『正義』とは他人を打ち負かすためのものではなく、自分自身を克服するためのもの。
こんにちは。写真家のMiNORU OBARAです(自己紹介はこちら)。
クリスマスですね。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
今年は全てが予想外。会いたい人に会えない方々も多いのではないでしょうか?
クリスマスといえば、言わずと知れたキリスト教の大イベントですね。今や世界中で祝われていると思いがちのクリスマスですが、意外とそうでもないようです。
例えば、僕の家族が住むカンボジアの村では、クリスマスをそんなに重視していません。
彼らが最も重視しているのは、4月の仏教のお正月(ブッダの誕生日)だったりします。
それでも、クリスマスもブッダの誕生日もおめでたいことには変わりありませんね。
さて、本日は、キリスト教でも仏教でもなく、ヒンドゥーの逸話をご紹介します。
インドで生まれたヒンドゥー教は、大陸を渡り、もちろん日本にも伝わってきています。
弁財天、毘沙門天、吉祥天、大自在天のように「天」を冠する神様はヒンズーの神様(*1)ですし、お釈迦さまはヒンドゥーの三大神の一人ヴィシュヌの9番目の化身であるとも云われています(諸説あり)。
そんな奥深いヒンドゥーを語る上では欠かせない書物が『マハーバーラタ』。18巻からなる長編神話です。
本日は、その『マハーバーラタ』の導入部のとても素敵な一節を。
その背景にある物語の前に、その一節をご紹介します。引用する原文では、「正義」の部分が「ダルマ」という言葉で表されています。ダルマとは、ヒンドゥー教における人間の4つの存在意義(*2)のうちの一つで、『社会的な行為』を意味しますが、文脈を辿れば、「正義」と表現した方が分かりやすいため、そう表現します。(出典:『インド神話物語 マハーバーラタ 上』原書房)
それでは、さっそく、その一節をご紹介します。
『正義とは、共感と英知です。正義とは、他者を打ちまかすことではなく、自分自身を克服することです。正義においては、誰もが勝者となります。正義とは何であるか、一体誰が決めるのですか? 「正しいのは自分で、相手の方が間違っている」 と考えていたのでは、果てしない復讐の連鎖を止めることはできないのですよ。』
胸にドーンと来ませんか? 誰しも思いあたる節があるのではないでしょうか。
それでは、この一節が登場するヒンドゥーの物語をお話ししますので、お付き合いくださいませ。
登場人物紹介
まずは、登場人物の紹介。インドの物語では、人名も地名も、ややこしい。
□ ジャナメージャヤ王・・・クル族の王様
□ パリクシット王・・・クル族の先代王様。ジャナメージャヤの父親。
□ アルジェナ王・・・クル族の昔の王。ジャナメージャヤの曾祖父。
□ ナーガ族・・・頭がコブラで人の言葉を話す蛇人間。
□ タクシャカ・・・ナーガ族の王様
□ アースティーカ・・・ナーガ族の王様の甥
蛇の呪い
ハスティナープラという国の王様、パクリシットは、何かに怯えて塔に閉じこもっていました。聞けば、「7日間以内に蛇に食い殺されてしまう呪い」をかけられてしまったといいます。
それを聞いた国の兵士たちは、塔の全ての扉と窓に立ち、王様を蛇から護ろうとします。
何事もなく6日間が過ぎました。
しかし、呪いから7日目の日。空腹に耐えきれなくなったパクリシット王は、果実を口にしてしまいます。
王がかじったその果実には、虫が隠れていました。その虫は見る見るうちに大きな蛇に姿を変えます。その蛇はナーガ族の王、タクシャカでした。タクシャカは、パクリシット王を喰い殺してしまいました。
ジャナメージャヤの怒り
「罪のない父親を殺した者に必ず復讐してやる。」
パクリシットの息子ジャナメージャヤは、怒り狂います。
ジャナメージャヤ王は国中のバラモンたち(インドカースト最上位。聖典を伝承し、祭祀を行う人)に命じ、地上のすべての蛇を殺すための祭祀を執り行わせます。
バラモンたちが炎を燃やし、摩訶不思議な呪文を唱えると、国中の蛇たちがその炎に引き寄せられ、次々に焼け死んでしまいました。
それを眺める国の民たちには、「先代王の敵討ちだ!」と叫ぶ者もいれば、「これは無差別な大虐殺ではないか!」と嘆く者もいました。
ナーガ族のアースティーカ
その時でした。
「やめてください。王様!」
炎の祭儀場の外で、叫ぶ声がしました。
その声は続けました。
「それは、アダルマ(非道な行い)です!」
声の主は、ナーガ族王の甥、アースティーカでした。
怒り狂ったジャナメージャヤは言いました。
「これが非道な行為だと? お前が蛇の味方をするのは無理もない。お前は蛇の一族だからな。」
アースティーカは答えました。
「それは違います王様。私は人間の父と蛇族の母の間に産まれた子。どちらの味方にもつきません。どうぞ話を聞いてください。」
ジャナメージャヤは、アースティーカの話を聞くことにしました。
王様が蛇に呪われた理由
「パクリシット王の死は、パクリシット王自身が招いたことです。」
アースティーカは話はじめました。その内容はこうです。
パクリシット王の死の7日前、狩りに出ていたパクリシット王は喉が渇いたので、菩提樹の下に座っていた聖仙に頼みました。
「水を分けてくれないか?」
しかし、その時聖仙は瞑想にふけっていたので、王の言葉が耳に入りませんでした。
頼みを無視されたと勘違いしたパクリシット王は怒り、蛇の死骸を拾い上げ、聖仙の首に巻き付けました。
その様子を見ていた聖仙の弟子は、師匠が侮辱されたことに我慢ができず、パクリシット王に、蛇の呪いをかけたのでした。
タクシャカが王を噛み殺した理由
「そうだったのか。」
ジャナメージャヤ王は言いました。
「しかし、それでは、タクシャカが父を殺した理由にはならんではないか。」
アースティーカは答えました。
「その昔、あなたの曾祖父アルジェナは、都を築くために森を焼き払いました。その森にはたくさんのナーガ族が住んでおり、大勢のナーガ族が焼け死にました。パクリシット王を噛み殺したのは、タクシャカにとってはナーガ族の復讐だったのです。」
そして、こう続けました。
「そしていま、あなたはまたナーガ族へ復讐をしようとしている。このままでは、この復讐劇は永遠に終わらず、お互いの血が止まることはないでしょう。それはあなたの望むところなのですか?」
本当の正義とは何か。
「むむ。」
アースティーカの問いに、ジャナメージャヤ王は口ごもり、言いました。
「しかし、私はこの復讐を正義のために行っているのだ!」
アースティーカは答えました。
「タクシャカも正義のためにあなたの父を殺したのです。そしていま、あなたはあなたの正義のためにナーガ族を殺している。このままでは残されたナーガ族はさらなる正義を渇望することとなるでしょう。それが本当の正義と言えるのでしょうか。」
そして続けます。
『正義とは何であるか、一体誰が決めるのですか? 「正しいのは自分で、相手の方が間違っている」 と考えていたのでは、果てしない復讐の連鎖を止めることはできないのですよ。』
アースティーカは言います。(それこそが、僕が今日の記事でご紹介したかった一節です。)
『正義とは、共感と英知です。正義とは、他者を打ちまかすことではなく、自分自身を克服することです。正義においては、誰もが勝者となります。』
少し長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?
自分が正しいと思ってしまうと、どうしても相手に対して強く当たってしまうもの。特に世間的・常識的な裏付けがある場合などはその気持ちが増大してしまいますよね。みなさんも心当たりがおありではないでしょうか。
そんな時に、落ちついて考えることはなかなかに難しい。それでも、一度自分を省みて、そして相手の気持ちになって考えること、とても大切ですよね。
もちろん僕もまだまだ修行中です。
本日も、文末までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
*本日の記事は下の本を要約、一部引用したものです。
□ 参照
*1:ヒンドゥーの神が仏教に取り入れられている例
『弁財天』・・・サラスヴァティ(三大神ブラフマーの妻)。
『毘沙門天』・・・富と財宝の神クーヴェラ。
『吉祥天』・・・ラクシュミ(三大神ヴィシュヌの妻)。
『大自在天』・・・三大神シヴァ。
*2:ヒンドゥー教における人間の4つの存在意義
『ダルマ』・・・社会的な行為
『アルタ』・・・経済的な活動
『モークシャ』・・・神的な活動
『カーマ』・・・喜びの追求
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