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73.母親の幸せ=子供の幸せ。ではない。
「お母さんが幸せならお子さんも幸せなんですよ」
とか
「お母さんの幸せな姿は子供にいい影響を与えます」
って、
聞いていたから信じてたけど、
母親が幸せなら子供も幸せなのか、
というところはイコールではなかった。
なぜなら、それは簡単な話で、
私は幸せだと思っていたけど、
子供は幸せだと思っていなかったから。
まぁこれは、
どうしようもない私の場合なんです。
他のご家庭はきっとそんなことないと思います。
というわけで、こういうことよ、こういうこと!
ってことで、
私のことですがツラツラと書いていきますね↓↓
私が笑ってるから子供も笑ってるし、
私が怒ると子供も不機嫌になったりする。
っていう、
その状況をその都度楽しんで、
子供たちと一緒に喜怒哀楽を感じて、
沢山の時間を一緒に過ごせていたことに
幸せを感じていたのは事実。
なんだけど、
「ママが笑ってると嬉しい」
「ママとケンカしてもすぐ仲直り出来るもんね」
「ママの悲しい顔は見たくない!」
「ママといると楽しい!」
っていう子どもたちからもらった言葉たちは、
きっと子供が私を気遣って、
私に嫌われたくなくて、
そういう言葉を言わせてしまっていたんだろうと、
今ならわかる。
私はその言葉を、
そういう子供の気遣いの言葉をそのまんま受け止めて
「嬉しい」「幸せだ」「信頼されてる」「きっとこのまま毎日楽しい」
って、そう思ってた。
だけど、毎日楽しいわけでもない。
子供が悪さをして私が怒る。
きちんと叱っているつもりが、
世間体を気にして叱っていたから、
子供の心には響いていなかったのね。
言葉だけ子供にぶつけてた。
それが躾だと思っていた。
そうじゃないよね。
子供は私の感情に振り回されていただけ。
「どうしたの?」って聞いて
(子供の心の声)を(子供の言葉)で
ちゃんと聞き出すことができていたら良かったって思う。
合ってるか合っていないか、
良いか悪いか、
正解か不正解か、
そんな極端な事ではなくて、
「聴く」っていう姿勢。
良し悪しは子供は自分で経験して知っていけるはずなんだよ。
だから世間体を気にして叱ることや、
まして正論なんてぶつけなければよかったと思う。
本当に思う。
私は子供たちに会えて、親にしてもらえて、
本当に幸せだと思っていた。
(今もなんだかんだそう思っているよ)
今までずっと子供たちから幸せをもらっていたけど、
私は「聴く」が出来ていなかったから、
子供の心の声を聴き逃していたから、
子供たちは親からは話をちゃんと聞いてもらえなかった
っていう悲しい気持ちが残ってしまって、
ママが幸せなら子供も幸せ
ということがイコールにならなかった。
わがやは、ママの幸せ>子供の幸せ
私が子供から全てを奪っていたんだと思う。
自分だけ幸せをもらって、与えた気になっていて、それで今になって反抗期になってボロクソ言われて、、
それは私の過去の行いが現在に反映されているということだと思うので
また今から少しずつ少しずつ修正していくしかないのですね。
それはそれは、
今までしてきたこと以上に時間がかかることだと思う。
だけど、
過去の行いが現在に反映されているのなら、
現在の行いが未来につながると思うので、
過去の行いを反省して、
子供の心の声を聴く努力をしていこうと思った。
はい、
というわけで気がつくのが遅いんですが、
いつからでもやり直しができるはずなので(前向き)
今からまたゆっくりやっていこうと、
毎日毎日思って過ごしていこうと思います。
あ、もちろん(?)
愚痴も吐きつつ、バランス取りながら(笑)
私みたいな人もいるのでね、
私みたいにならないように、反面教師として、
参考にしていただけたらと思います。
駄目な経験って、人の為になることもあるからね。人の振り見て我が振り直せって奴ね。
いいやつじゃん(笑)
いつになるかわからないけど、
親の幸せ=子供の幸せ
の方程式が成り立つことがあれば万々歳だと思います。
そこを目指していけるように日々精進いたします<(`・ω・´)
直せるところ、改善できるところはしていこ。
コロコロ変わってもいいよ。
良くなるために自分を変えていくのみ。