さよなら霊柩車
後方から汽笛のような音が聞こえた。
ん? と思ってバックミラー越しに後ろを見るが、取り立てて騒ぐほどのことは起こっていない。気のせいか、と思い、車を発進させる。
すぐにまた赤信号になり、なんとなくバックミラーを見ると、その白くて長い車両は霊柩車だった。緑色のナンバーをした車の運転席には葬儀屋のスタッフであろう男性、助手席には喪主とおぼしき男性が位牌のようなものを正面に抱えて座っていた。マスクをしているのでしっかり読み取れないが、冬の景色に自然と染まるような仄暗い表情であった。街路樹の葉はすっかり落ちている。だが交通量はいつもより多く、いかにも年末といった雰囲気だった。
ハンドルを握る手に力が入る。後続にパトカーがいるみたいに緊張する。でも後ろの車は警察ではない。霊柩車だ。
そこでようやく、さっきの汽笛のような音が、霊柩車が葬儀場を出るときに鳴らしたクラクションの長い音だということに気づく。
お別れをしたのだ。これから火葬場に向かうのだろう。亡くなった人とその家族が僕の車の後ろに並んでいる。事故を起こさないように、かといって後ろに気を取られ過ぎないように、しっかりと前を向いて運転した。
今年、僕の周りで亡くなった人はいなかったけれど、たとえばパン作りを始めたときに買ったレシピ本の著者である方が先日亡くなった。新聞のおくやみ欄には毎日誰かの名前が記される。その方々の多くが霊柩車に乗り、別の世界へと旅立っていく。
霊柩車の棺の中で眠るのが自分でもおかしくないし、霊柩車の助手席に乗るのが自分であってもおかしくない。たまたま今その立場にいないだけで、いずれそこに行く日は来るだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていた。気づけば後ろに霊柩車はいなかった。どこかを左折か右折したのだろう。さよなら霊柩車。
今のところ僕の日常は続いている。やがて霊柩車に乗るにしても、今のところ僕は自分で運転をして、前を向いて、ときどき考え事をして、本屋に立ち寄って、たまにドーナツを食べたり、コーヒーを飲んだりしている。考え事をするくらいには余裕のある暮らしだ。そう考えると、考え事をするのも悪くない気がしてくる。
なぜだかわからないが、ふと高校時代のある先生のことを思い出した。
その先生というのは、別に僕の担任だったわけでもないし、教科(たしか国語だった)を教わったわけでもない。なのに、どうしてか急に思い出した。
その先生が、あるとき生徒たちと話しているシーンをなぜだか急に思い出したのだ。
掃除の時間に、女子生徒たちが掃き掃除をしていたとき、その先生が生徒たちの横を通り過ぎた。僕はたまたまそこに居合わせ、その様子を目にしただけだ。本当に些細なワンシーンだ。
「ご苦労様です」と女子生徒たちが先生に挨拶をすると、
「お前たち、ご苦労様というのは目上の人間が目下の人間に対して使う言葉なんだぞ。だからこの場合は、〝お疲れさまです〟というのが正しい」
女子生徒たちはぱっちりと目を開け、宝物でも発見したみたいに驚きの表情を見せた。それでも素直な生徒たちは先生の教えをしっかりと受け取り、両者がにこやかな面持ちをしていたのが印象的だった。それは教師と生徒の至極真っ当で美しい光景だった。
記憶が蘇ってきた。急にその先生のことを思い出したのは、きっと当時その先生が担任していたクラスの生徒が病死してしまったからだ。その生徒への追悼文を読んだことがあった。その文章は、まだ成長過程だった若かりし日の自分にもぎゅーっと心臓をしぼられたみたいに強く響いたのだった。
あのときから今日まで、僕は幸いにして生きのびている。
当たり前のことを当たり前ではないふうに感じながら。
まもなく2024年が終わる。
たった一日、日付が変わるだけなのに、世界はオリンピックなんて目じゃないくらいに盛り上がる。人が集う。祈る――。
目を瞑る。
暗闇に光が宿る。呼吸が聞こえる。
さようなら2024。さよなら、霊柩車。