私の人生 前半
私はこれを書いてる今は43歳。私のこれまでの人生での体験考えていた事を書いていきたいと思います。長いと思いますが最後までお付き合いいただき何かを感じていただければ幸いです。
私は新潟の雪深い田舎に長男として性を受けた。曽祖父、祖父、祖母、父、母、がいて私の事愛情たっぷりに育ててくれたのかなと感じる…
後に弟が5年後に誕生して家族は7人家族。この頃が一番楽しかったのかな…
おじいちゃんが二人いて二人に抱っこしてもらいながら昔話聞かされたり、おばあちゃんには歌を教えてもらって一緒に歌ったり、ご飯を作ってもらったりして本当に振り返ると愛されて来たのかなと感じます。父や母はこの頃も仕事で忙しいのは感じていた。
私が小学1.2年生の時に曽祖父が亡くなります。ひいじいちゃんは家では新聞を一日中読んでるイメージから家族から新聞じいちゃんと呼ばれていました。その新聞じいちゃんは日中戦争に行きシベリアから帰ってきて後に村の村長や町長を務める偉い人で、生前家には人が何人も来ていた事を記憶しています。葬式の時には家に立てきらない花輪や列席者の人数やお坊さんの人数。凄い人だったんだなって子供ながらに誇らしく思っていました。
私のこの後の人生に凄く影響を与えてくれたひいじいちゃんが亡くなり家族6人の生活がその後私が18歳の頃まで続きます。この頃はTVでは野球中継が特に巨人戦が行われておりとても影響を受けていました。後に小学3年生から高三まで巨人ファンで野球もずっと続けていました。球場には東京ドームができてから観戦はしましたがそれまではTVしかないのでそこから選手の真似や応援歌の演奏をして友達と遊んでいたのを覚えています。野球も小学生の頃は昼休みや放課後はテニスラケットでゴムボールを打つと良く飛ぶので流行っていたり、土日は少年団で試合や練習をしていました。少年団ではその当時は監督が下からグラウンドまで子供達の送迎をしてくれて田舎のチームでも人数はたくさんいました。小学校で3校分の子供で出来ていたチームでしたので毎週土日が色んな話もできるし野球もできるし楽しくてしょうがなかったですね。
そんな私は小6の時は児童会長をやりました。政治的な事が好きなのは尊敬してたひいじいちゃんの影響があるのかなって思います。
さて家族間に喧嘩が始まるのはこの頃で、おじいちゃん対おばあちゃん、おじいちゃん対親父、お袋対親父。夕ご飯の時間になるとおじいちゃん対おばあちゃんが、おじいちゃんは会社勤めはしていなかったので食事を作るのが趣味でお酒を飲みながら行っていましたが毎日飲み過ぎで酔いぐせも悪くて、シラフの時はいいおじいちゃんなのに豹変してしまうんです。そこでお酒をやめさせたいおばあちゃんと喧嘩や暴力が始まるのです。私や弟には直接被害を受けた事は一度もありませんがずっと聞いてると辞めてほしいし、辞めさせたいし、でもいつも可愛がってもらっているしとかと言う気持ちになり結局私の知る限りずっとでした。
親父は婿養子でした。仕事から帰るとじいちゃんとお酒を楽しく飲んでいた時もあった事でしょう。
しかし親父も、毎晩じいちゃんの酒癖の悪さに嫌気が刺し、親父もいい返すようになっていったのかなって思います。やはり喧嘩する様になりひどい時には日本刀や包丁が出てきた事もありました。
次は親父対お袋。私の推測だとそんな家族間の喧嘩を止めようと奮闘していたのはお袋で親父も同じだったのかなとは思いますが、しかし親父も毎晩のじいちゃんからの口撃に溜まり兼ねてお袋とも喧嘩する様になります。ここでも私が仲裁に入っておけばよかったなって反省はしています。親父はこの頃からパチンコを始めたみたいでお金の事やお袋がいてほしい時にいなかったりで夫婦間も亀裂が入ってたんだとおもいます。
こんな感じで中学、高校まで続いていきます。
私と弟はそれでも直接被害はなかったので日常は学校があり楽しく過ごしたとは思いますが、後にぐれたり、家族から離れたかったりって思い始めてしまったのは間違いありません。
中学では何かに馬鹿にされて椅子を投げて学校のガラスを割った事や、いじめられっ子に対していじめに加わったり、悪い事も分かっててやってしまったりもしてました。だけど私は中学でも生徒会長をやってしまいます。もちろん投票ですが票を集める為に圧を掛けたり決戦投票では涙を使った事は覚えています。最低です。
高校時代はなんなんでしょうか。その中学までの自分が嫌になり、馬鹿らしくなり野球は続けてますが、勉強は一切しなくなりました。部室で寝てたり、タバコや酒も始めてしまいました。茶髪やバイク通学、校則も破ったりで赤点も取り始め留年もちらつき始めてました。友達関係も変わっていく事それまでの友達が離れていく事やや自分が変わるにつれて周りも変わって行くんだとそこで学びました。
続けてた野球は楽しいものも変わり野球から離れてしまいます。野球の仲間や先生には赤点のせいで勉強に専念しますとか、お門違いな理由で。情けないです。
高2の夏新チームが始まる頃に辞めて、夏休みを遊びまくり新学期が始まってばかりの頃に野球部のコーチや後に新チームのキャプテンになる藤本君を始めとする友達から戻って来ないかと言われます。
始めはウザい、関わらないでと思っていましたが思っている以上に熱い気持ちで誘われたり何しろ野球やっていれば卒業はさせる。みたいな事を言われたかいないかが余り覚えていませんが、で野球部に戻る事を決意します。本当は待っていたのかもしれません。とても嬉しかったのを覚えているので。
その後は引退までは野球をしました。練習後、野球の事、性格的な事色んな話を夜明かりが消えて終電寸前まで話し合う事もあったなって。マネージャーも関係ないのに待ってくれたなぁ。
そういった事もあり私にとっては短く濃い時間になりました。自分の事ばかりの自分の小ささに気付いたり、本当の友達とは誰なのかだったり、他の友達は遥かに大人なんだなって感じたり出来ました。いい友達ばかりでした。
高校卒業出来ました。その後は人生中盤編へ続かせていただきたいと思います。