新しく一般社団法人の設立と、秩父ウイスキー祭
横浜フェスが終わって休む間もなく、先週は連日ガロアの原稿、マスターオブウイスキーの問題作り、そしてミーティングに明け暮れた。決めなければならないことが山のようにあり、その遂行に一日の大半を費やしている。
そんな中、2月17日に70歳の誕生日を迎えた。その日が土曜日だったため(?)、前日の金曜日には西麻布の長野屋のH君が、シャンパンを持ってお祝いに駆けつけてくれたし、スタッフからもシャンパンと、お花をいただいた。長野屋のH君はここ20年、毎年誕生日にシャンパンを持ってきてくれる。本当にありがたいことだ。
10年前の還暦の時は恵比寿のレンタルスペースで、関係者60~70名を集めてパーティーを行ったが、今回はあまりに忙しく、まったくその時間が取れない。スタッフも人数的に当時より少ないが、仕事量は3~4倍になっていて、無理があるので、落ち着いたら4月くらいに私主催で、ささやなかパーティーを開きたいと思っている。「人生70、古来稀なり」と習ったのは、たしか中1の国語の授業だったと思うが、まさか自分がその歳になろうとは、当時の私は想像もできなかっただろう。ましてや、ウイスキーの仕事をしているなんて…。
ガロアの巻頭でも言及しているように、今の私にとって70歳は単なる通過点でしかない。還暦の時は65歳くらいで一線を退き、あとは鎌倉でのんびり好きな釣りと、ウイスキー以外のことを書いて過ごしたい。以前から思っていた小説や歴史のエッセイにも挑戦してみたいと考えていたが、この10年でそれどころではなくなってしまった。
ちょうど10年前に放送が始まったのがNHKの朝の連続テレビ小説『マッサン』で、それに合わせるかのように新規事業として、ウイスキー検定を始めた。さらに2017年3月から『ウイスキーガロア』を始め、これももう丸7年となる。さらに2019年から始めたのがTWSCで、この10年で大きな事業を3つも始めたことになる。そして昨年の『ジャパニーズウイスキーイヤーブック』の刊行である。これでは休むどころではないし、ますます多忙を極めることになる。昨年訪れた日本の蒸留所は50~60ヵ所にもなり、ほぼ毎週取材で日本全国を飛び回っている。
そこに新しく加わるのが、コニサークラブの発足と、それとは別の新しい組織の創設である。これがジャパニーズウイスキーの定義の法制化を目指す一般社団法人、日本ウイスキー振興協会(仮)の創設で、このミーティングも連日のように続いている。詳細が決まり次第SNSでも発信したいと思っているが、そのためのクラウドファンディングも4月くらいから始めたいと考えている。
また4月1日の『ジャパニーズウイスキーの日』の乾杯イベントについても、ある程度決めてしまった。今年はその日が月曜日ということもあり、開始は午後6時。7時までは私の基調講演で、テーマはジャパニーズの定義の法制化について。そして7時からは間に乾杯をはさんで、ジャパニーズのテイスティングセミナーを8時半まで行う予定だ。乾杯ボトルは江井ヶ島のシングルモルトで、これは先日の横浜フェスのオリジナルボトルを100mlのボトルに詰め替えたもの。それとは別にテイスティングでは秩父やマルス信州、日の丸、嘉之助、尾鈴山のフェスオリジナルボトル5本の飲み比べを行う。
会場はウイスキースクールで、当日の参加費は6,600円(税込)。これには江井ヶ島の100mlボトルも付いてくる。さらにYouTubeのライブ配信も行う予定だ。そんな忙しい中、2月18日の日曜日には秩父ウイスキー祭にウイ文研として出展。多くの懐かしい顔にも会えて、楽しいひと時を過ごすことができた。さすがに朝5時起きで、秩父で一日中ブースに立ち、そして夜11時近くに帰宅というスケジュールは、古稀を迎えた人間にはキツイ。来年からどうするか、考えないといけないときに来ているのかもしれない…。