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noteを週5更新してわかったこと

「毎日noteを更新中!」という文言をよく見かける。

それがなんの役に立つんだろう、と冷めた目で見ていた。週7の家庭料理より週1の鉄板焼きである。

更新頻度は少なくても、読み応えのある記事の方が読者としても楽しいのではないか。
天邪鬼のわたしはそう考えていた。


ジャーナリング、細々続けています

2024年末への100日チャレンジということで、ジャーナリングをゆるく続けている。
すると、いくつかの不思議な感覚があった。


  • 感じたことを素直にそのまま表現する

  • 賞賛でも非難でもなく、事象を見つめる



自分が自分ではなくなっていく感覚、というか、俯瞰して物事を見ている感じがする(いわゆるメタ認知)。

キャリコンの授業でも認知行動療法については学んだけど、簡単にでも行うとこんな感じなんだ〜効果あるな〜と実感。

で、ふと思いついた。

書けるものはnoteに書いちゃえばいいんじゃない?


noteはモヤモヤをそのままにしておける

ジャーナリングは、とことん集中できる行為だ。
やり方があっているかはわからないけど、わたしの場合、事象・認知を書き出し、原因を突き止めて、ネクストアクションまで書いてしまう。

わたしは短気だから、どうしてもネクストアクションを決めないと気がすまない。
どんな些細なことであれ、とにかく「次にやってみること」を自分に課してしまうのだ。


さて、一方でnoteはどうだろう。
一応世に出すものではあるから、起承転結を意識する。

1日の中で、noteに向き合える時間はどうしても限られる。わたしの場合は割けて1時間半程度だ。
その時間で記事をひとつ上げるとするとと、ネクストアクションまでは到底たどり着けない。

だから、仕方なく、モヤモヤの正体をそのままにしておく。
ネクストアクションのない、日々の出来事とわたしの気持ち。ただ、書き留めておく。

意外にも、これがとても心地よかった。


数字にも変化が…!

これはすごく俗っぽい話なのだけど、投稿数に比例して、フォローしてくださる方も増えた。

モヤモヤの解決策まで示せる「きれいな記事」ではないけれど、以前わたしが熱を入れて書いた「きれいな記事」と1記事あたりのビュー数は変わらないように思う。

そもそも、わたしの考える「きれいな記事」もそうではない記事も、他者から見たら同レベルなのかもしれない…!

だとしたら、えいや、で投稿してしまっても問題ない。
世の中は、週1の鉄板焼きより、週5の家庭料理なのだ。


毎日投稿は無意味だと、一瞬でも思ってしまってすみません。
身に染みて実感しました。毎日投稿、効果てきめん!



毎日投稿はできない。から週3を目指したい

週5、noteに1時間半程度費やしてしまうと、それ以外の活動が如実に減った。

今日はnote書きたいから、外出しないで家でできる活動をしよーっと。


そんなわけで、この1週間はママ友との外出を除けば、近所をウロウロしているのみだった。

やりたいことは、note以外にいくつもある。キャリアコンサルタントの活動、語学力の向上、本業の勉強……。家で一人でできるものもあれば、外に行かなければ出会えない機会もある。

これを考えると、筆の遅いわたしに毎日note投稿は難しい。

とはいえ、noteの投稿数を上げることのメリットは理解できたから、今まで週1~2だった投稿数を、週3くらいに上げてみたい。


モヤモヤをそのままにしておく。とりあえず、記録しておく。
きっといつか、未来のわたしがそれを回収してくれる。

では、ごきげんよう。



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まみ┆元管理職、キャリアブレイク中
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