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【未来の仲間ナティーアに向けた日記2021/8/13】陰陽、万物は流転、自分の内側の色付け
2021年の日本は、COVID-19の流行の中にあり、これまでのパラダイムでは立ち行かないところにいるように思う。今だから書き残せること、在野の特に名も無い人間だからこそ置ける言葉があるのではないか。ある日、未来の人類について考えていた時、「ナティーア」という女の子の名前が思い浮かんだ。この日記は未来の仲間「ナティーア」を思いながら書く日記である。
8/13(金)
【News】東京で5773人感染 重症者227人 ともに過去最多、米国の白人人口が初めて減少 進む多様化、少子化背景か(ヒスパニック増加)
〜陰陽、万物は流転、自分の内側の色付け〜
先日、「イン・ザ・ハイツ」という映画で、NY市の人口の10%近くがドミニカ共和国人と書いたけれど、全米でもヒスパニック人口が急増していて、全人口の19%にもなるらしい。歴史的に見て、ラテンアメリカは、米国からの圧力に苦難があったが、意図していないだろうけど、今は米国の内側で仲間を増やしている。そう思った時に、陰陽の図が頭に浮かんだ。陽の中に陰があり、その大きさが変化して行き、最後は逆転する。万物は流転するのだ。
今日は、半年に1回の娘の心疾患の検診で静岡まで行って来た。娘は生まれた時と、4歳の時で2回手術を受けている。しばらく年1回の確認でよかったのだけれど、思春期を迎え、体の成長があるからとここ数年半年に1回に切り替わっていた。体の大きさの変化に伴い、もう一度手術が必要になる可能性について言及されていたから、検診が近づくと胸がザワザワするのが常だった。
でも、今回は自分に変化を感じる。去年から対話をするようになって、自分自身が握っている前提を見るようになったが、仕事を手放したこの5ヶ月はさらにそれが加速した感じがする。ただ「ありのまま」を見るということをしたとき、「娘の手術」という可能性が、いいものでも悪いものでもなくなったのだ。娘が辛いだろうという想像があったり、それが将来に及ぼすかもしれない可能性に思いを馳せて、苦しくなっていた。しかし、起こることそれ自体にいいも悪いもなく、想像して色付けをしているのは、自分でしかないのだ。もちろん、いつもそのようにフラットにものを見られるわけではなく、苦しくなることもあるだろうけれど。
検診の結果は良好で、経過観察で問題なくなった。不安が大きくなかったせいか、安堵したというより、むしろただ感謝が湧き上がって来た。感謝というのは湧き上がるようにできているんだな。
今回の検診には、たまたま遊びに来ていた娘の友人も一緒に行ったのだけど、その中で、「まみちゃん、病気の人って可哀想と思う?」と聞かれた。彼女の中で「可哀想」と思う気持ちが湧き上がり、でもそれに疑問を持ったのか。いずれにしても、そこに問いを持つ瑞々しい感性が嬉しい。「可哀想」という事実はどこにもない。「可哀想」は見る人の中にあるものだ。私たちが把握している世界においての因果関係を思い浮かべることはできるだろうけれど、それは全てではなく、事実はただ起こる。もちろん、病気で人が苦しむことは当然出てくることで、否定するものではない。しかし、それが悪しきものだとか、「可哀想」という見方を外したとき、その人の生きる力強さが立ち上がってくるように感じられる。
万物は流転する。ある1つの見方が正しいということもない。苦しみや悲しみや、色んな感情が立ち上がって来た時、そこにある自分の色付けに目を向けて行きたいと思うよ、ナティーア。