が届いたらちゃんと分別して捨て、必要なものは所定の場所に置く。 洗濯は畳んで仕舞う。 靴を揃える。 全て

          行動を終わらせる

          家の片付け、物を置く

          松浦弥太郎さんだったかな?の言葉で「自分のお店にある商品を、毎日一つ一つ手に触って置くようにしてます」というのを何かで読んでびっくりした記憶がある。 陳列されているものは動かさない限り、ずっとそこにあるもので、変化ないはずなのに、毎日それをあえて触って同じ位置に置くとは、、 でも、それをやっているのとやっていないのとでは、その物の輝きが違ってくるのだろうなと思う。 触った人の大切にしてますよーっていうエネルギーが入ると思う。 これって、家でも意識できるんじゃないだろうか? 風

          家の片付け、物を置く

          SNSアプリを携帯から取り除いたら。

          携帯を新しくしたのをきっかけに、アプリの整理をした。 データをたくさん使っていたアプリがインスタだったので、「まぁパソコンでも見れるのでいっか」と消すことに。 そしたら、それ以前と以後では時間の使い方がまるでかわり、自分の意識にも、ものすごい変化が起こったのでした。 アプリを消すことで、携帯をみる時間が、読書とジャーナリングに変わりました。 すると、自分が主体になった! 自分がどうしたいか、自分が発信する側というか、行動する側に転じた感じ。 インスタでみてた情報は、た

          SNSアプリを携帯から取り除いたら。

          自由にしていいよ。

          ひとりより、ふたりのほうが自由かもしれないと昨日ふと思った。 ひとりは、気楽。何をしても、何にどれだけ時間をかけても、何も言われない。 どこへ行ってもいいし、何を食べてもいい。 けど、そこに、「何をしてもいいよ」というもう一つのまなざしがあると、もっと自由が広がって、自由の明るさも強くなるように思った。 わたしを、ただ見守ってくれている。わたしがすることをいとおしく思いながら見ていてくれているまなざし。 ひとりの自由より、安心で、あたたかくて、大丈夫と思える。喜びも増え

          自由にしていいよ。

          ひび

          今回はこちらの本 ニューヨークでの日々の暮らし。 読んでいくうちに、私は作者の近藤さんの目になっていく。 ふと本から目を離して、自分の周りを見渡すと、世界がちょっと変わったような気がする。 近藤さんの見方が、わたしに入ってきてきる。 いつもの生活を少し違う視点でみようとしている。 そうすると、世界が綺麗に見える。 綺麗っていうのうは、豪華だとかたいそうなことじゃなくて、愛おしい感じ。 日々が積み重なることが生きていること。 高山なおみさんの日々ごはんに似ている。