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「本気」に本気で向き合ってくれないひととは付き合わない

バンコクで子どもの幼稚園を探すにあたり、いくつか園を見学した。

スクールバス社会だから、少し遠くても通えてしまうので、候補がいくつもあった。その中で、本命と考えていた園が、見学の申請をする際に願書のようなものの提出を必要とする園だった。

願書の内容は、家庭の教育方針を問うものがほとんどだった。
わたしは、見学の時点でこれが必要だということは、この回答をもとに面談がなされるものだと理解した。

もしこれで、息子が不利になるなんてことがあってはいけない。わたしは真剣に考えた。
ノートに書きだして、文章にして、小さい記入欄に書けるよう推敲した。1時間はかかったと思う。

それを事前に園に提出したうえで、見学に臨んだ。


「いろいろ書いてくれているみたいですけど」

しかし、園長先生はそれを一瞥し、「なにか質問はありますか? いろいろ書いてくれているみたいですけど。」と言った。

わたしは、めちゃくちゃビックリした。

いまなら、他意のない言葉だったのかもしれないと違う解釈をすることもできる。でも、このときのわたしは「小ばかにされた」と受け取った。


たかが幼稚園の願書に、なに真面目に長文書いてるの? 面倒くさい親なのあなたは? こんな長文を書くほど思いやられている子どもってどんなモンよ?


いや、相手は絶対ここまで考えていなかっただろう(被害妄想すぎ)。いまとなったらそう思えるけど、わたしは、わたしの本気を馬鹿にされたと感じた。不愉快が喉の奥からせり上がってくる。


「これが重要な判断資料になるのだと思って書いてきたのですが、違いましたか?」


想いと反して、わたしはとても素直な声色でそう言った。だって、ホームページに「努力を大切にする園」って書いてあったよね? だから当然に、努力の結果は尊ばれるものだと確信していたのに、それを裏切られたようで驚いたのだ。

この質問をしてきたのはあなたたちであって、それに対してわたしは真剣に考えてきただけなんだけど、こういうことじゃなかったの?

「いや、そういう訳じゃなくて、もちろん大切なんですけど、……」

園長は言葉を濁した。


その幼稚園自体は、素晴らしいものだった。いわゆる「お勉強」系の園で、カリキュラムは納得のいくものだったし、施設も良く、「まずは努力してみることを大切にする」という方針も魅力的だった。

しかし、わたしは最後まで、じゃあなぜあの質問をわたしにしたの?という疑問に囚われていた。

わたしが本気で書いてきたものに、本気で向き合ってもらえなかったさみしさ。


「人を見に行ったんだろ?」

カリキュラムは良い、教育方針も良い、施設も広い、でも、本当にここで良いのだろうか?
わたしは、一日中もんもんとしていた。人参の皮をむき、魚を西京漬けにし、お米をとぐ。その動作がおわるたびに、「いいのか?」という疑問が浮かび上がる。

夜、夫の帰宅を待って、その日あったことを告げた。

「園長先生が、なにか質問はありますか?いろいろ書いてくれているみたいですけど、って言ったんだよね」

わたしがそう言い終わらないうちに、夫は「ダメだ、そんなんじゃ」と憤った。


「むしろ園の方から質問があってしかるべきだと俺は思った。だって、園が知りたいことを質問して、それに対して答えたんだろ? 興味があったら、具体的にはどんなこと?って、もっと聞きたくなるはず。第一、その資料、事前に目を通されたのか? よもや、そんな質問をしておきながら、その場で初めて見たわけじゃないだろうな。」


夫は、多弁だ。一気に話す。わたしはその勢いに気圧されながらも、おお、そうだよな。そういえば、わたしの書いたものに対して一切質問がなかったな、と、違う角度から同じ現象を見る。


「園自体は、すごく良かったんだよね。カリキュラムも、教育方針もいいし……だけど、わたしの本気に、本気で向き合ってくれなかったことがすごく引っかかって。「努力を大切にする」と言う割には、わたしの努力は大切にされなかったな、って。」


そう言うと夫は、


「言葉じゃなくて、人を見に行ったんだろ。カリキュラムや教育方針は、ただの言葉だから誰にでも言える。でも、あなたが違うって感じたなら、そういうことでしょ。」


なるほどな、と納得した。そう、わたしは人を見学しに行ったのだ。そして、そこで会った人は、少なくともわたしに対しては、教育方針を体現しているとは思えなかった。

「保護者と子どもは別なんです」と言われるかもしれない。でも、心の根底にある信念は、会う人が変わったとしても態度の端々に滲み出るものだ。


園選びで初めて出会う自分の指標

結果、わたしはこの幼稚園を選ばなかった。いま、息子は、彼の個性を大切にしてくれそうな園に通っている。

わたしは、本気になること、一生懸命取り組むことは美しいと意識もしていないところで感じていて、それが自分の人間関係の指針になっていることに気づいた。

人の本気に本気で向き合ってくれないひととは、関わりたくない。ほかにどんなに素晴らしい能力があったとしても。

アラフォーに片足をつっこみつつある年齢になって初めて知る、わたしの価値観。我ながら良い価値観だな、とほくそ笑んだ。これでよいのだ。



(おまけ)その昔、同じようなこと書いてた



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まみ┆キャリアコンサルタントな駐妻
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