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貧乏育ちのアラサー女子、プチプラ高見えのプロになった話
ー猛暑の候、私がいかに上手くおしゃれを保っているかを考えてみた。ー
私は女子大出身である。幼少期からピアノを得意とし、留学経験があるため英語も話せる。清楚なファッションを好む。服は丁寧に洗濯し、アイロンがけも怠らない。家の側のコンビニであろうと都心部であろうと、人が見ていようと見ていまいと、外に出る時は必ずメイクをする。常に清潔感を意識している。そんな私は、(自分で言うのも大変おこがましいが、)女子大生達の中に目立つことなく染まっていたと思う。
私のキャンパスライフは、そのイメージ通り華々しいものだった。やれ社長令嬢だの大手企業役員の娘だの、リッチなご家庭のお嬢様がごまんといる環境だった。女子大時代の友人は、今でも気品が溢れている。ハイブランドのアイテムを身に着け、美容にも非常に詳しい。
ここまで言うと信じてもらえないかもしれないが、私は貧乏な家庭で育った。小学生の頃、両親の喧嘩は毎日のことだった。内容の大半はお金関連。声を荒げる両親に「もうやめて!」と何度も泣きながら訴えたが、今思えば全く無駄な抵抗であった。
中2で両親が離婚し、母と兄と私は古くて狭い府営団地に引っ越した。高3までピアノを習ったが、母は月謝を払うために生活を切り詰めていたに違いない。高校と大学の学費は奨学金で賄った。留学は、志願者の中で成績トップになり、大学から多額の援助を受けた。高い授業料は未来の自分が支払うことを自覚し、就職活動を終えた4年生の後期もアルバイトは程々に、学費の元をとるためほぼ毎日大学に通った。
社会人になった現在、毎月大金を返済している。
私の場合、一般人と同じ感覚でお金を使えば懐具合が悪くなることは安易に想像できる。私はこれから紹介するあの手この手の方法を駆使し、今でも華やかな女子大時代の仲間たちにかろうじて溶け込んでいる。(と、思っている。)
譲り受けたものを大切に使う
平成初期に生まれたアラサーの私。バブル時代のお下がりを我が物顔で使用するのは十八番だ。春夏は母からもらったシルクのスカーフで首元を飾り、秋冬は実家のご近所さんから頂いたコートを毎年クリーニングし一張羅として愛用している。
義祖母はおしゃれ好きで、断捨離中の彼女からいくつかバッグやスカーフを譲り受けた。やはり高級なものは、時代を超えて愛されるのだなぁと思う。
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ハイブランドを自分で購入したのは人生でほんの数回。買い物後しばらくは、何も悪いことなんてしていないのに罪悪感に苛まれる。こんな気持ちになるくらいなら、身の丈にあっていないのかも…とさえ思う。身銭を切って高い物を買うことは、大変な勇気がいる。念願叶って欲しい物を手に入れて心が満たされると同時に、大金を使った罪悪感で心が削られるというアンビバレンス。
身内のタンスに眠る品々を譲り受ける際は、「こんなに古いのに、使ってくれてありがとう」と感謝される。人生の先輩方が日々のファッションに彩りを加えてくれて、私も非常に感謝している。
中古品を調達する
普段着は、メルカリや2nd STREETで調達するのが大得意だ。
私は、Mackintosh Philosophyの服が大好きだ。シンプルながらも遊び心があり、個性を演出できる。上質な物は身に付けると気分も上がる。だが、いかんせん高い。一着の値段は1万円を優に超える。かと言って、ファストファッションばかりでは味気ないし、日々に楽しみを見い出せない。やけにこだわりの強い私は、メルカリで好きなブランドを検索し、状態の良い中古品を格安で購入している。
その服を初めて見る人にとっては、私が新品で買ったか中古で買ったかなど知る由もないし、購入ルートに関心もないだろう。だから、私は中古品を身につけることになんの抵抗もない。
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ヘアカラーをしない
おしゃれのためにあえてしていないことがある。それはヘアカラーだ。
大学時代の私は赤髪だの金髪だの、若々しい派手色を大いに楽しんだ。就職活動をきっかけに髪色を黒に戻し、それ以降黒髪をキープしている。
周りの友人の9割9分がヘアカラーをしているため、もちろん魔が差すこともある。しかし、これに関しては一度やってしまえば終わりの始まり。麻薬みたいなものだ。こまめに美容室に行き、髪色や髪質を保つためのケアにも費用がかかることを私は経験済みだ。
根元から地毛が伸びている状態、いわゆる"プリン"になるのも苦手だ。メンテナンスにお金と手間がかかるヘアカラーは、本当に自分に必要か?中途半端な気持ちなら、私にとってやる意味は皆無だ。やりたい人がやれば良い。
かれこれ10年近くヘアカラーと距離を置いているため、黒髪は今や私のアイコンになっている。髪の毛は特別なケアをせずともノーダメージなので、髪質を褒められることもしばしば。
白髪が生えだして地毛がみすぼらしくなったら、またヘアカラーにお世話になろうと思う。
上質なB品を探し当てる
B品ばかりを取り扱う店に行ったことはあるだろうか。ローカルなスーパーの二階や、商店街の小さな服屋さんを侮ってはいけない。上質なB品が破格で売られているのだ。
貧乏な過去は時にはありがたく、私の審美眼を養ってくれている。私の服選びの目は人一倍厳しい。縫製、布地の目付、裏地の有無、組成などが価格に見合ったものなのか、吟味することが習慣となっている。素材のこともよく勉強した。一冬で毛玉だらけ、といった苦い思いは絶対したくないからだ。
生粋の関西人なので、良いものを安く買えると誇らしい気分にさえなってしまう。
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ちなみに、私は基本的にアウトレットモールで買い物をしない。アウトレットと謳いながら、全てが本当の意味でアウトレットではない。もし、アウトレットの店舗にB品や売れ残り品しか並んでいないとすれば、とてつもなく貧相なラインナップになるだろう。そのような状況を回避するため、陳列棚を綺麗に見せる目的で生産された安いA品が多数ある。作りの甘い商品に有名ブランドのタグ。これは完全にアパレル業界の闇だ。
しまむらとロペピクニックはプチプラ界の王者
しまむらのラインナップはやはり、いかにもしまむら!な感じが否めない。低価格がゆえに安い素材が使われがちだ。商品選びはやや難しい。
しかし、この頃インフルエンサーがデザイン監修をしている商品があり、百貨店ブランドと見紛うようなハイセンスの商品も隠れている。そして何より、しまむら安心価格と書かれた値札が、文字通り安心感を与えてくれる。
私は今年しまむらで1着のブラウスを購入したが、この服を着ている日はなぜか100%褒められる。パン屋で列に並んでいる時、見知らぬマダムに「最近はこんな服あるのねぇ~オシャレねぇ〜」と声をかけられた。しまむらです!なんて、言えやしない…。
友人にも、旦那にも、親にも、喫茶店の店主にも、素敵だね!と言ってもらえる、この夏の大当たりだ。
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プチプラと言えば、ロペピクニックもよく利用する。ウォッシャブル生地を多く取り扱っているため長持ちする。清楚なデザインが多く、非常に使い勝手が良い営業ウーマンの強い味方だ。
※超重要※先を見据えた購買活動をする
適正価格での購買活動は大前提だが、買った服を長く着ることが最も重要だと思う。
私は、基本的に流行り物には手を出さないようにしている。最近で言えば、ビスチェ、ポップコーン生地、ショート丈トップスなどだろうか。これらは数年前には存在しなかった、ぽっと出の流行だ。今着る分にはおしゃれでいられるが、来年もおしゃれだとは限らない。
事実、流行は消費者の購買意欲を促進し、経済を回すためには不可欠だ。みんながみんな私のような購買活動をしていては、資本主義社会は衰退の一途を辿るだろう。だから流行はあって当たり前。でも、流行を追いかけることを当たり前としないのがマイルールだ。私は不本意ながら、アパレル業界に非協力的な姿勢を保っている。
所有している服は、ほとんど普遍的なデザインの物だ。トップスは清楚なデザインのブラウス、ボトムスは無地のロングスカートかワイドパンツ。流行り廃りの無いものを選ぶため、学生時代から着ている物もあるほどだ。
私はファッションにおいて、決して安さだけを求めているのではなく、時代の影響を受けないことを重要視している。
服選びは、人の出会いに似ていると思う。好みのデザインであれば価格は問わない。時には百貨店で定価で購入することもある。ただ、どんな時も慎重で、かつ選ぶ基準は自分軸である。流行ってるからとか今っぽいという理由では買わない。3年〜5年後ぐらいまで見据えて服を選ぶ。
安く買うことよりも、長く大切に使うことのほうが、結果的にコスパが良い。
以上が私のファッションに対する考え方の全てだ。
-終わりに-
先日、珍しくTiffanyの店舗でリングを購入した。私の感覚で言えば、中古でも全く構わない。特にゴールドのジュエリーに関しては、金価格は上昇し続けているからなおのこと。
中古市場を調べ尽くしたが、残念ながら私のサイズは売りに出ていなかった。清水の舞台から飛び降りる気持ちで、思い切って購入した。
百貨店で買い物をした帰路、世の一般女性はたいていハイテンションでショッパーを持ち帰るのだろうが、私は電車で購入品を持ちかえるあの時間がすごく苦手だ。狙われているのでは?すられるのでは?どこかに転売されるのでは?など色々考えてしまって怖い。だから、高い物を購入した際はあえてナイロンのエコバッグに入れ替えて持ち帰るようにしている。(笑)
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欲しい物をリサーチし、ショップに赴いて、試着し、目で見て確かめて、対面で決済をする。
ブランド品の定価とは、そのブランドに込められた企業の想いだけでなく、購入に至るまでの一連の過程の対価なのだと感じた。
もちろん私も世の女性と同様、ブランドへの憧れや理想像がある。ただ、好き放題できない自身のマネー事情を鑑みて、試行錯誤の末上記の購買活動に行き着いた。私だって普通のアラサー女子。お財布なんて気にせず買い物してみたいのが本音である。いつかそんな日が来たらいいな…と思いを馳せながら、この記事を締めくくる。
このリングは私にとって高い物であったが、価格と物の扱い方は全く関係ない。私は今日もプチプラの服を丁寧に手洗いし、ノーブランドのネックレスもゴールドのリングも綺麗に拭いてからジュエリーボックスへしまうのであった。