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「好き」を綴る365日、188日目。

メロンが好きです。

季節の風物詩、ですね〜。
地元のケーキ屋さんにメロンスイーツが並ぶと、梅雨入り間近だなって思います。

メロンは、メロンのまんま食べるのはもちろん好き♡
ケーキみたいなスイーツになってもおいしい♪
生ハムメロンのようなオサレなお料理になってもステキ☆

贅沢なフルーツの代表格、ですよね。

亡き父が、メロンを好んで食べていました。
だからかな、スーパーでマスクメロンを見かけると母が手にとってしげしげと眺めます。
で、高確率で購入→父の仏前にお供えするのです。

父はメロンの季節が訪れるちょっと前に亡くなってしまったからなぁ。
その前年のメロンシーズンの頃は、まさか翌年父がこの世にいないだなんて誰も思っていませんでした、もちろん本人も。

・・・回顧していて思った。
明日が訪れる保証なんてどこにもないのだから、今日やりたいことは今日やっておこう。
今食べたいものは、食べちゃおう。
誰かに伝えたいことがあるときは、ちゃんと言葉にして伝えよう。

メロンとは違う話なのですけど、回顧にちなんでこの頃思うことをひとつ。
最近、スマホのプレイリストで聴いている音楽の中に『もう一度夜を止めて』という歌があるのです。
若い頃によく聴いていた崎谷健次郎氏の曲、失恋ソング。

わたしは音楽は「メロディ」が好きか否かで選んで聴いているから、歌詞はあまり聴いていなくて。
失恋ソングであっても、歌詞はさほど気にならないのです(わたし、一応ライターなのにねぇ・・・こういうときには音楽をする一面の方が顔を出すのだろうか??)。
でも、タイトルにもなっている「もう一度夜を止めて」というフレーズに、やたら考えさせられるのですよ。

父が亡くなる前日の夜で、時を止められたら。
祖父が亡くなったあの夜、息を引き取る前で時を止められたら。
祖母が亡くなる前夜、まだうっすら意識があったあの時に時を止められたら。

たられば話をしても仕方ないのだけれど。
父にも、祖父母にも、十分に寄り添ったという自負があるのだけれど。
それでも、まだ何かしてあげられたんじゃないか?という思いが尽きない。

だからねー、『もう一度夜を止めて』をプレイリストに入れておきながら、聴くことができない時があったりして。。。

でもね、こういう思いを抱いて回顧するのも、きっと弔いになるのだろうな。
亡くなったひとたちは、三途の川のほとりを歩きながら下界を見下ろしているらしく、自分のことを思い出してくれていると気づいたら「ありがとう」って近くに来ていることもあるそうです、わたしが読んだ本によると。

そう考えたら、悪いことではないのかもね、「もう一度夜を止めて」って思ってしまうことも。

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