【10月】読んだ本
ワンオペ育児の合間を縫って、なんとか年間50冊ほど読んでいます。
10月に読んだ本のご紹介をいたします。
スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険
あらすじ
いまの世の中は騒がしい。「自分の頭で考えろ」が美徳とされ、何に対しても自分なりの信条を持つことが良しとされています。
専門家に対して訳知り顔で強烈なリプライを飛ばしたり、「他人の意見に惑わされるな、答えは自分に聞け」と声高に叫んでしまう。なぜでしょうか。
それは、ひとが、苛烈ともいえるほどに強い関心を自分に向けてしまっているからなのです。
人は、倦怠に耐えられません。退屈すぎると、刺激を求めてしまう。退屈=さみしさと言ってもよいでしょう。
だから、そのさみしさを紛らわせるように、スマホ内の雑音で気を紛らわす、退屈をしのぐのです。そして、そこで目にする情報に刺激されて、もっと不安になってしまう。
この不安やさみしさから逃れるために著者が提案しているのは「趣味を持つこと」。
また突拍子もない…と思いきや、この「趣味を持つこと」にある、
①つくる・育てるものの他者性 ②趣味をする自分と対話する ことで鍛えられる力があるといいます。
それは、モヤモヤしたものを、モヤモヤしたまま抱える力=「ネガティブケイパビリティ」です。
モヤモヤしたものに白黒つけず、謎を謎のまま一旦端に寄せておくこと。
これが思わぬ創造に繋がったり、自己不信から「ほかの見方があるのでは?」と多角的な視点で物事を見るのに役立ったりします。
これを著者は「未知の大地へと踏み出す冒険者的な好奇心」と表現しました。
感想
【わたしの場合、幸福は、他者を受け入れなければ成立しない】
最近の投稿で、「voicyを聴くのが苦しい」とお話ししました。
みなさんがキラキラして、まぶしかった。
そして、そうできないわたしが悪い、怠け者のように感ぜられて、辛かった。
他人が成功した様子がうらやましくて、わたしもその「成功者」の仲間入りがしたかった。
では、わたしの「成功者」の定義は、なんだろう。
多くの賞賛を集めること。認められること。尊敬されること。お金に余裕があること。
これは、他人軸の報酬です。賞賛するのも、認めるのも、尊敬するのも、他者です。
じゃあ、自分軸の「成功」を探そう! そうだ、他人はわたしの幸せに関係ない、自分軸で生きよう!
それで? わたしは、それで、どうなるのだろう。
他人軸が苦しいから、自分軸に逃げる。それは、資本主義の及ばない優しい世界と思いがちだけれど、自分の内面に閉じこもっているだけでは、わたしの孤独を強くなるばかり。
賞賛も、承認も、尊敬も、なぜされたいの? それは、さみしいから。わたしは、大勢の人間とかかわっていかないと、生きていけないタイプだから。
つまり、わたしの幸せとは、多少なりとも他者の要素を受け入れる必要がある訳です。言い換えると、自分の殻の中に閉じこもることは、わたしの幸せではないのです。
だとしたら、わたしは、モヤモヤを抱えたまま生きていく。今はつらいという時は、他者を受け入れる余裕もないからシャットアウトしちゃう時もあるけど、元気になったら、また、外に出ていく。色んな人の意見を聞く。そして、「教えてもらう」だけではなく、「一緒に考える」。
わたしのやりたいことは、これかもしれない。「一緒に考える」。人はみな、一人ひとりが素晴らしい。その素晴らしさを一緒に味わわせていただきたい、それがキャリアに悩む人の助けにもなればと、この本を読んでいて思いました。
高倉健、最後の季節。
あらすじ
昭和の大スター、高倉健さんには、17年連れ添った女性がいました。彼女の続柄は、「養女」。
著者の小田貴月(おだ たか)さんが、なぜ養女として高倉さんと過ごしたか、昭和の俳優が最後に過ごした時間はどのようなものだったか、穏やかな筆致で綴られる作品。
感想
【わたしにはわからない世界観】
わたしにとって高倉健さんは、祖父母の世代です。恥ずかしながら映画も拝見したことがなく、遠い存在の方でした。
そして、本を読んでいても、やはり身近には感ぜられなかったけど、高倉さんが生きた「昭和の空気」が伝わってきて、そこがとてもおもしろかった。
どういうところが面白かったかというと、「昭和のスターの生きざま」ですね。お家は、豪邸。車も何台もある。自分の感覚に素直で、こちらが「1」と言う前に、周りから「10」と返ってくる感じ。
ただ、その生活に至るまでには大変な苦労がおありのようでした。「八甲田山」という映画では、3年間ほかの仕事をせず撮影に打ち込まれたのですが、その期間はノーギャラだったため、保有していた国内外の不動産を売って凌いだとか。
撮影所では「残業」や「ハラスメント」といった価値観はもちろんなく、今では精神衛生的に問題となるような環境で辛酸をなめたそうです。
そうして昭和のスターとなった高倉健さんに、寄り添った、小田貴月さん。世の中に知れぬよう、ひっそりと高倉さんを支えた方です。この方の献身ぶりも見事なもの。
わたしの価値観には、この世界はありませんし、ありえません。だけど、これが美徳とされた、昭和の時代の息遣いを感じられたのは大変勉強になりました。
日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか
あらすじ
noteを書かれている方は、エッセイを読むのも書くのもお好きだと思います。
では、「エッセイ」とはなにか? 「随筆」「コラム」「ノンフィクション」と何が違うのか? その差を明示できる人は少ないでしょう。
これは、講談社エッセイ賞選考委員を長らく務めてきた著者が、そのカテゴライズの違いや、時代をときめかせた各年代のエッセイについてを、エッセイにしてまとめたものです。
感想
【「エッセイが書きたい」なら読んでおくといいかも】
わたしも自信をもって「エッセイとは何か」を語れませんでした。そして、これを読んだ後は、自分がそれを語るなんてオコガマシイかもしれないと思ってしまい、今もなお、語れません。
しかし、「エッセイ」というものが、なぜこんなにも愛されるのか。なぜわたしたちは、SNS全盛期において、直観的に・スピーディーに理解できる映像や写真とちがって、「文字で自分を表現すること」をやめられないのか。
その謎に、少しだけ迫れたような気がします。
また、わたしが生まれる前に流行になったエッセイも紹介されていて、それが時代の流れを表しているのがまたおもしろい。
前述の「高倉健、最後の季節。」を読んだ時と同じように、わたしが今生きている場所は、こういう歴史があったからこそなんだなぁ、としみじみ思いました。
いかがでしたでしょうか
11月も楽しく読書生活を続けていければと思います。
みなさんのオススメの本も、コメント欄でぜひご紹介ください。