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近代で失われたものをより豊かに:「修復的対話トーキングサークル」 X 「ことばの焚き火」的対話

修復的対話(Restorative Justice Dialogue )は、カナダの先住民やNZのマオリなどが行っていた対話を再評価し、現代に再生させた「対話」ということ。前日取り上げた、ハワイのホ'オポノポノを現代のソーシャルワークに取り入れているのにも似ている。テクニックを駆使するというより、静かに心を傾け合うことというのも、ホ'オポノポノや、「ことばの焚き火」的対話にもつながる。

古くからあったもの

近頃、ビジネス、地域、学校、医療、様々な場所で対話が注目を浴びるようになってきたが、それは人が古くからやってきた営みだ。

 修復的対話は、近代社会に成立した司法で裁く限界を越えるために、近代社会以前に、どの社会でも行われていた人としての対話を再評価し、現代に再生させたものです。
 平和主義のキリスト教メナノイト派の人々が修復的対話を用いたことだそのきっかけでした。現在ある社会の秩序を守りつつ、平和に共存するための対話で、カナダの先住民、ニュージーランドのマオリ社会で行われていた対話が原型になったといわれています。日本にもこのような対話はあったはずで、寄合、アイヌの人々のチャランケなどがそれにあたります。

p15, 「修復的対話トーキングサークル」

「ことばの焚き火」でも"対話の歴史"という項目で、次のように表現されている。

近年では、近代化される以前の先住民の社会コミュニケーションに、対話の原点があることが注目されるようになってきた。
そう、焚き火を囲んで話し合うあの光景だ。

p92, 「ことばの焚き火」

対話ってどうやるの?難しいという声を聞くことも多いが、実は、人類の歴史の中で繰り返し行われて来たことだから、料理ができたり、掃除ができたり、走れたりするように、対話もできるはずだ。

修復的対話の流れ(結界を張る)

先住民の知恵をもとに、現在運用される修復的対話は以下のような流れになっている。

第1段階:チェックイン(オープ二ング・セレモニー)
第2段階:ガイドライン(安心して話すための合意形成)
第3段階:対話
第4段階:クロージング(お茶とお菓子などの飲食とねぎらい、別れ)

p38-42「修復的対話トーキングサークル」

これは、私たちがやっているとてもシンプルな「ことばの焚き火的」対話の流れに近い。チェックインで大切にしていることを「いつもの生活のペースや調子から修復的対話のペースや調子にギアを入れ替える」と表現されているが、私たちもこれを重要なことと思っている。

 対話は普段のコミュニケーションとはちょっと違います(私たちは対話を普段のコミュニケーションにしたいとは思ってはいますが、残念ながら、まだそうはなっていません)。
 なので、対話を始めるときには、「普段」と違う場所に移動して、今日は普段と違うやりかたでコミュニケーションをするという空気をつくる必要があります。「結界」を張って、対話の場を日常から切り離すことで、「対話」というコミュニケーションをする空気が作れるのです。

p138-139, 「ことばの焚き火」

もちろん、大切なのは、場所を移動するということよりも、「いつもと違う調子にギアチェンジする」こと。修復的対話も、私たちが実践している対話も、結界を張って、場を整えることをしている。修復的対話が第4段階で、飲食を共にすることを入れているのは、非日常である対話の場と日常をつなぐためだという。ハワイのホ'オポノポノも、伝統的なやり方によると対話の後に食事をすることになっている。

人として実直に対話するだけ


私たちが実践している対話も、ホ'オポノポノも、先日取り上げたオープンダイアローグも、テクニックより「ただ人として実直に対話する」ことを重視している。

修復的対話でも、その場をファシリテートするサークルキーパーとして重要なことを、以下のように表現している。

サークルキーパーとして最も重要なことは、対話の場に、ただ「人として」そこに居ることに徹することです。参加者の何かを変えよう、介入しよう、参加者やその場に影響を与えようとするのではなく、ただただ人としてお高いを理解し深く傾聴するために「居る」のです。専門家のようにならず、ただ「人として」そこに「居る」ことが重要です。

p37「修復的対話トーキングサークル」

いろんな対話を実践できる豊かさ

修復的対話はトーキングピースを持つ人が話すというやり方で進められるが、私たちが実践するときは、特にトーキングピースを用意しておらず、順番に話を聞くということがないことが多い(もちろん、あってもいい)。

修復的対話は、トーキングピースを用いることで、「聞く」と「話す」をしっかり分けることで、その場で誰かの発言に返答するようなこともなく、自分との対話インナーダイアローグが促進される仕組みになっている。

「ことばの焚き火」的対話でいうと、そういった決まりのようなものは、極力おいていない。そこには、根本を大事にしながら、その場にあった、それぞれの対話が生まれて欲しいという願いがあるからだ(と私は思っている)。

修復的対話、ウコチャランケ、ホ'オポノポノ、オープンダイアローグ、いろんな対話のやり方があるが、根幹に共通している部分は必ずある。いろんな対話に触れながら、その時の流れ、感覚にあったやり方を選択できる豊かさがは、私たちには許されていると思う。





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