【育児】教材のレベルをひとつ下げた
誰しもはじめは、「わが子は天才なんじゃなかろうか」と思いながら育てていると思う(偏見)。
子ども独自のモノの見方、経験を学習へ変換する能力には脱帽する。
ただ、子どもはロボットではない。人間である。
どうしたって得手不得手がある。
だけど、親は期待してしまう。
そのとき、わたしたちは何を見ているのだろうか。
自宅学習の習慣をつけたい母
今年、長女が小学校に入学した。
わたしは、小学校低学年で身につける習慣のひとつとして、「自宅学習の習慣」を定着させることをミッションとしている。
ちなみに、入学するまではベネッセのこどもちゃれんじをするくらいで、本格的な勉強には力を入れてこなかった。
なぜなら、小さいうちに必要なのは「自らを律して学ぶ力」「学びを面白がる力」の育成だと考えていたからだ。
今年、晴れて小学一年生になった娘。
日本の通信教育を受けるという選択肢は(その当時は)頭になかったので、市販のハイレベル教材を調べ上げ、思考力が試される教材を購入してから出国した。
家庭学習と遊びのバランス
そして、予定通り「国語と算数のプリントを1枚ずつこなしてからお友だちと遊ぶ」というルールを施行した。
恵まれたことに、同じアパートに住んでいるお友だちと気が合い、それぞれが学校から下校後(日本人学校の子もいれば、インターの子もいる)アパート内で遊び狂っている。
本人も、本当は勉強なんかせずに一目散に遊びに行きたい。
けれども娘は、THE☆長女だ。言われたことは、しっかりこなす。
しかし、遊びたい気持ちがはやるのか、少し頭をひねる問題に直面すると、適当に答えてしまう。
適当に答えるから、×がつく。
「お直しあったよ」
遊んで帰ってきた後に、間違えた箇所を指摘する。娘は、泣いた。
間違えるのが嫌な娘
ある日、娘があまりに泣いて怒るので、その理由をきいた。彼女は、大泣きしながらやっとのことで絞り出す。
わたしは、衝撃を受けた。
間違えることは悪いことじゃない。
むしろ、今までわかってなかったことを理解する良い機会だ。
それに、間違いを一切しないような簡単な問題をといて何になる。それじゃあ力にならないじゃないか。
わたしは、幻想を見ていたんだと思う。
難易度の高い問題に対し「おもしれー問題…ッ!」とニヒルな笑みを浮かべながらも果敢に取り組む姿を夢見ていたのだ。
翻って、目の前の娘は、まだ、「何度も間違える自分」を受け入れる度量がない。
そこに難易度は関係ない。簡単な問題を100点で解くことと、難しい問題を間違えながらも1つこなすこと、彼女にとっては前者の方がはるかに価値があるのだ。
教材のレベルを下げた
「わかった、ママ、花ちゃんにぴったりのドリルを探してくるからね」。
わたしはそう言って、もうその問題集は取り組まなくてよいことを告げた。
なぜなら、わたしがこの年次で身につけさせたいのは「家庭学習」なのだ。「難しい問題に取り組む力」は、後からでもついてくる。
ということで、後日、レベルを下げた教材を買った。
おかげで娘は、連日良い感じに問題を解いて、さっさと遊びに出かけてしまう。
だけど、前の問題集に取り組んでいた頃にはない光景があった。
ドリル1回分を終えればよいところ、自ら進んで何ページも解いていたのだ。
わたしは、それを推すことにした。
「わが子」を見る
「理想の子」はわが子ではない。
わたしの大切な子は「わが子」である。
だったら、理想を捨てて、わが子を見よう。
わが子にどうなってほしいか、どんな習慣を身に着けてほしいか、それを観察し、提供し、試行錯誤しよう。
これは、少しずつ諦めていく作業だ。
だけど同時に、心のつながりを増やす作業でもある。「理想の子ども」という見知らぬ他人を諦めて、「わたしの子ども」との心のつながりを増やす作業。
そう考えると、悪くない。
だってわたし、何年も何十年後も、娘と一緒におでかけしたり旅行したりしたいから。
■前回のマシュマロのご相談返信にコメントくださったご相談者様へ
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